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寺田ヒロオ「私の漫画史」7)「トキワ荘物語」

 「トキワ荘」が有名になったのは、いつのころからだろうか。
 まず手塚治虫さん、次に私、それから藤子不二雄、鈴木伸一、石森章太郎、赤塚不二夫、水野英子くん等が、次々と住みつき、後年、「漫画のメッカ」「若手漫画家の梁山泊(りょうざんぱく)」と称され、漫画家志望の青少年の憧(あこが)れの名所となり、一度はのぞきにくるといい、観光バスまで横付けされたというから、住人はさぞ迷惑したことだろう。もっとも、大家さんは、「このアパートに入った人は、みんな出世するよー」といって、入居者をはげましたそうだから、私たちも、少しはよいことをしたのかもしれない。

寺田ヒロオ「私の漫画史」7

 手塚さんをはじめ、藤子くんたちが大成し、随筆や自叙伝をかき、人物紹介がマスコミをにぎわすようになると、新人時代の苦労話に、必ず「トキワ荘」がその舞台として登場するわけで、異常な漫画ブームがそれに拍車をかけたのだろう。
 「COM」という雑誌に、「トキワ荘」ゆかりの者がかいた漫画が、「トキワ荘物語」という単行本になり、また、藤子くんの「トキワ荘青春日記」と、石森くんの「章説・トキワ荘・春」が、同時に書店に並べられたりして関心が一層高まり、さらに、藤子くんが連載した自叙伝的長編漫画「まんが道」と、NHKTVで放映された「わが青春のトキワ荘」という一時間の特集番組が話題をあおった。
 それに関連して、また新聞や雑誌に特集記事が出る。
 とうとう、一時間半のTVスペシャルアニメ「トキワ荘物語」まで、放映される騒ぎになった。

寺田ヒロオ「私の漫画史」7
  • 1969.10〜1970.9月「COM」リレー連載『トキワ荘物語』

  • 1970(昭和45)年2月 手塚治虫の半自伝的短編『がちゃぼい一代記』

  • 1970.10月「COM」 トキワ荘に集まって座談会「われらトキワ荘の仲間達」

  • 1970〜1972年 藤子不二雄 ショート漫画『マンガ道』連載(週刊少年チャンピオン)

  • 1977〜1982年 『まんが道』連載(週刊少年キング)

  • 1978(昭和53)年 「COM」の漫画と座談会をまとめた単行本『トキワ荘物語』(翠楊社グランドコミックス)

  • 1981(昭和56)年 藤子不二雄『トキワ荘青春日記』/石森章太郎『章説・トキワ荘・春』/NHK『わが青春のトキワ荘』/アニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』

 他の人と同様、私にとっても「トキワ荘」は大切な思い出であり、私の現在の人間関係も、ほとんどがそのころからの財産であるわけで、ありがたいことには違いないのだが、「トキワ荘」に関する話が紹介される度に、私には多少の気恥ずかしさがともなうのを、禁じえない。
 それは、藤子くんたち「トキワ荘」の仲間が、"テラさん"という人物を、友情に厚く、世話好きで、困った時はお金を貸してくれた、頼りになる兄貴、理想の子供漫画を追求する先輩、等々、過大な賛辞で、私を表現してくれたことで、成功する人は心がけが違い、感謝の気持ちを忘れないという点で、皆立派な人たちなのだが、そこには、長く低迷していた私への、思いやりも多分に含まれていたわけだ。
 「トキワ荘」に住んだことで、最も幸せだったのは、まちがいなく、私である。
 多才な仲間から、刺激を受け栄養をとり、加えて、三十年後の今日まで、仲間の温情のこもった紹介記事で、世の信用を保っていられるのだから。
 この感謝の気持ちを、文章であらわすことは難しい。これから少しでも多く、良い仕事をすることで、仲間に喜んでもらうしか、方法がないのだ。

寺田ヒロオ「私の漫画史」7

藤子不二雄は手塚治虫がトキワ荘を出て空いたその部屋に入った。敷金は手塚がそのままにしてくれていた。金がない、食うものがないときはいつも寺田に頼った。
鈴木伸一は寺田に誘われてトキワ荘入居。敷金3万円は寺田が貸してくれた
石森章太郎もやはり敷金3万円は寺田に借りた。
赤塚不二夫は数ヶ月家賃滞納していた頃、既にトキワ荘を出ていた寺田が4万円も貸してくれた。

彼らが若く一番貧乏だった頃に寺田に大変世話になったのは間違いない事実で、皆いつまでもそれを恩に感じていた(トキワ荘に住んでいなかったつのだじろう等はまた違うだろうが)。


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