時間と季節は生命の流れである
時間の概念という記事を
もう一つのアカウントかいたことが
あるんですけど
東洋思想と西洋思想では決定的に
時間の概念が違います。
簡単にいえば
西洋は一直線。過去→現在→未来。
西洋は円環。過去🔁現在🔁未来🔁
時間というのは
時計みてもらうとわかりますが
円になっています。
しかも綺麗に12で分割されています。
なのになぜか生活は円環ではなく
直線になっていることに
気が付きませんでしょうか??
一方通行にすすんでるように
感じてしまいます。
なぜならば時間に追われる生活が当たり前のように生活しており、
時間は生産と消費だという視点が強いからです。
そして時間の概念というのは
未来にしか視点がいかず
『今』が見えにくくなっています。
『今』という現在地点が確認できない
むしろしようとせず
未来や夢を見ることを『正』としてるので
『今を生きる』ということが結果わからなくなります。
本来體の感覚というものは実際の時計のように動いてません。
未来は『今』にかかってるわけです。
だったら『今』の時間の流がれが
どういう季節、時間、自然界では何が起きているか、生命は何をしているか、人に置き換えるとどう見えるか。
という視点でみていくと
時間の流れが生命の流れとして見えてきます。
肝心なのは
『今自分がどういう生命の流れの中』にいるか?ってことなんですね。
小さい視点から大きい視点で落としていくことで徐々にわからなかったことが
わかるようになってきます。
私の小さい視点は『個人の生命の流れ』
大きい視点は段階がありますが
日→月→年です。そしてまた反対から
年→月→日→個人におとしていくことで
なんとなく體の時計が自然の時計と合わさっていくんですね。
時間を生産と消費として捉えるか?
時間を生命の流れとして捉えるか?
わたしは生命の流れとして捉えてるので
次の記事からまずは日本は
昔時間は地支つまり十二支で捉えていたので
そこを1つずつ紐解いてまいります。
