しんどいティーン時代の話
前回のお話「生まれる前~幼少期」
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続きです。まだまだ暗い時期。
思えば、まるで綱渡りみたいな人生でした。
根暗が加速する中学時代
タイムリーなのですが、ちょうどつい先日、実父が唐突に昔の私の写真を持って遊びに来てくれて、その中に中学校の入学式の写真など、中坊時代の懐かしい写真が幾つか入っていて、すごく"嫌な気持ち"になりました。
エモいとかじゃない。
ごめんなさいお父さん。
母と離婚した後も、私の中学入学式やら海外の短大卒業式やらに来てくれたり、現在に至るまで常に私を気にかけてくれる実父に対して申し訳無くて情けなくなるのですが、中学時代のスナップ写真は父の帰宅後に内緒で捨ててしまいました。
…本当に見たくなくて、嫌悪感が凄いのだ。
今の自分の容姿を割と気に入っている分、古い自分の醜い姿を思い出したくないのと、純粋に惨めったらしい生活の記憶が蘇って辛くなるから要らないのだ。
不細工な上に貧乏暮らしなのでダサくて、どれも暗い表情で笑ってもいないし、写真としても全く良くない。
そんな物を何十年も残されてもただただキツい。
勘弁してくれ。
勿論悪いと思いながらも、私は古い写真や子どもの頃に描いた自分の絵を親が勝手に取っておいている事に前々からガマンできなくて、気付いた時に勝手に処分してしまう癖がある。
卒アルなんてもってのほかで、見たくなさ過ぎて棄てた。
暗い思い出は出来るだけシャットアウトしたいので、同級生の名前ですらほとんど覚えていない。
(人との関わりが少なかったというのもあるけど…)
昔の写真と下手な絵は、見ていて本当に最低な気持ちになる。
今では私も人の親だし、子どもの写真や作品を取っておきたい気持ちは十分理解できるのだけど。
しかし、私のように子ども自身がひどく捨てたがってるならそうするか、本人の目に入らない場所に保管するくらいはして欲しいものです……。
って、我儘だけどさ。
ねぇ。
とにかく、それほどまでにこの時代は自分にとって闇の時期だと思ってるし、景色も周りの人達もあまり思い出したくないし、何よりも写真に映る小学校高学年~中学生の頃の自分の醜さが本当に見ていられない。
むっちりとした身体に野暮ったい顔、大して外には出ていないのに周りの誰よりも日焼けした肌。
地元は、大人になってからも一度も帰っていない。
子どもの頃、特に中学までの時代を嫌っている私だが、いずれの時期も不登校に一度もならずに登校を続けた事は褒めて欲しいものだ。
当たり前だろうか?
私は学校も地元も大嫌いだったから十分頑張ったと思うけど。
この中坊時代はとにかく暗い日々で、記憶も年々薄くなってきているし、あまり無理には思い出したくないくらいだ。
今と全く違う風貌、違う性格。
言ってしまえばとてもとても暗い黒豚だったので、男子からもブスといじめられた。
小学生の頃はまだコドモとして許されていた感じが無くなって、自分や周りの身体も大きくなり、誤魔化しが効かない。
どうしようもない自分が社会からも浮き彫りになる。
私は考え方だけでなく容姿も喋り方も不細工で、担任教師からも若干冷遇されていた気がする。
せめてもっと性格が明るくてハキハキ喋れたら、周りからの扱いも若干変わっていたんだろうなと思う。
クラス内の空気を良くするために行われた、「ひどい事をされた経験を打ち明けて解決策を話し合う会」みたいな時間があった。
アトピーがちょっとあって、他者に冷たい目で見られている気がすると涙ながらに話す運動部一軍の女子は、周りや教師からいたく同情された。
やがて自分の番になり、私はいじめられた経験談(日々暴言を吐かれたり馬鹿にされたり机や椅子を蹴り飛ばされたり)と、自分の新しい苗字をバカにされる事が実はずっとイヤでしたと泣きながら話した。
しかし何故か教師は、そりゃしょうがないからなあ、といった薄い反応で私の番を終わらせた。
……なんだそりゃ。
アトピーを馬鹿にするわけではけして無いが、あちらはいじめられてもいないし友達や理解者のケアもたくさんあるのに。
実際にいじめに遭っている自分はどこまでもナメられるんだな、と唖然とした覚えがある。
勿論何も言えなかったけれど。
私の場合は、女子よりも男子達からいじめられる事が多かった。
ヒエラルキー的に陽キャ女子達とあまり関われなかったため、似たりよったりな漫画アニメゲーム好きな子と関わる事ばかりで、同性間でイジメは発生しなかったのだ。
後述するが、中学時代の男子生徒達の態度は酷かった…。
中1の頃は、学校での居心地があっと言う間に悪くなり、ますます放課後と週末のネットサーフィンやゲームにのめり込んでいった。
