子どもと過ごす時間は量なのか? 質なのか?それともなんなのか?命理で読み解く人生の問い #001
そもそもなぜこの問いが出てきたのか??
わたしもそうですけど子育てしていて、
専業主婦、社員、パート、アルバイト
いろんな働くカタチがあるかとおもいます。
わたしは月2だけ今仕事していますが
働くということについて、仕事量を増やすことに対してすごく悩んでいます。
例えば我が家は小学生5年生、4年生、
幼稚園年中と3人います。
習い事は水曜日、木曜日、金曜日、土曜日で子どもが時間が空いてるのは月曜日と火曜日になります。
私の場合日曜日月2が仕事。
残りは主人が釣りでいないことが大半しめています。土曜日も隔週ですから休みの土曜日も大概釣りでいません。
年中の娘は喘息持ちで、そんな頻繁にはないですが、一度咳出すと上二人と比較すると
圧倒的に拗らせる率と長引く傾向にあります。なので幼稚園とかも頻繁に休むし、昼間に仕事するのは非常にリスクになります。
実際やってみたのですが
なぜ仕事の日に熱出すかな?拗らせるかな?ってなぐらい見事でしてあえなく平日仕事するのは諦めました。
ただ私にも働きたい意志はあるものの
現実問題でハードルが高く、夜に的を絞ったものの主人に夜勤があるのでそれがアウトで面接落ちました。
親の協力が得られるかといえばそれは無理な環境ですしね。
これって言い方変えてね、
悪く言えば『全て自分のやりたいことを犠牲にしてる』ともいえますよね?
主人と同じ土俵に立てるなら立ちたいのもあります。私が望む職業はサービス業で土日は絶対駆り出されるし、営業もありますし、
社員でないと無理なんですよね。
昔客だったのと私が特殊な資格を持っているので、スカウトされたことあるんですけど聞いててこれは子育ての両立は確実に難しい。っておもったので御縁がありましたらお願いします。と断ったことあります。
要するに無理をすればできなくはないんですよ。どこに比重をおいてるかなんですね。
そして私は育児をはじめてからその比重を
『子どもと過ごす時間』をなによりも大切に扱っています。
ですから自分の時間を子どもと過ごす時間に変換してるわけです。
でもねそろそろ子どもたちも少しずつ
自分たちで過ごす時間が増えてきて
親と過ごす時間は少しずつ減ってきてるわけです。まだ時間差で年中の次女は手がかかりますが。そして実際私も年齢を重ねてますから壁がでてくるわけです。年齢という壁が。
外で働きにいきたいと望むには
制約の中で雇ってもらうには難しい年齢になってきてるわけです。
その時に一番に悩み事の最前列に出てきたのが『子どもと過ごす時間は量なのか?質なのか?それともなんななのか?』
これをなぜ悩むのか?
一般論、心理学などはなく
生命の流れ、命理としての背景から読み解いていきます。
生命の流れでみる、なぜ悩むのか?
子どもとは
『生命が次の世代へ受け継がれていく現象』つまり、『生命をどう育てるか』という問いになります。
長女を産んだ直後『この子は神様からの預かりもので私は今から神を育てないといけない。どうしましょう?』ってほんとに瞬間的に思ったのを鮮明に覚えてます。
お腹の中にいるときはそこまでわからなかったんですけど出た直後に顔をみて抱いた瞬間にそれがパッと浮かんだんですよ。
『責任』と『使命』みたいなものなのかな?と自分ではおもってるんですけどね。
・自然界でみると
例えば木。木は芽吹いてから、
365日24時間ずっと枝を伸ばしているかというとそうではない。
春に一気に伸び、夏は葉を広げ、秋は実をつけ、冬は休む。
でも、冬だからといって生命活動が止まっているわけじゃない。根は生きている。
生命は「常に同じ関わり方をしない。」
成長と季節に合わせて関わり方が変わっていきます。
・これらを十二運でかさねていくと
長生はまだ命が生まれたばかり。寄り添う時間が必要。
沐浴は世界を感じ始め、少し手を離す。
このあたりは次女。
冠帯は自分で立とうとする。親は全部を手伝わない。このあたり長女、長男あたりかな?
