1968(昭和43)年 寺田ヒロオ37歳 自身を投影させすぎたノンキ先生
週刊少年サンデー創刊号から5年近く連載した『スポーツマン金太郎』。
終了後間をおかず、次号から描いた『暗闇五段』が終了したのが1964(昭和39)年の7月頃。
『のんき先生まんがノート』(週刊少年サンデー連載)
4年ぶりに週刊少年サンデーで連載することになったのが『のんき先生まんがノート』。

ノンキ先生というキャラクター自体は、過去作『背番号0』にも度々登場した。主人公たちの近所に住む野々木先生という漫画家だ。
また、1966(昭和41)年「少年画報」でもノンキ先生が漫画の描き方を教えてくれるという『ノンキ先生のまんが教室』が連載された(8回)。
今回、一戸建てで妻と二人の子(兄と妹)と暮らす漫画家という設定からして、完全に自身をモデルにしていると言われても仕方がない。

しかし内容は、とてもノンキとは言えない、各方面に対する恨み節が至る所に顔を出す。


(若き日の森安なおやとのエピソードで似たようなことがあったようだが)

(「漫画少年」で描く前は講談社などに持ち込みしたものの全く手応え得られなかったという体験から来ている?)




寺田はそれなりに長期の連載とする構想を持っていたようだが、やはりこの内容で人気が出るわけがなく早々に打ち切りとなったようだ。
結局わずか8回で終了。
後半ではかつての「漫画少年」をモデルにしただろう理想高き出版社や、高潔で漫画家としても腕の立つ友人(藤子不二雄などをモデルにしているか?)も出てくるが、性格の悪い大御所漫画家が唐突に改心して無理やりの完結となる。





(後年「まんが道」で創作された、テラさんが編集長に直談判したエピソードと同じ構図がここで描かれているのは果たして偶然なのか)


読切版『ノンキ先生まんがノート』(小学四年生)
わずか8回で完結させてしまった温情からなのか、同年に同じ小学館「小学四年生」7月号で読切版が掲載される。

こちらは最初から読み切りで構想されたからか、読者対象が小学四年生だったからなのか、連載版のような恨み節は影をひそめ、比較的牧歌的な内容となっている。
しかし週刊少年サンデーからはこれ以降声がかかることはなかったのだろう。
寺田の作品がサンデーに掲載されたのはこれが最後となったようだ。