それと、小学校高学年からいきなり不登校になってしまった同級生の近所の女の子の家で、中学生になってからも継続して遊んだりした。
会話は弾まないが穏やかで優しいサブカルっ子だったので、よく2人でボーッと寛いでゲームをした。
全然喋らないので親友というほど打ち解けてはいないが、互いに当たり障りのない穏やかな付き合いが出来たので、ちょくちょく会い続けていた。
今思えば少しだけ不思議な関係だった。
彼女は当時、お喋りが苦手で身長が平均より高いくらいで他の女子とそこまで変わらないように見えたが、内面は非常に繊細だった。
自身のクラスの担任との間に何かイヤな出来事があったらしく、いつしか殻に閉じ篭ってしまっていた。
(頻繁に会っておきながら、センシティブな出来事の内容を訊ねる事はとうとうできなかった…。)
自分からどんどん孤立していき、小学校の終わり頃には保健室登校も辞めて完全に学校へ行かなくなっていた。
先生に言われて私がプリントを持って行ったり声を掛けたりと、次第に世話を焼くようになったのだ。
彼女のご両親は周りの親より一回りくらい歳をとっていて、恐らく遅れて生まれた一人娘を溺愛していたし、おじさんもおばさんも共にとんでもなく優しい人達だったので、娘本人には何も強く言えずに同じ状況が何年も続いてしまったものと容易に想像ができた。
無理に学校には行かせないが、学校側と争って事を荒立てたりもせず、娘に社会復帰の道や将来の就職・自立に繋がる事も特には用意せず何も強いず、好きなだけ家の中で遊ばせ、娘の欲しがる物やペットは何でも与える……といった感じ。
でも、おばさんが有名なスピ系の先生に相談したとか何とかで娘の名前を途中で改名したり、家族で瞑想をしたり、娘を気功の先生の元で少しだけ修行させたりと、何故かそんなに現実的では無い方向には行動力があったと思う。
…いや、ご一家にとって大事なことだったのだろうし、誓って全く馬鹿にはしてないけど、「そっち?」と驚くような行動が当時多かったような。
変な宗教にはハマらなくて良かったと思う。
とにかく驚くほど優しくて純粋な親御さんだった。
(その結果、彼女が10代の時どころか、おじさんとおばさんが定年退職して何年も経った後ですら社会復帰せず小学生の頃とほぼ同じ生活を送っていたらしいが…。)
ただ、娘にだけでなく娘の唯一の友達である私までたっぷり甘やかしてくれるので、ガキだった頃の私は、このご家庭が純粋に好きだった。
小学校の終わりにはプリントを渡しに行く日にいつも美味しいおやつを用意してくれたし、登校を呼びかける為にほぼ毎朝訪問していた時も、「おばちゃんが先生に言い訳しておくから、のあちゃんも今日だけ学校行かずにずっとここにいよっか?」と言い出して、実際ご自宅で夕方までVIP待遇を受けるという日まであった。
すごいね。
お部屋に通された後はずっとゲームしたりアニメの話をしていただけにしろ、他のクラスメイトと違って自分の娘としょっちゅう長く関わってくれるのが本当に嬉しかったのだろう。
お陰で2人で籠って遊べて、ハイペースでキングダムハーツやFFXもクリアしちゃったよ……
私の方は、シンママでたまにヒステリーを起こす疲れた母親と二人暮らしの鍵っ子だったため、こうして彼女の広い一軒家のおうちでデロデロに甘やかされるのが癖になりそうだった。笑
あと、PS2が置いてあるからずっと楽しかったな。
そんなに互いに踏み込まない上辺の仲とはいえ、アニメとゲームと漫画の話がいっぱいできるので、彼女自身のことは勿論好きだった。
おまけに、何でも肯定してくれて甘やかしてくれて、都度おやつや美味しいお夕飯をめいっぱい振る舞ってくれるわりと裕福なおじさんとおばさんがいる暮らしが魅力的過ぎた。
私からしたらそんなお家は有り得ないくらい羨ましいが、きっと隣の芝なのだろう。
逆にこうしたご家庭に生まれなかったからこそ甘ったれずに生活力も身についたと思うから、結局貧乏暮らしでも良かったのだろうか。
中1の頃にはすっかり家族ぐるみの付き合いになり、おじさんとおばさんはたまに焼肉までご馳走してくれたり、あちらの家族旅行に招待してくれるようにもなった。
他県のなかなか良い旅館に4人で泊まったような気がする。
なんか、色々とすごい。
我が家は長らくシングルマザーの家庭だったので、この頃に贅沢ができたのは彼女のお家でだけ。
少々複雑な気持ちもあったが、違うご家庭の中で好かれるというのは照れくさいながらも嬉しかった。
依存はしなかったが、普通の友達感覚で彼女と会い続け、彼女のご両親から何か頂ける際にはたまのご褒美くらいの考えで、単純にハッピーだった。
私の母は毎回お礼をするのが大変で疲れ切っていたけれど…。
(ぜいたく言わんけど、母には焼肉屋さんなんて一度も連れて行ってもらった事なかったよ…!)
