寺田ヒロオ「私の漫画史」2)漫画少年・史
昭和五十六年六月、新宿で催された“寺田ヒロオ編「漫画少年・史」の出版を記念し「漫画少年」を語る会”は、世話人の藤子不二雄くんが、「こんなに来るとは思わなかった!」と、頭を抱え込んだほどの大盛況で、「漫画少年」ゆかりの人々、マスコミ関係者等で、満員電車なみの混雑になった。
日本の子供漫画を確立した田河水泡さん、それを発展させた手塚治虫さんが、開会のあいさつと乾杯の音頭をとり、赤塚不二夫、石森章太郎、鈴木伸一、つのだじろうくん等「トキワ荘」の仲間が、司会や進行係をつとめるという、豪華な顔ぶれのパーティーは、「うれしい!なつかしい!」の声で沸きかえり、マイクを通した数々のあいさつや思い出話が聞きとれないほど、騒然たる雰囲気に包まれた。
杉浦幸雄、小川哲男、中村伊助、園山俊二、棚下照生、矢口高雄、永島慎二、水野英子、大友康匠、さいとうたかを、多田ヒロシ、山根あおおに、山根赤鬼、永田竹丸、眉村卓、尾崎秀樹、石子順さん等、漫画・童画・小説・評論、あるいは出版社の編集長、局長等、各界の方々が、祝杯のコップを高く持ち上げ、人込みをかきわけかきわけ近づいて、「よくやってくれました!ありがとう!」と、喜んでくださる。
1981(昭和56)年4月『「漫画少年」史』刊行

この「えすとりあ」のインタビューによると、寺田は
(漫画少年の)「全巻作品目録のページを作りたかった」
そのために、自分でも30数冊しか所蔵していなかった、国会図書館にも3冊しかなかったため、関係者やあちこちから借り集めて全巻全ページ当たった。
貴重な101冊が手元にあるときに火事になったら取り返しがつかないと、冬場ストーブを使わずに作業した。
私に、赤字覚悟の自費出版を、決行させた原動力。廃刊後二十五年もたって、なお多くの人々に愛借されている「漫画少年」!
その「漫画少年」を創造した人は、戦前の「少年倶楽部」「講談社の絵本」の名編集長として、日本の子供たちに、多大な感銘を与えた、故・加藤謙一さんです。
