みやほんや・POP2・芸人交換日記
茨城県下妻市に2026年1月10日にオープンしたTOKU BOOKS(@toku.books) さんで、シェア型書店の棚をお借りしている。
並べている本にまつわる話。2つ目は、「芸人交換日記」である。
私は、お笑い芸人のオードリーのファンである。(ちなみに、若林正恭さんの小説も今月出るそうですよ。)
で、一緒に置いている「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、若林さんの著作なのだが、芸人交換日記は、最近までテレビの世界で仕事をしていた鈴木おさむさんの著作である。
この芸人交換日記、スピンオフみたいな企画がされていたり、映画化されたりしたこともあるのだが、そもそも、一番初めに小説以外の媒体で表現されたのは、若林正恭さんと、俳優・田中圭さんら出演の舞台なのである。
15年くらい前のことだ。僕は小学校で教員をしていた。
別に僕に限った話でも、教員に限った話でもないが、毎日、疲れていた。疲れていたころの話は、たまたまノートの過去の記事に書いたことがあるので、そっちに任せるとして、疲れていた僕に追い打ちをかけたのは、なんのことはない、よくある話で、当時付き合っていた彼女に振られたことだった。
悲しかった。子どもたちの笑顔を見ながら、悲しかった。この子たちの未来がどうなったところで、あの人の笑顔を見ることは、もうないのかもしれない、と思うと、とても悲しく、月並みだが、なぜ生きているのか分からなくなった。死ぬつもりは毛頭ないが、余計に、何が楽しくて生きているのか、よくわからなかった。
失恋したら、彼のために世界は時を止めるべきだ、みたいな言葉を誰かが言っていて、本当にそうだと思った。
しかし、悲しみに暮れるはずの僕を待っていたのは、
東日本大震災だった。
僕が大きな被災をしたわけではないが、東日本大震災は、社会を大きく揺らした。なんということか。失恋で時とまれなんて言ってごめんなさい。
失恋で泣いているのか、あまりに大きい地震や津波の被害にショックを受けているのか、何がなんだかよく分からなくなっているころ、テレビのニュースが、一人の老人を取り上げていた。
細かいことは忘れたが、とにかく彼は、地震から長い時間がたってから、ようやく救出された人だった。記者が「今のお気持ちは?」とか「家やご家族は?」みたいな、そういうことを聞いていた。彼は、
「ここからがんばるしかないですね」
「大丈夫、がんばりましょう」
「いきているんだ。ここからここから!」
これも細かくは覚えていないのだが、そんなことを言っていた。体力も使い、住む家もなくなり、家族の安否も不明、確かそういう状況で彼は、にこやかに見えるくらい穏やか、かつ力強く、「がんばろう」と言い放った。記者がまだ何か聞いていたが、涙を流させる意地悪みたいにしか聞こえなかった。そして、彼は最後まで、表情を崩さなかった。
これには、参ってしまった。前代未聞の地震である。彼は、ほとんどすべてを失ったかもしれず、しかも、相当のご老人であった。正直、頑張るって、何を頑張るんだよ、と、思ったほどだ。でも、重要なのは、とにかく彼が、私が勝手に「絶望的」と思っている状況の中でも、「がんばろう」と言ったことだ。月並みな話だが、僕は失恋で傷ついてうじうじしている資格を無理やり取り上げられたような気がした。
何の話だっけ。そうそう、若林さん。
震災のとき、いつも聞いていたオードリーのオールナイトニッポンを、わりとすぐに放送してくれた。いつも通りやってくれて、ただ、完全にいつも通りではなくて、彼らは、ラジオで漫才をやってくれた。そういうことをしていたのは彼らだけではないが、とにかく、彼らは漫才をしてくれた。
放送の終わり、若林さんは「絶対大丈夫です。頑張りましょう。」といった。
ダ・ヴィンチという雑誌がある。昔、若林さんが連載をしていた。詳細は見てもらえたらいいのだが、あとは、その後にその連載をまとめた本も出ている。それを見てもらえればいいのだが、
「本当に大丈夫かの信憑性はどうでもいい、まず、大丈夫と言う。そして、言ったことにより生じる責任を、負おう」
「大丈夫と言うことから大丈夫は始まるのだ。」
そんなことをつづっていた若林さんであった。
(あ、やっぱり「社会人大学人見知り学部 卒業見込」も置きたいなぁ。)
彼が、いつもと同じようで、でも多分色々がんばったラジオの最後で、「絶対大丈夫です。」と言ったのだ。
もはやわざわざ言及するのも恥ずかしくなるが、失恋くらい、大丈夫でないはずがない。
ただ、恋愛というものは、非常に泥沼であるもので、それでも僕は、うじうじとしていた。
うじうじしているある日、若林さんの単独ライブに抽選で当たった。
ライブのことは、言っちゃいけないのだけど、もう15年たってるから、時効だと思いこんで、一つどうしてもふれておきたいことがある。
その日、質問コーナーがあった。僕は、質問コーナーの募集に対して、「僕は彼女に振られて、どん底で、何も面白いと思えません。若林さんは、何も楽しくなさそうですが、この世の中でなんで生きているんですか。」みたいな、非常に失礼な質問をした。どうせ読まれないと思ったからだ。
が、どういうわけか、その質問は、読まれた。作家の佐藤光春のせいなのかどうかわからないが、なぜか、質問コーナーの最初で、読まれた。
若林さんの回答はこうだった。
「まず、俺が楽しくないという前提にたっているというね。笑。なんでこの質問が最初なんだよ笑。まぁ、でも、いいじゃないですか。今がどん底だってことは、もう、この後、何をどういう風に投げてもいいわけですよね。最強じゃないですか。何やったってどうせこれ以上悪くならないんだから、好きなようにできるんですよ。」
びっくりした。ちゃんと答えてもらえるなんて思ってなかった。しかも、しっかり説得力のある、若林さんの言葉で答えてもらえた。信じられない、こんなことがあっていいのだろうか。
あんまり考えたくなかったが、ちらりと考えた。「そりゃ振られるわ。」と。最愛の人に振られるくらいでないと、こういう幸運には釣り合わないのだ。でも、そう考えると、振られたことを肯定することになるので、僕は最大の感謝をしつつ、かつ、まだうじうじを続けた。
数か月後、今度は若林さんの出演舞台のチケットが当たった。僕はうれしくて、そんな必要もないのに、前の日から会場近くのホテルに泊まった。
当日、会場でさらに驚いた。僕の席は、最前列のど真ん中だった。
舞台は、とてもよかった。僕は、さすがに認めざるを得なかった。「そりゃ振られるわ」と。そうでもないと、この幸運には釣り合わない。
僕は、ここまでの幸運があっても、実はまだうじうじを抱えながら生きている。たぶん、一生そうだろう。でも、悔しいけれど、スーパー老人と、若林さんと、若林さんを起用してくれた鈴木おさむさんのおかげで、僕はうじうじしながら、しっかり生きられるようになった。
正直、ここまで「芸人交換日記」に思い入れがあるのは、私だけだろうと思っているが、もしかしたら、予想に反して、さらに信じられないような、誰かの幸運のきっかけになるかもしれないので、この本を置きました。