彼女はご両親のはからいで小学校の同級生が居ない遠くの中学に入学していたのだが、中学生になってからも全く登校できなかった。
結局新しい環境も嫌がってしまって、電車を乗り継いでの登校も難しかったらしい。
優しく穏やかな内面は全く変わらなかったが、基本トイレ以外で自室からもほとんど出ない生活を送り続けた為か、途中から歯がすごく汚くなって、顎の筋肉が衰えたせいか顔立ちも変わっていき、髪もボサボサで引きこもりらしい雰囲気が何年にも渡って身に染み付いていったのを覚えている。
そんな彼女は、付き合いの歴としては幼馴染とは呼べないかもしれないが、そのワードを聞いて私が真っ先に思い出す存在である。
しかし、のちに私が母と海外へ渡ってからも数年間連絡を取り合っていたのだが、21歳くらいの頃に彼女の方から文通が途切れ、ゆっくりと縁も途絶えてしまった。
成人後も、なんなら今現在も実家でひっそりと引きこもって暮らしているらしい。
(現状に関しては母の知人が教えてくれて知った)
おじさんとおばさんは定年退職して10年そこらは経つ筈だし、長生きだったおじいちゃんおばあちゃんも亡くなった。
学歴も就労の経験もパートナーもなく、これから彼女はどうなるのだろう…。
もっと時間が経てば一人ぼっちになるのだろうか?
とはいえ、30歳を過ぎてようやく友達ができたり電車に乗って出掛けられるようにもなったと風の噂で聞いたので、もしかしたら悪く想像するほどの暗い未来は迎えていないのかもしれない。
ゆっくりだが、進んでいるのだ。
彼女のペースで前進できているのは素敵な事だ。
まだ関わりがあった頃、おばさんから電話で、「のあちゃんにもし彼氏さんがいるなら、あんまり刺激したくないから恋愛の話はしないでやってくれるかな…」と細い声でお願いをされた事が尾を引いていて、結婚したり子どもが生まれたりしてから余計に関わりづらくなってしまっていたのだが、もしかしたらまた30代後半、40代、50代と続いていく人生の中でいつか、自然なムードで再会できる日が来るかもしれない。
(ないかもしれないけども。わからん!)
