活動をしているのに否定?
実は
障害学と、いうものに
やや抵抗を感じていたのです。
当事者が社会運動を起こせるところに
いる人間と言うのは
比較的、「自らで権利主張」ができたり
その、「団体」だったり
「熱心な親」や「親の団体」が多く
抗議という形で社会を賑わす傾向が
あるからです。
では、アタシは賑わして来なかったのか?
と、いうと
そうではなく
個人宅レベルで地域の障害福祉課や
教育委員会
更には髪の毛刈り上げて
東京都庁にまで乗り込んで噛み付く
と、言うことをやってきた人間なので
どちらかと言うと
当事者意識と権利主張は強い方です。
ではなぜ、今の今まで
当事者団体の行動やアカデミックな物に
触れようとしなかったのか
考えてみた。
さらに言うならば
仕事においては行政に対し
数々の交渉を行い、場合によっては
法の拡大解釈により
門徒を開いた場面すらあるのに
何故、ここを学問として
捉えて来なかったのか?
1:各、当事者団体の活動内容や抗議内容が
自分の主張と微妙に違った。
2:ひと握りではあるが
抗議そのものの歴史がとても
過激に感じていた。
(教育委員会いや、おま、ひとのこといえんよ?)
3:そもそも、所謂、一般的な生活とは
仕事もプライベートも遠のきすぎて
この世界が当たり前すぎて学術研究という
意識がぶっ飛んでいた。
と、言うことが
あげられるということに気づいた。
そしてアタシはたぶん
この学問に対して批判的な立場なのだな
と、感じたわけです。
つまり、社会モデルが
もっともっと広がって当たり前になり
障害学なんて言葉がなくなることが
あたしの理想とする世界なんだな…
と、改めて思ったのです。
おたがいさま
おせっかい
当たり前になりますように…
そして、あたしが北海道(実家)に
近寄らない理由も
多分(っていうか絶対)この辺に
あるのである。
まぁ、また、その話は
後々に…
