第8-4稿(控訴審・上告編)司法は完全に機能不全していた──控訴審と上告の記録
副題:法を信じた最後の日──控訴審から上告、そして沈黙へ
序章 敗訴のあとも、私はまだ法を信じていた
第8-3稿で私は、「診てもいない医師の鑑定書が真実とされた」不当判決の記事を書きました。
当然、私は控訴を願い出ました。
「この国の三審制は、誤りを正すためにある」
と信じていたからです。
控訴審では、新たなより精密な検査結果と主治医たちの診断書、鑑定書に対する意見書を反論として提出しました。
この際に鑑定書を読んだ各科の主治医たちは口を揃えて言いました。
「これを医者が無診察で書いたのだとしたら、医療を何だと思っているのか。そもそも全然辻褄が合っていないじゃないか。こんなのありえない。」
私は、主治医たちにも励まされ、真実がようやく届くと思っていました。
しかし、約10か月後に届いた広島高等裁判所松江支部の判決文を開いた瞬間、私は自分の目を疑い一瞬思考が停止しました。

裁判長裁判官:栂村明剛
「原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がない。」
それは、事実の再検討すら行われなかったことを意味する言葉でした。
司法が、自らの誤りを見ようとしなかった瞬間です。
第1章 控訴審の崩壊──「審理のない審理」
松江高裁判決を読み終えたとき、私の胸には怒りではなく、深い絶望が残りました。
「以上によれば、控訴人の本件請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がなく、これと同旨の原判決は相当である。」
(上記写真引用・法廷原本)
その一文で、8年の闘いが終わりました。
「診察をしていない医師の鑑定」が“最も合理的な証拠”と裁判所が認定した結果、実際の診療記録や医師証言が排除された。
「虚構の等級」が司法判断の土台の一つになった
これまで添付した資料にも時々写っていた「14級」の文字。
──それは、医師資格を持たないY弁護士が行った自賠責申請によって作られた後遺障害等級でした。
恐らく、その際に提出されたのは、この裁判で採用されたものと同種の「診療行為を伴わない意見書」だったのだと思います。
そしてこの申請先はJA共済の自賠責審査機関。
Y弁護士はJA共済が加害者の為に用意した弁護士。
であれば、その申請に「診察も検査も行っていない医師の意見書」を添付しても、咎める者は誰もいなかったでしょう。
裁判所は、またしてもその違法な鑑定書を「最も信頼できる証拠」として採用したのです。
医師法第20条(無診察診断の禁止)及び第17条(無資格医業の禁止)──
どちらも、法廷で意図的に無視されました。

この文書には、田中医師自身が行った診察や検査の記録が一切添付されていない。診察も検査もしていないのだから当然です。
それにもかかわらず、裁判所はこれを「最も合理的な証拠」と認定したのです。
「既払金」という帳簿上の真実
「控訴人の損害額合計は1,415万1,488円であるところ、既払金は1,682万3,784円である。」
──しかし、私は一円たりとも受け取っていません。
にもかかわらず、判決では“既払金あり”とされたのです。
交通事故の場合、支払いには入院費・治療費・休業補償費・物損賠償費・入院見舞金などが含まれます。
通常、これらは加害者側保険会社が立て替え処理を行い、過失がゼロの被害者には、最終的な慰謝料や後遺障害慰謝料が純粋な損害補填として現金で手元に残るのが原則です。
それが私の場合、過失100:0の事故で一切の支払いを受けていないにもかかわらず、裁判所は「既払金がある」と断定し、身体にも「損害は存在しない」としたのです。

裁判長裁判官・栂村明剛(法廷原本)