ちょっと脱線してしまったが、中学校の頃に話を戻そう。
自分も人の事は言えないけれど、中1の終わり頃から、明らか痛いオタク女子や腐女子達も周りに増え出した。
コスプレを始めたのを見てもらいたくて自分のNARUTOキャラの低レベルなコス写真をわざわざ印刷して持って来たり、同人誌を学校に持って来たり、デカい声でBLまたは夢小説ネタを叫びまくるはた迷惑な腐女子もいた。
この子達と同じようにますます周りからキモがられるのだけは避けたくて、自分はオープンには萌えを叫べなかった。
しかし、学校以外では漫画ゲームネット三昧だったので、頭の中では好きな作品やキャラの妄想ばかりしていたし、それが自分にとっての生き甲斐にはなっていた。(語る相手は少なかったけれど)
しかも自分の場合は男性キャラでなく、女性キャラが好きだったのだ。
腐女子や夢女だらけの周りのオタク女子達とは趣味がそこまで合わない。
ハマる作品によってツボは微妙に変わるけれど、大体「可愛い」「周りから好かれる」「ちょっとだけお色気あり」な女の子キャラがタイプだった。
目覚めはTVで一瞬観たゴクドーくん漫遊記のルーベットちゃんだったかもしれない。
って、ゴクドーくんに関しては少しだけ世代がズレるので、当時はお兄さんお姉さん向けアニメだと思い、親に内緒でごくたまに録画をする程度(めっちゃムッツリだった笑)で、本編をちゃんと視聴できてはいないのだが。
ネットで情報を仕入れて好きになった感じだったかな。
そして唐突に健康セクシーヒロインにハマるのだが、大御所なところで言うと、やはりワンピースのナミさんが大好きだった。
何年生の頃か忘れたが、今で言うパッケージや箱で販売されているワンピースカードではなく、アニメ版の絵柄のワンピースのカードが近所のスーパーなど常設してあるガチャガチャで引けた。
(軽く調べたけど商品名判らず…)
ある時、同級生のゾロ推しの女子がナミさんのキラカードを引き当てた。
持たざる者である私は嫉妬しまくって、こっそりガチャガチャを可能な範囲で回しまくった。
なけなしのお小遣いが全て溶けてもナミさんは出ず、おまけに母にワンピカードの束が見つかり、また同じ事するなら二度と遊びに行かせないから!!と大激怒され、ただでさえ少なかった小遣いも余計に無くなり、踏んだり蹴ったりだった。
まあそれくらい好きだったのだ。単純に。
同級生や周りの男に何も魅力を感じないが、二次元ヒロインには惹かれた。
すごく可愛く、美しく見えた。
あと、当時絵柄が尾田っちに似たりちょっと似なくなったりと忙しなかった真島先生のRAVEはアニメをたまたま観てからどハマりしてしまい、エリーが本当に大好きだった。
明るくてエロ可愛くて天然でおっぱいでかくて戦えるヒロインという事で、今にして思えばこんな太陽みたいな存在になりたいという意識の裏返しだったのかもしれないが、とにかくエリーの為にRAVEの単行本も買いまくった。
何年もかけてだが、少ないお小遣いでなかなか頑張ったと思う。
意外にも二次元女子のおかげで辛い現実を乗り越えられていた私。
しかし、中2くらいからだったと思うのだが、運悪く中学が私達の代から荒れ始め、周りに不良校認定をされてしまう。
ガチ不良校とまではいかないが、雰囲気は最悪。
学校近くの壁は一部だけボロボロになり、周辺民家の塀は落書きもされ、酷い有様だった。
私は完全に学校と地元に愛想が尽きてしまう。
確か途中で少年院に入った同級生男子も一人だけ居たと思う。
嫌なムードで、ますます勉強に集中できなかった。
記憶が曖昧なのだが、中学時代の真ん中辺りはそんな感じだった。
(どんだけ忘れたいねん…)
ルサンチマンは二次元で浄化
部活動は、学校に何故か文化系の部がほとんど無かったために帰宅部。
運動系なんてまず無理。
小学校の頃に、走れブタ!と男子に言われてサッカーボールを意地悪で遠くまで蹴られてから、大人数でのスポーツは気分が悪くなるほど嫌いだった。
おまけに中学の運動部のキラキラ女子達に馴染める訳もなく、帰宅部一択。
まあ、最初先生に言われて1年生のちょっとの時期だけ吹奏楽部に渋々入った事はあったのだが、ちゃんとした楽器は初めて触るので0から学ばないといけなくて、物覚えの悪さから全然楽しめなかった。
中学入りたてで先輩との上下関係の厳しさを知って怖かったし、なんで授業全部終わった後まで辛い時間が続くんだろう?と考える日が多かったような気がする…。
しかも帰宅後は真っ暗。
早く帰って一人になりたい、ゲームがしたい、とこっそり泣いてしまうほどで、発表会をかろうじて終えた後は即帰宅部になった。
勉強と学校行事はライトないじめのせいで余計に嫌いになり、中2の大事な時期も、成績は1だの2だのが多くて本当に酷かった。
不器用かつ頭の悪い子どもが私。
