月干支の暦月と節月の違い
ちょっと今回面白い比較がとれそうだったので書くことにした。
旧暦→弥生21日
日干支→辛巳
月干支→暦月甲午・節月癸巳
旧暦→皐月22日
日干支→辛巳
月干支→暦月丙申・節月甲午
皐月22日は明日で
弥生21日は60日前です。
でね
ここで気になったのが日干支は同じ辛巳。
だけど月干支にいる甲午が
暦月と節月という違いがある。
これがどのように変わるのか読み解いていきます。かなり働き方が変わりますからおもしろいですよ。
私は
暦月=地(現実・肉体・環境)
節月=天(目的・方向性)

として見ています。
これは1年半以上毎日観察し続けて
確信した独自の理論です。
古典などには全く書かれていませんし、
多分ここまで見てる人はいないとおもいます。
だから私の独自の視点でいくと
こういう見方になります。
弥生は暦月(地)にある甲午
皐月は節月(天)にある甲午
弥生21日(暦月:甲午)
地(現実)は甲午
地だから現実そのものが甲午になる。
毎日の生活そのものが「育てろ」 「伸ばせ」 「枝葉を広げろ」という環境になる。
だから辛巳もその環境の中で「もっと育つように磨こう。」となる。
甲は大樹。午は真昼の太陽。
つまり、「育てる」「大きく伸ばす」という環境。その中に辛巳が入る。
辛は宝石。巳は脱皮。だからこの時の辛巳は、育っている木を美しく剪定する職人のような働きになる。
つまり、「何を育てるか」より、「どう育てたらもっと美しく伸びるか」を見る。
だから弥生の辛巳は育成・洗練の意味が強い。
一方で今は暦月である地(現実)は丙申。
丙は太陽。
申は成熟した金。
つまり社会・技術・経験・知恵を現実で使う環境。
節月である天は甲午。
甲午は方向性になる。
だから、「育てる環境」ではなく、「どこへ向かいたい?」という目的になる。
そこへ辛巳が入る。
すると辛はもう磨くだけじゃなく、完成品として価値を放つ方向へ働く。
だから今の辛巳は「育てる」より
魅せる、活かす、価値として世の中へ出すがテーマになる。
だから同じ辛巳でも
弥生なら育てるために磨く。
皐月なら目指す姿へ近づくために磨く。
という違いがでてくる。
暦月は肉体。 節月は魂。
肉体は勝手に環境の影響を受ける。
でも魂は「どこへ向かう?」を決める。
ねっ?こうやってみるとおもしろいでしょ?
毎日変わらないなぁ〜とか感じててもでもちゃんとかわってるんだよね。
こういうのが掴めるようになるから
命理はおもしろいんだよ😄