裁判長裁判官・杉山順一(法廷原本)
——“支払済み”の虚構が、真実に書き換えられた。
ここで聡明な人は気付いたかもしれません。
判決文上の「既払金」は損害額を267万2296円上回っていました。
つまり理屈の上では、被害者である私が加害者に267万円を支払うことになります。
しかし、返還請求は一度もありませんでした。
請求を行えば、「支払自体が存在しなかった」ことや不正が明るみに出てしまう可能性がある──
そう考えるのが自然でしょう。
支払が存在しないと露呈することを避けるため、虚構が維持され、誰も検証しようとしなかったのです。
第2章 弁護士の突然の辞任──正義を託した者の裏切り
控訴審判決の日。上告期限までの時間は残り二週間。
私は代理人・吾郷計宜弁護士から一通のメールを受け取りました。
「判決内容については、すぐコメントすることは困難です。
以後の方法としては最高裁判所に上告状または上告受理申立書を提出することになります。打ち合わせは追って連絡します。」
しかし、その後一切の連絡はありませんでした。
そして上告期限の4日前、焦りを感じた私が電話をすると、彼は一言だけ告げました。
「辞任します。」
理由の説明も、書類の引継ぎもなく電話を切られました。
——上告を示唆しながら、上告期限直前に突然辞任。引継ぎも一切なし。
それは、法の専門家が最もしてはならない行為でした。
📎 弁護士職務基本規程第32条
「受任中に辞任するときは、依頼者の利益を不当に害してはならない。」
しかし現実には、誰もその責任を問えない。
弁護士会は機能せず、自浄作用はなく沈黙が制度化されていたのです。
今思い返すと、この弁護士も色々と不審な点がありましたが、時すでに遅しでした。
第3章 政界との接点──曽田氏・淵上弁護士との出会い
残された時間は実質3日。
私はなりふり構わず知人に電話をかけ続けました。
そのとき手を差し伸べてくれたのが、政界OBの曽田成則氏。
資料を読んだ彼は即座に言いました。
「これほどの不正な判例を放置してはならない。
医療制度が崩壊するのを裁判所が認めているようなものだ。」
曽田氏はその場で数本の電話をかけ、
元内閣総理大臣顧問弁護士・淵上貫之氏を紹介してくれました。
2018年2月15日。
介護士に付き添われ、曽田氏とともに東京・淵上事務所を訪問しました。
この出会いが、上告、そして後の「弾劾請求」への流れを決定づけました。
第4章 上告理由書──憲法32条と医師法20条の交差点
淵上弁護士は、早稲田雄弁会出身の老練な弁護士でした。
受任前に私の持っていた資料を全て確認し、静かに言いました。
「本件上告は、無診察鑑定を証拠採用したことによる憲法32条違反。
医師法20条と憲法32条が交わる、制度の根幹にかかわる問題だ。」

上告理由書抜粋「医師法20条違反」「憲法上の違法」と記された明文
この上告準備の背景で、彼は曽田氏と共にすでに複数の国会議員に連絡を取っていました。
弾劾裁判の準備、つまり司法と裁判官の不正に関する国会、衆議院議員会館での面談──
それらはこの時からすでに着々と進められていました。
(この経緯は次稿で詳述します。)
第5章 棄却──法が、法自身を閉ざした日
2018年6月14日。最高裁判所は、上告を棄却しました。
「その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、上告理由及び上告受理の事由に該当しない。」
——わずか三行。
審理も、説明もありませんでした。
法が、法自身を閉ざした日でした。
(※最高裁決定通知原本は、このあと背任行為を行う代理人弁護士らによって廃棄され現存しない。上記引用は、当時の日記とメモの記録による。)
第6章 制度的不正の構造──責任の消えるシステム
この訴訟の経過を整理すると、司法不正は一人の誤りではなく、
複数の組織が「見て見ぬふり」を重ねることで完成していた構造であることが分かります。

これが「制度的不正」の全体像です。
一つひとつの逸脱が積み重なり、国家の司法機構が“虚構の再生産装置”となる構図。
「誰も責任を取らない構造」──それが、日本の司法の実像でした。
終章 それでも、諦めきれるものじゃない。
最高裁の結果を前にして、私は悟りました。
この国の司法は、自らの誤りを検証する機能を持たない。
だからこそ、私は力強く励ましてくれる淵上弁護士と今暫く戦うことを決意しました。
不正の権力に対して、事実を権力で行使できる場所に望みを託したのです。
📌 共通注記
本稿に引用・掲載されている全ての文書・抜粋・写真は、実際の裁判提出資料および上告記録の写しに基づいています。
改変・捏造は一切行っておらず、個人情報は本人判断により黒塗り処理済み。
文意・証拠性に影響はありません。
🛡️ 画像注記
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