寺田ヒロオ 50歳のインタビュー
1981(昭和56)年に独力で「漫画少年」史を刊行。
おそらくそこからインタビューの依頼が来て、本人も宣伝になると思い引き受けたのだろう。
同人雑誌「えすとりあ」季刊2号で寺田ヒロオ特集が組まれ、ロングインタビューが掲載された。

インタビューの大まかな内容は以下の通り。
挨拶のあと野球をしていたという経歴に少し触れ、その次に新漫画党各人についての昔話など。その流れで新漫画党の活動とトキワ荘生活の話を少し。
次は、編集発行したばかりの「漫画少年」史について。編集時の苦労話など。そして「漫画少年」の時代の思い出話など。
最後に寺田自身の漫画、最近の漫画について。
この中から寺田ヒロオの語る言葉をいくつか紹介したい。
ーー僕達は先生の「背番号0」や「もうれつ先生」を、もう一度電車の中で読み直して来たのですが、今でも本当に面白いと思いますよ。
寺田 僕も自分の漫画は面白いと思いますね(笑い)。20年も前に、よくこんな面白いものを描けたものだと自分で感心したりして(笑い)。ま、余り他の人の漫画が面白くないもんで、ちょっとオーバーに言ったんですけどね。自分のセンスで面白く描いたものを自分が面白いと思わなければおかしいけれど。言い方を変えれば、僕は20年間進歩せず、だから今の漫画のセンスにはついて行けなくなったのだろうと思います。しかし本当に面白いものは、時代を超えるものだと思いますけどね。
やや自虐的ではあるが、50歳という年齢からか、それに加えて諦めと開き直りが感じられる。
次に、「自ら筆を折ったのか」ということに関する部分。
ーーところで、寺田さんはなぜ漫画をやめたんですか?
寺田 やめたわけではありません。僕には他の職業はないもの。面白い漫画を描けないから描かないし、描けなくなったと思っているから注文が来ないし。描けると思えば、何時でも描きますよ。
「描きたい雑誌が今は無いと書いてましたね」という質問に対しては、「それもあるが、自分は才能が乏しいくせに怠け者だから」と。他の人はそれぞれ努力してるのに、とまたしても自虐・諦め・開き直りの言葉。
ーー通説では、寺田さんが良心的な漫画を描いていて、散々出版社の人とやりあった末、結局筆を折ったという話ですが。
寺田 それじゃあカッコよすぎますよね。何んと言ったって商業雑誌に描かせてもらっているんですから。実際に、僕の最後の長編連載になった「暗闇五段」を描いている時に、人気が無くて、編集者から色々言われました。女の人は出さないでとか、もっと子供が出る場面を多くしたらとか、ナントカ投げという面白い柔道の手を工夫すれば、とかね。
「スポーツマン金太郎」3年目くらいから、雑誌がイヤな感じがしてきた。編集者が人気・部数競争を口にするようになってきたと語る。
高度成長の始まりで、漫画も雑誌もドギツク、エゲツナクなる一方だったと。
「暗闇五段」が終わった時点で、週刊誌の仕事はやめましたから、子供漫画家としては全く目立たなくなったわけで、漫画家をやめたと見られるようになったのでしょう。僕としては、その時その時、一番描きたい物を描きたい様に描くしかないわけで、それが通用しなければ、黙っているしかありません。
ここから話す内容が、漫画業界全体の批判、日本社会全体の批判と、やたらと大きくなってしまう。
あまり細かな部分は覚えていないのか、それとも語りたくないのか、ともかく「自分としては漫画家をやめたつもりはない」という思いは感じ取ることができる。

