宇多田ヒカル『letters』置き手紙でしか会話できなかった母娘 【共感覚レビュー♯02】
もう23年前になるのですね
本日のテーマは2002年の大ヒットナンバー
宇多田ヒカル "letters"です
まずは聴いてみてください。
聴き終えましたか?
あるいはもうご存知かもしれませんね。
これを多くの人が「壮大な恋愛ソング」だと思っているかもしれません。
でも、それは天才宇多田ヒカルによるカモフラージュです。
19歳のヒカルが、母・藤圭子に向けて書いたこの歌は、「言葉を交わすのが苦手な君とは置き手紙での対話であった」という、あまりにも悲しい真実を隠しているのです。
病に苦しみ、感情のコントロールを失っていく母。
直接会話することが叶わなかった幼き娘。
二人の唯一の接点が「置き手紙」だったのです。
この曲のサビに込められた「絶叫」の意味、そして「天才の代償」として生まれたこの作品の深層を見ていきましょう。
藤圭子という母
宇多田ヒカルの母、藤圭子。
幼い頃から浪曲歌手の父と三味線瞽女(盲目)の母に同行し、旅回りの生活をしていました。小学校にも満足に行かせてもらえず、勉強好きで成績優秀でしたが、貧しい生活を支えるため高校進学を断念しています。
「中学3年生になると放課後は母に連れられて健康ランドで家族総出で働いていた」
「貧しくて、家族が総出で"仕事"をしなければ、とても食べていけなかった」とも語っています。
彼女は、とても長い間、精神の病に苦しめられていました。
「幼少期から、母の病気が悪化していく姿を見ていて、症状の悪化とともに、人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、感情や行動のコントロールを失っていきました」
と宇多田ヒカルは証言しています。
娘の毎日を支配したアミダくじ
今日選んだアミダくじの線が どこに続くかは分からない
おそらく藤圭子の機嫌を象徴しているのでしょう。
今日の母はどんな状態だろう?
まともに会話できるのか。 怒られるのか、泣かれるのか。
症状の悪化とともに、感情や行動のコントロールを失っていく母。
幼い娘にとって、毎日が アミダくじ。
今日の母を予測しながら親子の在り方を探していたのかもしれません。
置き手紙でしか会話できない
会いたいけど会えない。 会えても、まともに話せなかった。
だから、置き手紙。
地方回りで不在がちで、 感情のコントロールができない母。
話せば病状が悪化するかもしれない。
だから紙に書いて残すしかなかった。
言葉交わすのが苦手な君は いつも置き手紙
母娘なのに、置き手紙でしか会話できない。
幼いヒカルは小さな手にペンを握りしめ、紙いっぱいの返事を考えていたのかもしれません。
母の帰りを心待ちにしながら。
サビに込められた絶叫
ああ 夢の中でも 電話越しでも ああ 声を聞きたいよ
手紙ではなくて、直接、母の声を聞きたい。
まともに会話したい。 普通の親子でいたい。
ああ 少しだけでも シャツの上でも ああ 君に触れたいよ
抱きしめてほしい。 触れたい。 でも触れられない。
幼い子供の、純粋な愛への願い。
でも叶わない。
まるで愛に飢えた娘の絶叫がひしひしと伝わってくるかのようです。
サビの魔力
サビは揺れている?ような、どこか不安定な感じがあるのですが、すごくフックがあって引き込まれてしまいます。耳を澄ますとこういう仕掛けがあるように思えました。
メロディラインは不安定で内面の嵐を表現しているかのよう。
声を聞きたい、触れたい、でも叶わない。
愛の渇望への叫びがボーカルに乗って届きます。
一方で、パーカッションでは明るい表面の期待を予感させます。
きっと帰ってくる。 「必ず帰るよ」って書いてあった!
信じたい、幼いヒカルの気持ちが込められているように曲を盛り上げます。
ベース、バスドラムは幼いヒカルの耳に入る音のようにも聞こえてきます。
ドクン、ドクン、緊張しながら母を待つ娘の鼓動と帰ってくる母の足音。
「来る、来ない、来る、来ない...」
幼いヒカルは耳を澄ましてずっと帰りを待っているのです。
ああ 両手に空を 胸に嵐を
両手を空に広げて希望を、でも胸の中では感情が嵐のように暴走している。
渦巻く期待と不安。
19歳のヒカルは、それを音楽の構造そのものに埋め込んでいたのです。
「必ず帰るよ」
「憶えている最後の一行は『必ず帰るよ』」
これ、母が書いた最後の置き手紙だったのかもしれません。
地方回りで不在がちな母。 置き手紙に「必ず帰るよ」と書く。
でも予感していた。いつか帰ってこない日が来るかもって。
悲しい知らせの届かない海辺へ
幼少期から、母の病気が悪化していく姿を見ていてたヒカル。
悲しい知らせ(死別)
それが届かない場所へ行きたいとの思いが彼女を海へと駆り立てたのかもしれません。
Tell me that you’ll ever leave me
Tell me that you'll never ever leave me
Then you go ahead and leave me
「必ず帰るよ」って書かれていた。
なのに帰ってこない。
lettersがリリースされたのは2002年、藤圭子が転落死したのは2013年8月22日のことでした。
11年後、母である藤圭子は本当に帰ってこなくなってしまったのです。
これは19歳のヒカルが書いた予言であり、誰にも言わずうちに秘めていたことなのかもしれません。
リリース当時、ヒカルは「男の子の目線で書いた」とラジオで語ったようです。
しかし、それは偽装。
その真実は、
愛に飢えた娘とそれを叶えてやれなかった母との悲しい物語だったのです。
逃げ場としての文学『Deep River』の着想
lettersはアルバム"DEEP RIVER"に収録されており、遠藤周作の小説「深い河」にインスパイアされています。
宇多田ヒカルは大変な読書家であり
「文学は永遠に私の情熱」
「本は財産。服より本の占めるスペースが多い」と語っています。
同時に辛すぎてどうにもならない現実からの逃げ場が、本の世界だった。
とも。
母と話せない孤独。 置き手紙でしか繋がれない。
だからこそ文字の世界に安らぎを求めていたのでしょう。
遠藤周作「深い河」のテーマは、喪失、魂の生まれ変わり、無常観。
ガンジス川のように、人生という深い河の流れに自らと母への思いを託していたのかもしれません。
引き換えにされた「普通の会話」ー天才の代償
もし藤圭子が健康で、普通の母娘だったら。
置き手紙文化のやりとりもなく、逃げ場としての読書も必要なかったことでしょう。19歳でlettersのような深い歌も、書かなかったかもしれません。
でも、その代償として、痛みを音楽に変換する天才、宇多田ヒカルが誕生したのです。
置き手紙の叫び
小さな手に握ったペン、届かぬ声を乗せて――置き手紙でしか交わせなかった母への想い。
lettersは、19歳のヒカルが放った、母への愛に飢えた叫びです。
その叫びは世界中の耳に届き、愛としてそっと紡がれていきました。
しかし、
その代償はあまりにも大きく、
親娘の「普通の会話」は叶わなかったのです。
あなたなら、
この歌の中で、どんな声に耳を澄まし、どんな温もりを手に取りますか?
あとがき
この記事は、宇多田ヒカルのインタビューや公開情報(例:2002年ラジオ発言、2016年NHKスペシャル)を基に書きました。ただし、「置き手紙の内容」や「必ず帰るよ」のエピソードは、歌詞と藤圭子の背景からの個人的な推測を含みます。また、作曲についても知識を持ち合わせていないため、あくまでも個人的な解釈に留まります。
最後まで読んでくださってありがとう。
あいしてる!
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