【新連載:アジア人は今】不変のインドが変わる 聖地のお祭り騒ぎ
ジャーナリスト
室橋 裕和
僕はバンコクに10年ほど住み、タイを中心にアジアを広く取材してきた。日本に帰国してからも雑然とした活気が忘れられず、今やアジアごちゃ混ぜの多民族タウンとなっている東京・新大久保に住み着き、日本で暮らす外国人についての書籍や記事を執筆している。
このエッセーでは「日本の中のアジア」「アジアの中の日本」といったテーマで取材をする日々の中、感じたことを書かせていただく。第1回はインドが舞台だ。インドは今、どこに行ってもインド人の国内観光客であふれ返るようになった。その姿から、いつまでも変わらないと思っていたインドの変化の兆しが見て取れた。

インドは変わらない。
1992年からたびたびこの亜大陸を旅してきた僕の、それが結論だった。
確かに経済は伸びているのだろう。この30年、高い経済成長率を維持し、いまや世界一となった14億の人口のパワーによって、国内総生産(GDP)は今年中にも日本を追い抜くと言われている。
しかし、だ。
街は相変わらず混沌とし、クラクションが豪雨のように響き、ゴミがあふれる。IT大国と言われる割に、列車などのオンライン予約は使いにくく不具合ばかり。30年前と同じ場所で同じような客引きやボッタクリから声がかかる。
統計上の経済成長率の高さが、街の光景やインド人の行動にあまり反映されていないのだ。国の景気がどうであれ、インド人の根っこはガンジス川の流れのごとく不変なのだろうと思っていた。
あふれる観光客
姿を減らした牛
だが昨年、そのガンジス川のほとりにある街バラナシを7年ぶりに訪ねて、考えを改める必要があると思わされた。「不変なるインド」の象徴でもあるヒンズー教の聖地は、インド人観光客であふれ返っていたのだ。

「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないが、かつてのインドで観光旅行を楽しむ余裕のある人々はそう多くはなかった。高級ホテルに泊まっているのは富裕層と外国人ばかりだったし、安宿はどこも外国人バックパッカーのたまり場だった。
しかし今回、ガンジス川を望むなじみのゲストハウスに行ってみれば、宿泊客は大半がインド人である。料金もえらく上がっている。旧市街の迷路のような路地も以前と変わらないように見えて、設備の整ったホテルが増えた。
宿泊予約サイトの「アゴダ」や「ブッキング・ドット・コム」で検索してみれば、どこも日本円で5千円から1万円くらいだろうか。やはり泊まっているのはインド人の中間層だろう、身ぎれいな家族連れが中心で、それもかなり混み合っている。
以前は、このクラスのホテルでも掃除が不十分だったり、お湯が出なかったり、シーツやタオルが汚れていたりしたものだが、そういう物件は減り、全体的な衛生レベルが上がってきたように感じた。民泊仲介大手、エアビーアンドビー(Airbnb)にしか登録していない民泊も結構あった。
奮発して「ブリジラマ・パレス」にも行ってみた。19世紀初めに建てられた宮殿を修復して2016年に開業したヘリテージホテルで、まさに中世の遺跡に迷い込んだかのようなたたずまいが素晴らしい。

最低ランクの部屋でも日本円で1泊4万円相当と、僕には分不相応な値段なので、せめて夕食でもとベジタリアンのディナーコースを楽しんだ。
バラナシは殺生を禁ずるヒンズー教の聖地であるため、野菜を中心とした食文化が根付いており、そこをアピールするフルコースも、今までのインドではあまり見られなかったアプローチのように思った。ほかのテーブルはインド人ファミリーばかりだった。

以前は、バラナシにやってくるインド人は巡礼者が中心だったように思う。あるいは、この街で果て、ガンジス川に流されるために訪れる人も多いほど宗教色が強く、まさに聖地といった趣だった。河岸で沐浴(もくよく)をする人々の姿は荘厳ですらあった。
ところが、しばらくぶりのバラナシにあふれているのは、巡礼というよりもむしろ純粋に観光目的の人々と見受けられた。
そんな観光客のニーズに応えるためか、旧市街の目抜き通りであり昔ながらの雑居ビルが建て込む商店街だったダシャーシュワメード・ロードは、すっかり様変わりしていた。多くの店がきれいに建て替えられ、ピンク色の外観で統一されており、石畳の道が整備されてゴミも少なくなっていた。
そういえば、昔はそこら中をのし歩いていた牛もめっきり減った。
元々は、農作業や乳を利用するために飼育されたものと言われる。ヒンズー教では神聖視されている動物なので、年老いても殺処分はしない。
やむを得ず野に放ったり、経済的に養えなくなって路上に放置したものがどんどん増えていったそうで、昔は大都市でもそんな牛たちが闊歩(かっぽ)し、通りに横たわって悠然と昼寝を決め、僕もよくウンコを踏んだものだ。
そんな状況を受け入れていた、おおらかなインド人も変わっていく。
昨今の都市の過密化、交通量の増大によって、牛への苦情が行政に殺到したらしい。都市部では牛を収容する施設を造り、捕獲を進めている。牛の路上への放置に対して罰則を設ける州も増えている。このため全国的にノラ牛が減ってきているが、インドのカオスを形成する重要なキャラが消えていくようで、勝手な郷愁も覚えてしまうのだ。
シバ神を祭るビシュワナート寺院はさらに変貌していた。
バラナシの聖性の中心地でもあるこの名刹(めいさつ)は、まるで古代遺跡のようだったと記憶しているのだが、敷地一帯が大規模開発されたようで、ほとんどテーマパークのようになっている。そこをインド人観光客がそぞろ歩き、みんなで自撮りをして、何とも楽しそうだ。