母が焦って塾、英会話教室、家庭教師をそれぞれ違う時期に通わせたり頼んだりしてくれたのだけど、それでもやる気は起きなかったし学力も一向に上がらず。
そもそも塾にはイジメっ子も通っていたし…。
仕事と婚活で忙しかったシングルマザーの母は、良い母の面も勿論あったとは思うが、私と同じように要領が良くなかったため自分で娘に勉強を教えるという手段には出なかった。
私は本当に馬鹿で、高校へ行くというビジョンも全く浮かばず、かと言って外に出るという経験が無さすぎて働きに出る選択肢も考えておらず、モノを考えられない傀儡状態だった。
ただし出来の悪すぎる傀儡で、こうして他者から強いられた道も上手く歩き続けることはできなかった。
…しかし、何でこうなったのかはよく覚えていないのだが、中学生活の中盤にさしかかった頃あたりにようやく一緒に登下校してくれる優しい女子グループに入る事には成功し、更にその後中3で滑り込みだったが新しくできた美術部にも入り、キモくないオタク女子の友達もできた。
持ち運ぶのが重くて大変だったけど、漫画の貸し借りはなんだか楽しかったな。
ストレンジプラスとかエアギアとか多重人格探偵サイコとか、友達の趣味で知れたタイトルも多かったのは良かった。
私の方も、当時は今と違って女子受けが悪かったジョジョを第一部から布教しまくった。笑
それだけ書くと、ちょっと光が差す瞬間もあったんだなあと。
男子からは、
「テメェの顔見てっと給食不味くなんだよ!!」
と給食の時間に怒鳴られ、机を蹴飛ばされたりで散々だったけど。
私に突然そう言ってきた不良ぶった男子のツラ、本当にひどい造形だったし、不細工なだけじゃなく顔中がひどく真っ赤でデコボコしたニキビ面だったな。
当時はただただ悲しくて怖くて泣いたけど、18年近く経ってから冷静に考えてみると、どのツラでそんな事が言えんだよって感じだ。
大人しく暗い女子相手にしかイキれない最低のブス男。
これが今の自分だったら、おめーの顔のが給食不味くなるだろ(笑)って言いながら椅子でぶん殴るくらいの返しはできそうだけど、当時の私は暗く、弱く、ただメソメソしているだけの存在だった。
暴言や悪意をただ受け続けるだけの存在。
抵抗や発言はできなかった。
泣きたくなるくらい嫌な事があっても、家に帰れば、私を否定しない好きな作品達が待っている。しかもそれらによって、母が仕事から帰るまでの間だが、私は誰からも叱られない自由で楽しい時間を得た。
ストレス発散しようにも、友達と遊んだりはせず(お小遣いも全然無かったし)中2にして大人抜きで遠出をした事もなかったので、相変わらず自宅で漫画を読んだりアニメを見たり、ペンタブを買うお金が無いのでマウス画を極めてお絵かき掲示板を飛び回ったり、ネットサーフィンをして無駄な知識を得たりして、室内でのびのびと過ごした。
これが一番のストレス解消法。
絵に関しては、マウス画にしてはわりと上手い部類だったと思う。
ふたばや朝目新聞も大好きだった。
自作イラストに関しては、当時人付き合いも少なく男性経験も皆無な自分にとって"思い付く限りのエロい雰囲気"を詰め込んだ色っぽ美少女しか描いていなかったわけだが、絵柄で成人男性と勘違いされて18禁合同誌によく誘われたりもした。
日々イライラや悲しみはあったが、ネットとゲームで乗り切った中学生活だったな……
そういえば、ギリギリ中学生のうちにできた友達グループとかろうじてサイゼリヤに行った事があったが、「のあパスタ食べる時スプーン使わないの!?おもろ~」と茶化された記憶だけ残っている。笑
母親にパスタの食べ方を教えられた経験ない故…
ていうか中3で初サイゼ&子ども達だけの初外食って、今の自分の感覚としては大分幼いような気がする。
親にサイゼすら連れて行って貰った事なかったのか…
お金もコミュ力もない中坊だったので、特にオフ会に参加したり学校外の誰かと会ったりはしなかったけど、ネット上の友達もできた。
大人だったら皆の集いに参加できたのかなー、同人誌のアンソロ参加も積極的にできたのかなー、と多少悔しい思いをした時もあったような。
それから、これも従兄弟のお下がりだったと思うのだが、PS1が手に入ったので、3Dグラフィック化したゲームを遊びまくっていた。
家にお下がりのスーファミとゲームボーイしか無かった時期は、この頃既に古くなっていたためデータが飛びまくるMOTHER2とFF6にハマり、カービィシリーズやディノブリーダー、もんすたあ★レース、ポケモン緑・ピカチュウ・金・クリスタルをやり込み、その他適当に親戚から恵んでもらえるゲームをやりまくっていたのだが、PSが我が家に来たお陰で大分遊べる作品の幅も増えた。
当時はPS2の時代だったんだけど、1でも私は十分夢が見られたし、時間を忘れられた。
PS2のゲームは不登校だった友達宅でたまに遊ばせて貰うこともできたし、ゲーム環境があるだけ全然恵まれている。
