立憲主義と統一戦線一〝私たちの政府〟を実現するために
※2025年9月15日付『東京新聞』1面掲載記事(ネット記事をリンク。有料会員限定だが、無料会員登録で月3本まで有料記事も読める)に関連し、長谷部恭男氏と小林節氏の立憲主義理解のちがいにかかわる過去のFB投稿を加筆修正。
※「市民と野党の共闘」の再生・前進にとっても見過ごせないテーマであり、憲法記念日でもあるので、掲載する。
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1.「広い意味」と「狭い意味」
市民と野党の共闘における〝一丁目一番地〟の課題は、安保法制(戦争法)の廃止と立憲主義の回復である。
安保法制反対のたたかいが旺盛に展開されるなか、憲法学者の長谷部恭男氏は、2015年6月4日の衆議院憲法審査会において、立憲主義について発言している。
それによれば、立憲主義は、「広い意味」と「狭い意味」の2つの意味があるとのことだ。
「広い意味」とは、「政治権力を何らかのかたちで制限する考え方」のことである。
そして「狭い意味」とは、近代はじめのヨーロッパで確立した近代立憲主義のことであり、この近代立憲主義に立脚する憲法は硬性憲法であり、「基本的人権を保障する諸条項、民主政治の根幹にかかわる規定」は、「その社会のすべてのメンバーが中長期的にまもっていくべき基本原則」であって、時の権力者の考え方や立場からは「切り離されるべき」ものである、ということだ。
日本国憲法における立憲主義は、近代立憲主義と理解できる。
日本国憲法の前文には、以下のような文章がある。
《この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する》
「かかる原理」とは、日本国憲法の基本原理、すなわち、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、の3点のことである。
つまり、この3つの基本原理は、《「その社会のすべてのメンバーが中長期的にまもっていくべき基本原則」であって、時の権力者の考え方や立場からは「切り離されるべき」もの》なのだ。
ただ、同じ憲法審査会の場で発言している小林節氏のように、「第9条第2項の戦力不保持と交戦権否認は改正して、自衛隊を憲法上も認めるべきだ」が、「これは解釈などではなく、憲法上の改正規定に則って実施すべきだ」という立場の人の立憲主義の理解は、長谷部氏のいう「広い意味」か「狭い意味」なのか、よくわからないところがある。
「基本原理だが変えてもいいんだ」という点に注目すれば「広い意味」ととれるが、「基本原理なんだから、変える場合は慎重に」ととらえれば「狭い意味」ともとれそうな気がする。
「狭い意味」=近代立憲主義における《「その社会のすべてのメンバーが中長期的にまもっていくべき基本原則」であって、時の権力者の考え方や立場からは「切り離されるべき」もの》という点を素直に理解するならば、小林氏の立場は「広い意味」の立憲主義と理解するべきであろう。
*衆議院憲法審査会(2015年6月4日)
2.憲法学者としての資格と立場の混在
こうした長谷部氏と小林氏のちがいにみられるように、安保法制に反対した憲法学者の立憲主義にたいするスタンスは、「広い意味」と「狭い意味」が混在しているような気がしてならない。
戦争法闘争より少し前に、憲法第96条を変えて改正要件を緩和しようという動きがあったとき、自民党の憲法指南役だった小林節氏(6月4日衆議院憲法審査会参考人の1人)もふくめて多くの研究者や国民が反対した。
そのさいのキーワードは「立憲主義」。
権力者にたいして「憲法どおりの政治をしなさい」という「命令」して規制をかける立憲主義にもとづいて、権力者の勝手な都合で改正できないように、第96条は改正のハードルが高くしてある。
こうした立憲主義の意義は、第9条をはじめとする個々の論点での意見や立場のちがいをこえて、多くの憲法研究者が認めている。
たとえば、アイドルグループAKB48のメンバーであった内山奈月さんとの「講義録」である『憲法主義─条文には書かれていない本質』(PHP研究所、2014年)で知られる九州大学教授の南野森(みなみの・しげる)氏は、同書のなかで以下のようにのべている。
《日本が集団的自衛権を認めることに賛成か反対かについて、僕はこれまで立場を明らかにしてきませんでした》