建禄は自分の領域に責任を持ち始める時期
自分で決めていくことが増えていくから
思春期にもあたるかな?中学生とか高校生ぐらいのイメージ
帝旺は外の世界へ出る。親がずっと横にいることは、生命の流れに逆らうこともある。
こうやって十二運を見ると、生命は「距離」を変えながら育つ。だから命理で見ると、
この記事のテーマ量か質かということがこたえじゃない。ってことがみえてくる。
「今、この生命段階では、どんな関わり方が自然なのか。」という問いになるだよね。
・干支で見ると?
例えば、子の時間は生命の核を守る。
午の時間は外へ大きく発散する。
だから、子どもが幼い頃と、中学生では、同じ「一緒にいる」が正解ではない。生命の流れそのものが違う。
だから私は今二重の流れにいる。
長女、長男は年子ですからほぼ同じ流れ。
次女はまだ2人とは違う流れにいる。
子どもの時間に比重を置いてる限り
この命理からは外れられない。
上二人だけ見れば「もういいよ。ママはたまにそばにいて見てくれたら」なんだけど、
次女だけは「まだ私を見て、傍にいてほしい。」っていう流れにいるのね。
ここで命理が答えること
命理が教えてくれるのは、生命は成長段階によって必要な関わり方が変わる。という自然の法則。だから、「量か質か」という二択ではなく、『今、この生命には何が必要なのか。』これを読むのが命理が教えてくれてること。
そしてね今回は細かいことは少し省くけど命式を読み解いていくとねこういうことが見えてくる。
時間を土台にして、子どもごとに関わりの密度を変えること。
私は甲午だから、子どもと日常を共有する量は必要。それを全部「質さえ良ければ短くていい」に置き換えると、納得できないし、長女の丁酉にも、長男の辛丑にも、日常的な安心が足りなくなりやすい。
けれど、量を「常に世話をする」「いつも相手をする」「自分を全部差し出す」と解釈すると、甲午の木が火を生みすぎて枯れてしまう。先ほど言った犠牲という概念ね。
したがって、命理から出る答えはこうなる。
私は子どもと一緒に過ごす時間の量を大切にしている。ただし大切なのは、すべての時間を子どものために使うことではない。同じ生活の流れを共有しながら、それぞれの生命に必要な距離で関わることである。
丁酉の長女には離れていてもつながりが途切れない時間。
辛丑の長男には管理ではなく安定して繰り返される時間。
戊申の次女には一緒に始めて、離れて、再び戻れる時間。
そして甲午の私は
子どもと暮らす時間を守りながら自分の木を育てる時間も残すこと。つまり水の時間だね。
今日からできる小さな一歩
自分の時間に戻れる時間を15分でも確保する。朝、昼、夜で15分確保できたら
45分はエネルギー充電できます。
私だったら
お茶飲むのが好きだからその時の気分に合わせて好きなマグカップでその気分に合わせたお茶飲んだり、自家製酵素ジュース飲んだりできるし、私はノートに書くことが好きだからノートに今の考えとか想いを書いたりすることが自分の根に水をあげ続け、自分という甲が午という火に燃やされないようにするための方法かな?って思います。
さいごに
子どもと過ごす時間は量なのか?質なのか?それともなんなのか?
この問いについての答は
私からしたら量と質という単体のこたえではないとおもいます。
ちなみに量というとは密度であり時間。
質というのはつまり一般論では「一緒にいる時間」よりも、「その時間の中でどんな関わりをしたか」が質と考えられています。
こたえとしてだすならば
子どもの成長にあわせた量(密度)と質(関わり方)そして
自分の命式と子どもの命式に合わせた時間が
子どもとの時間の過ごし方だと、
今回私は悟りました。
そして働くといことについても
まとめるならば
『自分の根を失わない働き方を模索する』っていうのが今現段階の私の答えになります。
だから私はこれからも、人生の問いを命理という船に乗せて、一つずつ読み解いていこうと思います。
