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寺田ヒロオ「私の漫画史」1)漫画家30年

 昨年(昭和五七年)、『漫画少年・史』という本で、『日本漫画家協会賞』を、いただいた。
 受賞式とパーティーの後、手塚治虫さんが銀座の料亭に、祝宴を用意してくださった。
 「テラさんは、派手なのをいやがるから、内輪にしたよ」ということで、ごく親しい二十人が、談笑の卓を囲んだ。

寺田ヒロオ「私の漫画史」1

日本漫画家協会賞とは“漫画界の向上発展を図る目的のもと、優秀作品を顕彰するため”1972年(昭和47年)に日本漫画家協会が創設。

寺田が受賞した1982年度の受賞一覧は以下の通り。
第11回(1982年度)
大賞
(該当作なし)
優秀賞
「絶対安全剃刀」高野文子
「絵巻えほん“川”」前川かずお
「1コマ1/2ザ・ファミリー・オブ・マンガ」森田拳次
「パリと猫と」ナメ川コーイチ
「ハブ捕り」新里堅進
選考委員特別賞
「“漫画少年史”の編さん」寺田ヒロオ

この祝宴の参加者は杉浦幸雄、藤子不二雄、石森章太郎、園山俊二、つのだじろう、さいとう・たかを等。
さいとう・たかをは2016年のインタビューで「寺田ヒロオには会ったことはない」と言っている
同じ宴会の場にいたものの挨拶すら交わさなかったのかもしれない。

 フト…三十年前を、思い出した。
 漫画家になりたい一心で上京し、『トキワ荘』アパートに群れた若者ちが、コッペパンをかじりながり、毎日毎晩あきもせず、私の四畳半で談笑し、階下の住人に突き上げられる音で解散、徹夜で原稿をかいた、青春の日々を。
 歳月は、確実に仲間の顔にもあらわれてはいたが、その話し方、笑い声は、昔のままだ。
 今では、寝る間もおしい売れっこたちが、私のために集まって、時間を忘れた子供のように、バカ話ではしゃいでくれている。その優しさも、三十年間、変わっていない。

寺田ヒロオ「私の漫画史」1

「寝る間もおしい売れっこたち」とあるが、実際これが書かれた1983年頃、寺田以外の面々は活躍目覚ましい頃だった。

  • 手塚治虫…『陽だまりの樹』で昭和58年度 小学館漫画賞受賞/1978年から24時間テレビでアニメ 等

  • 藤子不二雄…1980年代藤子不二雄ブームと言われ、ドラえもん・怪物くん・ハットリくん・パーマンなど次々アニメ化

  • 石森章太郎…1971年から『仮面ライダー』、1975年から『ゴレンジャー』放映/1981年から日本漫画家協会理事

  • 園山俊二…1980年『がんばれゴンベ』アニメ化

  • つのだじろう…『うしろの百太郎』など恐怖漫画が人気

私は、長く、低迷していた。
 仲間は、何度も手を差しのべて、引き上げようとしてくれた。しかし、ろくな仕事ができない私は、恥じて人を避け、引きこもり、あるいは、旅におぼれた。
 『漫画少年・史』の編纂(さん)も、受賞も、偶発的なものであり、漫画の創作には関係ない。
 だが、蘇(そ)生のきっかけにはなったし、人前に出られた。
 「テラさんがいないから、これまで、集まっても、つまらなかったよ」と、私の目の前で仲間が笑い転げて見せたのは、「安心したよ」という、言葉のかわりだったのだ。

寺田ヒロオ「私の漫画史」1


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