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寺田ヒロオ「私の漫画史」9)幻の名作傑作

 ・のらくろ・マメゾウ・蛸の八ちゃん・凸凹黒兵衛・へいきの平左衛門(田河水泡)・冒険ダン吉・出世日吉丸・ゲンコツ和尚(島田啓三)・チビワン突貫兵・鳥と獣の大戦争(中野正治)・コグマノコロスケ(吉本三平・芳賀まさを)・トラノコトラチャン(新関健之助)・タンクタンクロー(阪本牙城)・カバさん(芳賀まさを)・日の丸旗之助(中島菊夫)・愉快小僧(井上一雄)・長靴の三銃士(井本水明)・赤ノッポ青ノッポ(武井武雄)・孫悟空・〇□さんゝ助さん(宮尾しげを)

 幼稚園から小学三・四年ごろまで、私が読んだ、子供漫画の代表的な作品である。

寺田ヒロオ「私の漫画史」9

なんとなく雰囲気を知るためにいくつか検索してみた。

 他にも例えば、単行本専門の「中村書店」から出た、謝花凡太郎の「忠臣蔵」「太閤記」「大陸日記」や、大城のぼるの「火星探険」など、雑誌系の短編連載を集めた本とはちがった、濃密な楽しさを持った長編漫画の傑作があり、また、体裁も粗末で値段も安い漫画の本の中にも、私にとっては宝物にも等しい感動を授かった、「赤助青助夏休みの巻」(吉田忠夫)という名作もあった。
 それ以外に、題名や作者名を忘れてしまったが、冒険・探偵・怪奇・忍術などを扱ったものや、キングコングやターザンの日本版まで多種多様にあって、何時間でも夢中に読みふけり、呼ばれても返事ができず、この子は耳が悪いと、母を心配させたほどだった。
 「のらくろ」で始まった子供漫画の初期黄金時代は、昭和十年から十五年ごろまでが、頂点であったろう。
 私には、二、三歳ずつ違う兄が二人と姉が一人おり、このきょうだい四人が、「漫画ばかり読んで」と親に叱(しか)られた、幸運なる子供漫画一期生というわけだ。
 それにひきかえ、六つ違いの私の妹は、子供漫画を満喫できずに育った、不運の時代の子であった。
 昭和十二年に始まった日中戦争が、十六年には太平洋戦争へと拡大し、物資不足と出版統制で、漫画どころではなくなったのだ。
 あの有名な「のらくろ」や「コグマノコロスケ」でさえ、昭和十六年には姿を消し、「講談社の絵本」シリーズも、十七年の初めに休刊して、ながい児童文化の不毛時代が続くわけで、昭和二十年に、ようやく戦争は終わったが、焦土の中から、ほんとうに明るい子供漫画の花が咲きそろうまでには、なお数年の月日を要したものである。

寺田ヒロオ「私の漫画史」9

ターザンはこの頃の子供に人気のキャラクターのひとつだったのだろう。手塚治虫の『新寶島』にもなぜかターザンが登場する(若い頃の手塚治虫は大人のキャラクターであるターザンをうまく描けず、酒井七馬が描き直したと言われている)。
https://tezukaosamu.net/jp/mushi/201103/column.html

『スポーツマン金太郎』後期ではターザンの子孫ターザン・ジュニアというキャラクターが登場する。

寺田の6歳下の妹は昭和12(1937)年生まれ。昭和20年の終戦時に8歳。

新漫画党(第二期)メンバーの生まれた年を記しておく。

  • 寺田ヒロオ 昭和6年

  • 藤子不二雄 昭和8年、9年(学年は同じ)

  • 赤塚不二夫 昭和10年

  • 石森章太郎 昭和13年

  • つのだじろう 昭和11年

  • 園山俊二 昭和10年

棚下照生は昭和9(1931)年3月生まれなので藤子不二雄と同学年ということになる。


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