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〜【ドキュメンタリー】「がんばるお母さん」の美談で終わらせたくない〜

こんにちは、ノアです!

今回はあるドキュメンタリーについての感想と、そこから見えてきた問題について書こうと思います!

本当に心から、全国の教師の方々はすごいなと改めて思うようになりました。

ぜひ一読ください!


一本の動画を観ました。

福岡のテレビ局・TNCテレビ西日本が制作している「こどもにピタッと。プロジェクト」というシリーズの一編で、子育てをしながら働く一人の女性教師に密着したドキュメンタリーです。

タイトルにはこうあります。

「超多忙なママ教師 移動時間がない!と教室前の廊下で作業」

職員室と教室を行き来する数分さえ惜しんで、廊下で仕事を片付ける。その姿は、けっして特別な光景ではないはずです。

私は教育に関わる仕事をしています。しかし、試験対策の指導や教材づくりが中心で、学校の先生とは立場が違います。

それでも、いや、だからこそ、この動画の中のある一言が、観終わったあともずっと引っかかって離れませんでした。

管理職の方が、こう語るのです。

「子連れ出勤は、学校としては大歓迎」

①「大歓迎」の何に引っかかったのか

誤解のないように書いておくと、この言葉はまぎれもなく善意から出たものだと思います。

子どもを連れてきていいと言ってもらえる職場は、言ってもらえない職場よりずっといい。それは確かです。

でも、そもそもなぜ、先生は自分の子どもを職場に連れてこなければならないのでしょうか。

答えはシンプルで、定時に仕事が終わらないからです。保育園のお迎えに間に合う時間に帰れないからです。「子連れ出勤の歓迎」は優しさのかたちをしていますが、その前提には「プライベートを差し出して長時間働くことが標準になっている職場」が横たわっています。

問題の解決ではなく、問題への適応。

この構図に気づいたとき、「大歓迎」という言葉が、少し違って聞こえてきました。

動画では、未就学の子どもがいる女性の73.4%が働いている、というデータも紹介されます。

「両立」はもう一部の人の挑戦ではなく、この社会の標準です。

それなのに、両立のコストを支払っているのは、多くの場合、いまだに母親たちです。

②この動画が炙り出す、日本のいまの問題

十数分の映像の背後には、日本の教育と労働をめぐる、いくつもの構造的な問題が横たわっています。

1. 残業代が存在しない、50年前の仕組み

まず、公立学校の先生には、残業代がありません。

これは元から知っていましたが、改めて聞くと残酷ですよね。

1972年に施行された「給特法」という法律が、残業代の代わりに月給の4%を「教職調整額」として一律支給すると定めているからです。

4%の根拠は、当時の平均残業時間が月8時間程度だったこと。この前提が、半世紀にわたってほぼ据え置かれてきました。

2025年6月、ようやくこの法律が改正されました。

調整額は2026年1月から毎年1%ずつ、2031年に10%まで引き上げられることになりました。

学級担任には月3,000円の手当も加わり、国は時間外勤務を2029年度までに月平均30時間程度へ減らす目標も掲げています。

確かに、以前に比べたら大きな前進ではあります。

ただ、「働いた時間に応じて賃金を払う」という労働の大原則は、今回も適用されませんでした。

何時間働いても給料が変わらない仕組みは、現場から「定額働かせ放題」と呼ばれ続けています。

時間にコストがつかない職場では、時間は際限なく奪われていくのではないか。私はそう考えます。

2. 埋まらない教壇

文部科学省の発表によれば、2024年度に実施された公立学校教員採用試験の倍率は全体で2.9倍と過去最低を更新し、小学校では2.0倍まで下がりました。

東京都の小学校のように、1倍台前半という自治体もあります。

一方で、2024年度に精神疾患で休職した公立学校の教員は7,087人。

過去最多だった前年度からほぼ横ばいの高止まりで、1か月以上の病気休暇まで含めると約1万3,000人にのぼります。増加が目立つのは、20代・30代の若手だといいます。

