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人生初の稼ぎは、母に回収された

人生で初めて、自分の力で稼いだお金は2万円ちょっとだった。

時給800円。
高校1年生の冬。
郵便局の年賀状仕分けの短期アルバイト。

たった2週間ほどの労働だったけれど、当時の私にとっては立派な社会進出である。

そして、その記念すべき人生初の給料は、私の財布に長く滞在することなく、母の一言で回収された。

「貯金しなさい」

はい、終了。

初めての労働。
初めての時給。
初めての給料。

そのすべては、達成感を味わう前に、母の管理下へと旅立った。

資本主義の洗礼を受ける前に、まず家庭内金融機関に吸収されたのである。

高校1年生、郵便局へ行く

16歳の私は、友達と2人で郵便局の本局へ行った。

年末年始だけの短期アルバイト。
仕事は、年賀状の仕分けだった。

本局には、あちこちのポストから集められた郵便物がどんどん運ばれてくる。

私たちは、その山の中から年賀状を分ける。

年賀状はこっち。
それ以外の郵便物はこっち。
速達はこっち。
わからないものがあったら見せて。

そんなふうに教えてくれたのは、職員さんというより、現場を仕切っているパートのおばちゃんだった気がする。

偉い人の顔は、まったくと言っていいほど覚えていない。
でも、実際に仕事を回していた人のことは、ぼんやり覚えている。

今思えば、職場というものはだいたいそうだ。

看板に名前が出る人より、現場を止めない人の方が、ずっと働いている。
そしてそういう人ほど、なぜか記録には残らない。

16歳の私は、そんなことを知るはずもなく、ただ素直に郵便物を分けていた。

文化祭の準備みたいな仕事

仕分けのアルバイトは、ほとんど高校生だった。
女の子が多く、友達も一緒だったから、私はあまり「働きに来ている」という感覚がなかった。

どちらかといえば、文化祭の準備に近かった。

決められた場所に集まって、
言われたとおりに手を動かして、
わからないものがあれば聞いて、
時間になったら母が作ってくれたお弁当を食堂で食べる。

お弁当持参の高校生が、郵便局の食堂で昼ごはんを食べる。

それだけで少し、大人の世界に入り込んだような気がした。

今思えば、ずいぶん安上がりな大人ごっこである。

でも、16歳の私にはそれで十分だった。

仕事そのものは、とても素朴だった。

紙を見て、分ける。
また紙を見て、分ける。
それを繰り返す。

誰かが書いた住所。
誰かが出した年賀状。
誰かの家に届くもの。

そういう背景まで考えていたかというと、たぶん考えていない。
16歳の私は、そこまで情緒豊かな労働者ではなかった。

ただ、間違えないように分ける。
言われたとおりにやる。
できれば、少し褒められたい。

その程度である。

でも、労働の入口なんて、案外そんなものかもしれない。

高い志を持って働き始める人ばかりではない。
むしろ多くの人は、時給につられたり、友達に誘われたり、家から近かったり、たまたま募集していたりして、社会の入口に立つ。