「首相が変えた」
バラナシの景色
「モディがすべて変えたんだ」
寺院のテラスでガンジス川を眺めていると、話しかけてきたおじさんは誇らしげにそう言った。

10年以上にわたり首相を務めるナレンドラ・モディ氏は西部グジャラート州の出身だが、選挙区はここバラナシだ。そしてこの街に多額の投資をしてきた。
それは多民族・多宗教国家のインドにあって、ヒンズー教至上主義とされるモディ氏の思想の表れでもあるだろうし、インフラ開発を主軸の一つとする自らの経済政策のモデル都市とする意図もあるのだろう。バラナシの中心部だけでなく、空港や鉄道駅周辺の郊外でも幹線道路がずいぶんと整ってきていた。
加えて、製造業の活性化、行政のデジタル化、外資の誘致、衛生環境の改善といった「モディノミクス」とも呼ばれる経済政策を続け、2014年の就任以降インド経済を押し上げてきた。
その恩恵を受け、豊かになった中間層の間で国内の旅行産業もずいぶんと活性化しているようだ。バラナシはその象徴だが、他の地域でも観光地は大にぎわいだ。その姿に20年ほど前の中国が重なる。インド人は基本的に、家族や親戚みんなで旅行をするから消費する額も結構なものだろう。
ガンジス川沿いのガート(沐浴場)で話しかけてきた青年は、南インドのカルナタカ州から家族6人で旅行に来たという。
まだ大学生だが「卒業したら起業をしたい。モディがスタートアップを支援する制度をつくってから、この国にはチャンスがすごく増えたんだ」
なんて、初対面の僕に熱く語る。このフレンドリーさは変わらないでいてほしいと思うが、そろそろ家族の元に戻るからと、彼は最後にこう言った。
「バラナシは初めて来たけれど、あまり衛生的ではなくて外国人のあなたに見せるのがちょっと恥ずかしい。今度はカルナタカに来てほしい。全然違うから」
これでいいのか
祭り騒ぎの礼拝
青年が向かったのは「プージャ」だ。
ダシャーシュワメード・ロードを下った先にあるガートでは、日没の頃に礼拝が行われる。ガンジス川に面して設えられた祭壇(さいだん)で、僧たちが祈りを捧げるものだ。
僕はこのプージャを川から眺めるのが好きだった。ボートを雇ってこぎ出していくとガンジス川の中ほどは思いのほか静寂で、礼拝の合間に鳴らされる鐘の音が川面を渡る。夕闇の中、燭台(しょくだい)の火に照らされた僧の姿が遠く見える。
その様子は、きっと何百年も前から変わらず続いているのだろうと思った。ガンジス川を静かにたゆたいながら、鐘の音の響きとともに暮れていく街の姿に、僕はいつも「不変なるインド」を見た。
よし、今回もまた行ってみよう・・・とダシャーシュワメード・ガートに歩いていくと、次第に人の数が増えてくる。その間をかき分けるように進むと、もう大群衆である。
とてつもない数の人々が、だいぶ先に見える祭壇を取り囲んでいた。どうも全員、プージャを見に来た観光客らしい。

手に手に構えるスマホの先には、派手な燭台を手に何やらダンスをする5人の男たちが煌々(こうこう)とライトアップされていて、僧というよりもパフォーマーのよう。にぎやかな音楽がガートを包み込む。
ガンジス川を見てみれば、水面はもうボートでぎっしり。僕がかつて乗っていたような手こぎのちっこいのではなく、上部に観覧席を備えたなかなか立派なやつだ。そんな船が岸辺を埋める。沖合には電飾ギラギラの大きなフェリーも泊まり、デッキに人があふれる。
神聖さのまるでない、完全なるショーとなっていたプージャを前に、僕は呆気(あっけ)にとられた。これでいいのかインド人。
生活に根ざしたヒンズーの文化を大切にする人々が、パフォーマンスとなった礼拝を見物する様子に疑問を感じもしたが、伝統がエンタメ化していくのは経済発展の代償であり一過程だ。
そこに疑問を持つ人たちもいるのだろうけれど、少なくとも目の前のおそらく数千人は恐らくこの光景を受け入れ、楽しんでいる。
「インドはもしかしたら本当に、変わっていくのかもしれない・・・」
息苦しいほどの人ごみの中で、そう感じた。
中間層が成長
意識変わった
「インドは不変だ」と僕が安直に思っていた陰で、経済力を付け意識の変わった中間層は増大し、今はっきりと外国人にも目に見える形であふれてきたのだ。
2024年の総選挙でモディ率いるインド人民党は単独過半数を得られず、連立によって辛うじて与党の座を維持した。ヒンズー至上主義に対する反発も強く、政権は決して盤石ではない。
それでも、いったん動き出した経済のエンジンはそうそう止まらない。
観光を楽しみ、消費を謳歌(おうか)するようになった人々はさらに増えるだろう。この巨大で重たい国が、ようやく離陸しようとしているのかもしれない。その時、人々の考え方やライフスタイル、モラルも大きく変化していくはずだ。

室橋 裕和(むろはし・ひろかず)
ジャーナリスト
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイおよび周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリスト、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。
現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティーと密接に関わりあいながら取材活動を続けている。「外国人コミュニティーから見る多文化共生の実情や課題」といったテーマで、大学やメディア、トークイベントなどの講演多数。武蔵野大学非常勤講師。新大久保など多国籍タウンの街歩きフィールドワークも行う。
著書に『カレー移民の謎』(集英社新書)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『エスニック国道354号線』、(新潮社)『日本の異国』(晶文社)など。

公式サイト https://murohashi.jp/
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