入口では志望者が減り、中では働き盛りが倒れていく。欠員が出れば残った先生の負担が増え、その過酷さがまた志望者を遠ざける。

この悪循環こそが、いま学校で起きていることです。

このままだと、将来教員になりたいと思う人は確実に減少し続けてしまいます。

3. 「両立」のコストを払うのは、いまも女性

教育社会学者の内田良さんの分析によれば、教員採用試験の受験者に占める女性の割合は、1990年代半ばには6割を超えていたのに、現在は4割程度まで下がっています。

長く「女性が働きやすい」と言われてきた教職から、女性が静かに離れつつあるのです。

理由は想像に難くありません。

長時間労働が前提の職場のまま、家庭のケアの多くを女性が担う社会のままなら、「教師であり続けること」と「母親であること」は構造的に衝突します。

動画の先生が廊下で丸つけをし、わが子を職場に連れて行くのは、その衝突を個人の機転と体力で乗り切っている姿にほかなりません。

そしてこれは、教職だけの話ではないはずです

保育園のお迎え、家庭内を円満に保つ努力、家事。

「両立支援」という言葉はあふれているのに、実際に日々のつじつまを合わせているのは、一人ひとりの親、その多くは母親です。

4. 善意と自己犠牲で回してしまう文化

もうひとつ。

日本の職場、とりわけ学校は、制度の穴を「現場の善意」で埋めることに慣れすぎているように思います。

子連れ出勤を歓迎する管理職。急な欠員を無償のがんばりでカバーする同僚。子どもたちのために、と自分を後回しにする先生本人。

ひとつひとつは美しい。

でも、善意が制度の代わりに機能してしまうと、制度そのものを直す圧力は生まれません。美談は、ときに問題を見えなくします。

「大歓迎」という言葉に私が引っかかった理由は、たぶんここにあります。本当に歓迎されるべきは子連れ出勤ではなく、子どもを預けて定時に帰れる働き方のはずだからです。

美談で終わらせたくない。そう強く思いました。

③先生の疲弊は、子どもの問題でもある

教員の労働問題は、しばしば「先生たちの待遇の話」として語られます。でも本質的には、これは子どもたちの学習環境の話です。

国際調査でも、日本の教員の労働時間は参加国の中で最長クラスであり続けています。

授業を練る時間、一人ひとりの子どもと向き合う余裕、新しい教え方を考える労力。

それらはすべて、先生の時間から生まれます。

疲弊した先生から、豊かな授業は生まれにくい。教壇に立つ人が減れば、そのしわ寄せは必ず教室に届きます。

私自身、教育の現場の末端で子どもたちと関わるなかで、「大人の側の余裕は、そのまま子どもの安心になる」と感じる場面が何度もありました。

先生の働き方を変えることは、まわりまわって、すべての子どもへの投資なのだと思います。

こんなにも大変な状況で、教師をやっている方々は本当に素晴らしいですし、言葉が出ないです。頭が上がらないです。ありがとうございます。

④「大歓迎」と言わなくていい社会へ

あの動画の先生は、きっと今日もどこかの廊下で丸つけをしています。

それを支える管理職の言葉も、同僚の善意も、本物でしょう。

でも、善意に甘え続ける社会のままでいいのでしょうか。

両立の重さを個人の背中に載せたまま、「がんばるお母さん」の物語として消費していいのでしょうか。

給特法の改正は、50年動かなかったものが動いたという意味で、確かに一歩です。

次の一歩を決めるのは、教育の外側にいる私たちが、この問題を「先生たちの話」ではなく「自分たちの社会の話」として引き受けられるかどうかだと思います。

「子連れ出勤は大歓迎」

この言葉が優しさとして成立してしまう社会から、この言葉がそもそも必要のない社会へ。

まずは、知ることから始めたいと思います。

そして、いつか多くの人が教員を目指したい。そんなふうに思える社会を作っていきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございます!
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