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寺田ヒロオ「私の漫画史」23)難産

 小学館から日本で最初の少年週刊誌が出ることになり、その創刊号から連載をかかせてもらうことが決まった時の私の興奮ぶりは、かつてないほどの燃え上がりようであった。

寺田ヒロオ「私の漫画史」23

 小学館はこの新しい少年週刊誌に、ドル箱「小学一年生」の編集スタッフをそっくり移し、さらにえりすぐりの精鋭を加えた大編成を組んで、五月五日こどもの日の創刊を目指して頑張っている。
 私が小学館と新連載の約束をしたことは、すぐ月刊誌の担当者に知れた。
 「大丈夫ですか?うちの原稿は遅れないでしょうね」と、いやみ半分にクギをさしていく。
 月刊各誌とのかかわりかたはいろいろだし、週刊誌の仕事が失敗した時のことを考えれば、気まずい別れかたをしては、後が不安である。
 私が決心したのが二月九日で、一回目の原稿をかくのは二カ月ぐらい先のことであろうと計算し、その間に構想を練り、月刊誌の仕事を無理なく減らしていこうと考えた。
 ところが、「講談社は、四月創刊に踏み切ったらしい」とか、「講談社がいつ創刊号を出しても即応できるように、テスト版を作っておきたいから、一回目の原稿だけでも早く」とかで、徐々に締め切りをくり上げられ、二月下旬に題名決定、三月初めに原稿完成と決められてしまい、直面する月刊誌の大量の仕事をしながら新連載に寸暇をさくという、焦りと苦悶の日々になった。
 一度八ページの下図をかき担当者と打ち合わせ、「もう時間がないから、これにペンを入れて下さい」といわれたが、どうしても私自身気に入らず、もう一日延ばしてもらって、そっくりかきなおすことにした。

 おなかの大きい妻は、出産予定日を過ぎても産気づかない。初産だし、胎児が大きくなり過ぎては難産のおそれがあるというので入院し、出産促進剤の注射をしてもらっている。

 夫婦で、難産の形になった。

寺田ヒロオ「私の漫画史」23

大野茂『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(光文社新書)によると、小学館が「子ども向け週刊誌を作ろう」と言い出したのは前年の秋頃のこと。その情報を講談社がつかんだのは年が明けた1月頃だった。
1月26日、講談社も子ども向け週刊誌の発行を決定する。
同じ印刷所に依頼すると決め、しかも小学館よりも発行日を早くする相談をはじめた。
それを知った小学館が今度は5月5日予定から4月10日に予定を早めることにする。
それを知った講談社はまたさらにそれよりも1週間早く前倒ししようとする。

結局両社ともに3月17日発行というところに落ち着いた。

値段に関しても両社ギリギリまで腹の探り合い、結局『週刊少年マガジン』が40円で印刷し出すのを確認した『週刊少年サンデー』が30円と10円安い価格をつけた。
『マガジン』は本誌84ページ+漫画の別冊付録が3冊。
『サンデー』は本誌92ページ、付録なし。
当時はどちらも大人向け週刊誌のような中綴じの形式だった。

二誌の創刊号表紙(大野茂『サンデーとマガジン』扉より)


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