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寺田ヒロオ「私の漫画史」24)少年サンデー

 昭和三十四年三月二日、産院で妻が、初めての子を産んだ。難産で、産後も順調とはいえなかったが、とにかく男児の親になれたのである。

 私も大量の仕事をこなしながら、まるで月刊誌の担当者にかくれて悪い事でもするような思いで、新しい週刊誌の原稿を割り込ませ、ヨレヨレになりながら、第一回目の八ページを、三月六日に完成した。
 「スポーツマン金太郎」の誕生である。
 オトギ村の金太郎と桃太郎が、野球の勝負をプロ野球でつけようと、ジャイアンツとライオンズに入り、日本シリーズでの対決を目指して頑張るという設定である。

寺田ヒロオ「私の漫画史」24

発行日が3月17日なので、3月6日に完成というのは相当ギリギリのはずだ。

『スポーツマン金太郎』第1話
『スポーツマン金太郎』第1話

 「スポーツマン金太郎」は初め、桃太郎を主役にしようと思っていた。犬・猿・雉(きじ)と仲間が多い桃太郎のほうが、画面がにぎやかになると考えたからである。
 しかし、週刊誌の私のページが二色刷りだと聞かされて、考えが変わった。金太郎の腹がけが赤、はだかの肌色が薄赤、熊が黒という色づけが、赤黒二色印刷向きだし、小さい金太郎と大きい熊の組み合わせが自然の凸凹コンビになって、漫画的であろうと気付いたからである。
 結果的には、これが成功の一因になった。
 感情むきだしの金太郎と、冷静な桃太郎。

寺田ヒロオ「私の漫画史」24

寺田はこの3年前に「幼年クラブ」(講談社)で5月号『なかよし金太郎』、6月号(別冊)『坂田の金時』と二度金太郎の話を描いている。
桃太郎は書いたことがないので、金太郎の方が慣れている、描きやすいという面もあったのではないか。

『坂田の金時』(幼年クラブ 6月号別冊)
『坂田の金時』(幼年クラブ 6月号別冊)


 三月中旬、「少年サンデー」(小学館)と、「少年マガジン」(講談社)が、同時に創刊し発売された。
 子供雑誌もいよいよ、週刊誌時代に突入したのである。ーーと書くと、いかにも景気よく聞こえるが、実際はそうでも無かった。
 当時の少年月刊誌では最も人気があった「少年」の光文社や「少年画報」の少年画報社は、小学館や講談社が週刊誌の準備に入ると同時に、当然のように後続の姿勢をとり、年内には数誌が創刊すると見られていたのだが、先発した「少年サンデー」が、大量の人員と経費を投入したわりには部数が伸び悩んだために、他社が慎重になり、本格的な少年週刊誌時代の到来が数年遅れたというのである。
 しかし私個人は、もう週刊誌ペースに入ってしまったのだから、モタモタしてはいられない。

寺田ヒロオ「私の漫画史」24
  • 1961年『野球少年』『痛快ブック』休刊

  • 1962年『たのしい一年生』〜『たのしい六年生』『少年クラブ」『少女クラブ」休刊

  • 1963年『幼年ブック』『少女ブック』休刊

  • 1968年『少年』休刊

  • 1969年『少年ブック』『ぼくら』休刊

と、これより10年の間に月刊誌は相次いで休刊(という名の事実上廃刊)、1968年には『週刊少年ジャンプ』、1969年『週刊少年チャンピオン』創刊と、まさしく週刊誌の時代になっていく。

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