FF789を筆頭に、チョコボレーシングやチョコボの不思議なダンジョン、デュープリズム等の旧スクウェアのゲーム、そしてヴァルキリープロファイル、ワイルドアームズ、レガイア伝説、ツインビーRPGといったPS1のエモいRPGにも沢山ハマった。
ファイナルファンタジーコレクションという、ディスク3枚組でFF456をPS版にリメイクした作品も遊んだ。
お古のスーファミの劣化により終盤の世界崩壊後にまさかのデータ吹っ飛びを経験し、心が折れてしまったFF6も安心してクリアできた。
再度初めからは堪えたが、エンディングが見れた時は感無量だった。
ムービーも足されてたし。
微妙に上の世代が遊んでいたゲームも、そんな調子でちょくちょく遊んでいた。
あまり会えはしなかったけど、たまに家族行事で会うとゲームを分けてくれる従兄弟の兄ちゃんは好きだった。
物語に没頭し、歓喜し、感動し、時には涙すると、その瞬間は家の外での出来事がどうでもよくなる。
騙し騙しではあったが生きていけたのはこうした作品のお陰だった。
母の婚活実るが、急展開
今振り返っても全く思い出せないのだが、中2の終わり頃くらいの時期、母に遠距離で新しい恋人ができ、ちょっと会った後に何ヶ月も文通や電話のやり取りを続け、どうやら再婚相手にするか見極める為に小旅行にも行っていたらしい。
それにより母が2~3日間ほど見当たらなかった時期があった筈なのだが、そんな日があったかどうかが本当に思い出せない。
アパートにおばあちゃんが来た事があったけど、そのタイミングかな…?
そんな事まであやふやなほど、母の事も学校同様にどうでもよくなるくらい、私はゲームやアニメなどに没頭していた。
実際、後に再婚予定を打ち明けられるまで母の真剣交際を一切知らなかったわけだし。
陰鬱な日々を過ごしていると、ある日突然、母から話があると切り出された。
また変なビジネス引っかかったりしたのかな…と考えたのは内緒だが、最初はロクでもない予感がした。
実際、この時の子どもの心境からすると、ロクでもなくはないが間違いなく突拍子もない話ではあった。
この話から人生は大きく変わったので、結果的には感謝しているのだが。
母は、あまり態度の良くない私の反応を無視して話し始めた。
「お母さん、今度結婚する事にしたのね。すごく優しくて安定した人なんだけど……。新しいお父さんになるから、のあにはすぐにでも会わせたいんだけど、その人、今も海外に住んでる外国人なんだよね。」
最初そう打ち明けられて、目ん玉が飛び出るかと思った。
日本国外とは遠くかけ離れたボロアパートでの狭い世界で、私は海外に触れた事も触れようと思った事もなかったし、母もそうだと勝手に思っていた。
どこで、どうやって、知り合っていたのだろう。
母は畳み掛けるように続けた。
「まずは新しいお父さんとお手紙や電話でやり取りしてもらいたいの。それで、のあの学校事情に合わせるからちょっと早いけど、2ヶ月先に小さい結婚式を日本で挙げるから、その時お父さんも来日するしたくさんお話しよう。
結婚式後ひと月以内にあっちの国に移住するから、大体3ヶ月の間にお引越しとか海外移住の準備をしてほしいんだ。」
……今は母が頑張ってくれたことに対して色々と思う事があるが、この時、この瞬間は、シンプルに病んだ。
純粋に、イヤだなあ、と思ってしまったのだ。
考える事が苦手な私ではあったが、日本で生まれ日本に骨を埋める感覚が無意識下にあったため、海外移住なんてとんでもないし(もちろん生涯住み続ける必要はないのだが…)学校にしろ続かない塾にしろ、どこまで人を辱める環境下に置くのかと、母に対して憤慨した記憶すらある。
当然逆恨みっちゃ逆恨みなんだけど。
その日はシャワー中や就寝時まで泣いて過ごした。
私は変わりたいと思いながらも、自分で思っていた以上に変化を恐れていたらしい。
海外へ行きたくなくて、不安で不安で、仕方が無かった。
その後も母への当てつけかのように引っ越し準備を渋り、学校で英語や語学は一切勉強せず、最後の英語の成績はとうとう1のまま海外移住を果たす事となる。
続きます。

(離婚後の実父が何故か小6のテストを残していて嫌…)
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次のお話「ダメ中学生、海外移住を果たす」
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この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。
なんだかいつもより美味しく感じました☕️
誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。