《……ただ、昨日まで集団的自衛権は認めないという解釈だったのに、今日からは集団的自衛権を認めるというのは180度の転換です。しかも、9条の解釈、集団的自衛権の是非はとても重要な問題です。解釈で変えるにはあまりにも重大すぎる問題だと思うのです》
《集団的自衛権を認めるのなら、憲法改正によるべき。もしも解釈変更がこれほど重大な問題で許されるなら、悪しき前例になりかねないと思います》
《……憲法は国家権力を縛るものです。もしも内閣総理大臣の一存で「解釈改憲」ができてしまうなら、憲法の拘束力はなくなってしまいます》
《憲法学の観点から見れば、これまで国家権力ができなかったことを解釈でできるようにすることは非常に危ない。国家権力を縛る憲法を、国民の判断をせずに弱めることになるからです》
さらに最後の点について南野氏は、《おそらく……改憲派の憲法学者であっても同じ意見》ともいっているが、戦争法闘争における憲法学者の動向が、この指摘の正しさを示している。
その意味では、「立憲主義を認めねば憲法学者にあらず」ということだ。
同時に、その立憲主義理解には〝幅〟があるということも、見過ごしてはならない。
3.立憲主義学習を拡大・深化させるために
これまでみてきたような立憲主義をめぐる憲法学者のスタンスにみられる共通性とちがいは、学習教育運動にとって重要な問題が投げかけられていると思われる。
「一点共闘」の観点からすれば、「広い意味」であれ「狭い意味」であれ、あるいはあいまいさがふくまれている場合であれ、立憲主義の立場が戦争法案反対の重要な一致点となる。
同時に、さまざまな「一点共闘」を本格的な「国民的共同」=統一戦線へと発展させるためには、「狭い意味」の立憲主義=近代立憲主義の観点が不可欠なのではないか。
すなわち、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という、日本国憲法の3つの基本原理は、《「その社会のすべてのメンバー(=日本国民)が中長期的にまもっていくべき基本原則」であって、時の権力者(=自公政権)の考え方や立場からは「切り離されるべき」もの》である。
憲法を活かした日本の実現をめざす、すなわち、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という、日本国憲法の3つの基本原理こそが、統一戦線形成の基本条件となるわけだが、このことにかかわって、勤労者通信大学基礎理論コースは「国民的共同をつくる場合の共同目標」として以下の3点をかかげ、この3つの共同目標が「大企業中心・アメリカいいなりの日本政治を変革していく手がかり」となるとのべている。
1 日本の経済を国民本位に転換し、暮らしが豊かになる日本をめざす。
2 日本国憲法をいかし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざす。
3 日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざす。
この3つの共同目標は、日本国憲法の3つの基本原理を民主的改革の課題として整理し直したものと読みとることも可能だ。
同時にこれは、全国革新懇がかかげる3目標とも共通している。
立憲主義という一致点で〝違憲包囲網〟をひろげにひろげていくとともに、立憲主義の理解を厳密に「近代立憲主義」としての共通のものとして高めていくことが、今後の運動の前進にとってきわめて重要である。
その意味では、勤労者通信大学の各コース(入門コース、労働組合コース、基礎理論コース)のはたす役割は非常に大きいといえる。
現行コースでは、立憲主義については基礎理論コースが最もくわしく、かつ深い学習ができるが、入門コースにおいても、簡潔ながらもその核心についてはしっかり記述されているし、労働組合コースでも立憲主義はきちんと位置づけられている。
国会内での「数の力」をタテに強権的な態度でルールを無視し、横暴きわまりない政治を展開しつづける自公政権。
「安保法制(戦争法)の廃止と立憲主義の回復」が共闘の〝一丁目一番地〟であるのは、ルールをきちんとまもる政治をとりもどすために、きわめて重要な意味をもつ。
「市民と野党の共闘」という新しい統一戦線運動の混迷を打開するためにも、この点を握って離さないことがもとめられる。
自公政権を倒し、〝私たちの政府〟を実現するために、〝知を力〟に、ともにがんばろう!
(2025年9月16日記)