私の場合は、郵便局だった。

中には懸賞応募はがきとかもあった

「お仕事ください」と言った16歳

ポストの回収を待つ時間があり、手が空くことがあった。

普通なら、そこで黙って待っていればよかったのだと思う。

しかし、16歳の私は、たぶん言った。

「ハガキが来るまでヒマなんで、お仕事ください」

今思うと、なんて素直で、なんて危険な高校生だったのだろう。

手が空いたら休めばいい。
今の私なら、そう言うかもしれない。

いや、言わないかもしれない。
結局、今でも何か探してしまう気がする。

この性分は、なかなか厄介である。

暇なら仕事をもらいに行く。
わからなければ聞く。
できそうなことがあれば手を出す。

聞こえはいい。

でも大人になると、それは時々、自分の首を絞める。

「この人に頼めばやってくれる」

そう思われた瞬間から、仕事というものは、静かに増殖する。

16歳の私は、そんな未来を知らない。
ただ無邪気に「ヒマだからお仕事ください」と言った。

ああ、若い。
そして、危うい。

その時、私はもう少し細かい仕分けをする場所に連れていかれた。
各家庭ごとに分けるような、少しだけ難しい作業だったと思う。

正確な手順はもう覚えていない。
棚の形も、番号の見方も、記憶はかなり曖昧だ。

でも、面白かったことだけは覚えている。

それまでの作業は、年賀状か、それ以外か、速達か、という大きな分類だった。
けれど、そこではもっと細かく見なければいけなかった。

ただ箱に入れるだけだった郵便物が、急に「届くべき場所を持ったもの」に見えた。

この一枚は、どこかの家に届く。
誰かが待っているかもしれない。
少なくとも、間違えたら違う場所に行く。

ほんの少しだけ、仕事っぽかった。

たぶん私は、それが面白かったのだと思う。

「やらされている作業」から、少しだけ「任された作業」になった。

その差が、16歳の私には新鮮だった。

初給料、即回収

妄想は膨らむ


二週間ほど働いて、給料は2万円ちょっとだった。

時給800円。

今見ると、かわいい金額である。
でも当時の私にとっては、自分で稼いだ初めてのお金だった。

何を買おうか、少しは考えたのだろうか。

服か、雑貨か、文房具か。
それとも、ただ財布に入れて眺めたかっただけかもしれない。

けれど、その夢は実現しなかった。

「貯金しなさい」

母の一言で、私の初任給はあっさり回収された。

母は正しい。
たぶん正しい。

高校生が2万円を手にしたところで、ろくな使い方をしなかった可能性は高い。

それはわかる。

でも、もう少しだけ持たせてくれてもよかったのではないか。

せめて一晩。
せめて財布に入れて、少し重みを感じる時間くらいは。

人生初の給料である。
それなりに余韻というものが欲しい。

しかし、我が家の余韻は短かった。

給料は貯金へ。
感動は母の采配により即日終了。

初めて稼いだ2万円は、私に労働の喜びを教える前に、家庭内の財務管理を教えてくれた。

半分くらい使いたかった・・・

働くことの入口にいた

今なら思う。

あれは、母なりの堅実さだったのだろう。
娘が初めて手にしたお金を、ちゃんと残しておきなさいと言いたかったのだと思う。

でも、16歳の私にとっては、もう少しだけ、自分の手元で眺めていたかった。

これが私の稼いだお金か。
2週間、郵便局に通った結果がこれか。
時給800円が積み重なると、2万円になるのか。

そうやって、少し大人になった気分を味わいたかった。

とはいえ、母に回収されたことも含めて、あれが私の「初めての稼ぎ」だった。

働いている感覚は、あまりなかった。
文化祭の準備の延長みたいだった。

それでも、決められた時間に行き、教えられたことを覚え、間違えないように手を動かした。

そして、手が空いたら「お仕事ください」と言った。

あの頃の私は、働くことをまだ何も知らなかった。

仕事を増やす人間が、のちにどう扱われるのか。
「気が利く」は、便利に変換されることがあること。
「できます」は、時々「やらされます」になること。

そういう社会の細かい罠を、まだ何も知らなかった。

でも、あの無邪気さを全部否定したいわけではない。

手が空いたから、何かできることはないかと聞く。
任されたことが少し難しくなると、面白いと思う。
誰かの役に立つ場所に、自分から一歩入っていく。

それは、今の私にも残っている。

少し面倒で、少し危うくて、でもたぶん、私の仕事の原点でもある。

人生初の稼ぎは、母に回収された。

けれど、あの冬の郵便局で、私は初めて知った。

お金は、空から降ってくるものではない。
仕事は、黙っていても与えられることがある。
でも時々、自分から「ください」と言ってしまう人間もいる。

16歳の私が、年賀状の山の前で言った「お仕事ください」。

今の私は、その健気さに少し呆れる。
ついでに、母の回収の早さにも少し呆れる。

でも、どちらも嫌いではない。

私の働く人生は、たぶんそこから始まっている。

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