『ある哲学者の肖像(習作)』 Study of the Portrait of a Philosopher(短編映画)
2025年2月に完成した短編映画(3分8秒)をYouTubeで一般公開しています。
あらすじ
撮影者はあることがきっかけで、大学で哲学と古代ギリシャ語を教えている父が、授業で学生に練習させているというギリシャ悲劇を父ひとりにさせてみるという案を思いついた。作品を通して彼女は10年以上前に撮影した映像と当時の父への再訪を試みる。
ステイトメント
哲学教授の娘であることは必ずしも簡単なことではないが、私は父と父の生業をある程度尊敬していた。2013年12月、私は父に私の作品の被写体になることを依頼した。当時は彼の知識や能力や人となりの断片を収めることができ満足していたが、その後10年以上編集に取りかかることがなかった。歳を取るにつれて父の生き方や考え方の一部に疑問を感じるようになった私は、そんな父の姿と向き合う勇気を失っていたようだ。この古典「悲劇」の「習作」が私を大人としての人生の新たな段階へと連れて行ってくれたかもしれない。
なお題名は、哲学研究者でありつつ、哲学を実践する「哲学者」ではない父に対する皮肉を含む。父が「哲学者」であると設定したという点でこの作品はフィクションであり、ある日の父の姿を収めたという点ではドキュメンタリーでもある。
クレジット・注
監督・撮影・音声・編集:松山のぞみ
出演:松山壽一
ギリシャ語和訳:松山壽一
日本語英訳:松山のぞみ
*英語字幕が日本語の発話と異なる単語を示している箇所がありますが、これは父の強い要望に応えたものです(父を説得しきれなかった自分の情けなさを感じつつ)。
キプロス国際映画祭
当作品は第20回キプロス国際映画祭に入選しました。

現地在住の友人、関口咲子氏が私の代理で9月25日開催のプログラムに参加してくれました。
コメント
詩人の澤村貴弘氏からコメントをいただきました。
劇中の人物だけでなく、教員と学生、親と娘、撮影者と被写体、哲学者・研究者というレイヤー状の関係性があって、その中で、他者を演じる/演じさせる試みは、そのまま他者を理解することに繋がる。10年を経て〔編集に取りかかった〕、という点もある意味作品に奥行きを与えるために必要な期間だったようにも思える。
謝辞(制作の背景)
2013年の冬、アーティストの三谷正氏(PixelEngline)にギリシャのアテネで開催されるグループ展に参加しないかと声をかけてもらった。アテネの観客にどんな作品を披露したいかと想像したとき、当作品のアイディアを思いついた。しかし諸事情により結局そのグループ展への参加は叶わなかった。すでに撮影は終えていたものの、目先の目標がなくなったことで私の創作意欲は失せてしまった。
撮影に際しては、当時非常勤講師として勤務していた龍谷大学にて機材をお借りした。龍谷大学では映像制作の授業を担当していたが、授業のなかで私は学生に何を伝えたいのか、自分がそれまでに得た知識や経験をどのように活かすことができるかなど、日々自問していた。奇しくも父と同じ教職に就いた私は、父の仕事の難しさと醍醐味の両方を垣間見た気がした。
時を経て2024年12月、演出家のあごうさとし氏率いるOOAK(他のメンバーに、俳優の太田宏氏(青年団)、声楽家の太田真紀氏、打楽器奏者の葛西友子氏)によるギリシャ喜劇『アカルナイの人々』を鑑賞した。古代ギリシャ語の韻律を日本語の発話に反映させた不思議な作品で、言語の発声やその音の問題に興味がある私にとって刺激的な鑑賞体験となった。そこで長年気になりながら放置していた自身のプロジェクトを思い出し、ようやく過去の撮影素材を確認し、編集作業に至った。小さな「習作」を完成させるまで、10年以上もの時を要した。
協力してくれた父・壽一と、制作のきっかけをくれた三谷正氏、例のアテネ展にも出展していたあごうさとし氏、映画祭に代理出席してくれた関口咲子氏、また、日頃より私の作家活動を応援してくれている母・春枝、姉・あゆみに、感謝申し上げたい。
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最後まで読んでくださり多謝申し上げます。貴方のひとみは一万ヴォルト。