「Autodeskにならない」と決めた会社 ― ARES CADのGraebertに学ぶ経営哲学
「Autodeskにならない」と決めた会社 ― ARES CADのGraebertに学ぶ経営哲学
先日、ドイツのCADソフトウェア企業Graebertを率いるCTO、Robert Gräbert氏とお会いする機会がありました。
数時間にわたる対話のあと、私の頭に残っていたのは、最新のAI機能でも、クラウドの話でもありませんでした。
ひとつの単語です。
「Customer」
正確に数えていたわけではありません。ただ体感では、50回は聞いたと思います。もちろん正確な回数ではなく、それほど強く印象に残った、という意味です。
新機能の話をしていても、AIの話をしていても、クラウドの話をしていても、Robert氏の説明は必ず顧客の話に戻ってくる。
「ユーザーは何に困っているのか」
「顧客の仕事はこれからどう変わるのか」
多くのソフトウェア企業との打ち合わせでは、技術がいかに革新的かという話になりがちです。だからこそ、この一貫性は印象的でした。営業トークではなく、会社の意思決定の基準そのものなのだと、話を聞くうちに伝わってきました。
競合であり、同時にエコシステムの一員でもある会社
CAD業界に詳しい方なら、Graebertという名前をご存じかもしれません。
ARES CADの開発元です。
この会社は、不思議な立ち位置にいます。
CAD市場ではAutodeskと競合しつつ、業界のエコシステムの中では共存している。同社のCADエンジンは大手ベンダーの製品にOEMとして採用されており、公式サイトでは、自社のCAD技術を活用したソリューションが業界で世界第2位規模のインストールベースを持つと説明しています。
競合なのか、パートナーなのか。
しかし今回お話を聞いて、この「分かりにくさ」こそが、明確な意思の結果なのだと気づきました。
「ならなかった」のではなく、「ならない」と決めた
誤解のないように書いておくと、Autodeskは偉大な企業です。
CADという領域で業界標準を築き、世界中の設計の現場を支えるプラットフォームをつくり上げた。その規模と影響力は、簡単に真似できるものではありません。
そして、これは優劣の話ではなく、戦い方の違いの話です。
Graebertが選んだのは、その偉大な企業と「同じゲームをしない」という道でした。
同社の公式サイトでは、自社の姿勢を象徴する言葉として、こんなフレーズが掲げられています。
We are successful because we are different
私たちは、違うからこそ成功している。
Graebertは40年以上にわたりファミリーオーナーの非上場企業です。株式市場に四半期ごとの説明をする必要がないから、長期の戦略を立て、利益をイノベーションに再投資できる。公式サイトでも、顧客・社員・パートナーとの長期的な協働へのコミットメントが、会社の存在意義として最初に掲げられています。
規模や機能数だけで勝負しない。
代わりに、顧客との距離と、時間軸の長さで勝負する。

「Autodeskにならなかった」のではなく、「ならない」と決めた会社なのだと思います。
「今日の課題だけではない。5年後、10年後を考える」
対話の中で、開発の優先順位はどう決めるのかと聞いてみました。
Robert氏の答えは、まず顧客の課題をヒアリングするところから始まる、というものでした。ここまでは想像どおりでした。
興味深かったのは、その先です。短期的な課題だけではなく、5年後、10年後にどうなるかを考える。未来をどう動かしていくかを、ユーザーと一緒に考えなければいけない――という趣旨の話をされていました。
顧客志向というと、目の前の要望に応えることだと思われがちです。
しかし彼らの顧客志向は、もう一段深い。顧客がまだ言葉にしていない未来まで含めて、一緒に考える。非上場で長期戦略を取れる資本構造と、この思想は、きれいに一本の線でつながっています。
AI機能は短期間で並ばれる。では何が残るのか
実は私は、この話を聞きながら別のことを考えていました。
生成AIです。
2026年の今、多くのソフトウェア企業がAIを前面に出しています。私たちもそうです。
しかしAI機能の多くは、機能単体では短期間で差別化しにくくなっていきます。基盤技術の進化が速く、似た機能が市場に並びやすいからです。機能だけに頼った差別化は、長持ちしにくい。
では何が残るのか。
顧客理解だと、私は思っています。
顧客がどんな仕事をしているのか。どこで困っているのか。どんな未来に向かっているのか。そこを深く理解している企業ほど、AI時代にも価値を持ち続ける。
Graebertの話を聞いていて、少なくとも私には、CAD会社というより「顧客理解を競争力に変えた会社」を見ているような気がしました。
大手製品のOEMエンジンとして長く採用され続けていること。顧客・社員・パートナーとの長期的な協働を会社の存在意義に掲げていること。そして、対話の端々に表れていた顧客への一貫した視線。それらを重ねて考えると、巨大なプラットフォーマーと競合しながら、同時に業界の中で共存し、信頼される技術として選ばれていることの、一因なのかもしれません。
技術ではなく、哲学。

あの日もっとも印象に残ったのは、その部分でした。
自分は、何を50回言えるか
帰り道、ふと考えました。
もし誰かが私の話を数時間聞いたとして、いちばん多く出てくる単語は何だろう、と。
「AI」だろうか。「効率化」だろうか。
それとも、「顧客」と言えているだろうか。
会社の規模や資金力は、すぐには変えられません。でも、何を判断の中心に置くかは、今日から選べます。小さな会社が大きな相手と向き合うとき、武器になるのは最新の技術よりも、ぶれない基準なのだと、Robert氏との対話があらためて教えてくれました。
いま何かに挑戦しているあなたにも、きっと「50回言える言葉」があるはずです。それを見つけて、繰り返し口にしていくこと。遠回りに見えて、それがいちばん強い戦略なのかもしれません。
私も今日一日、技術の前に顧客を見ているかを、自分に問い直したいと思います。そういう一日を積み重ねた先にしか、選ばれる理由は生まれないのだと思うからです。
私が大切にしている言葉があります。今日という一日を、前向きにもう一歩進むための言葉です。
WHAT A WONDERFUL DAY TODAY!
※本文中のGraebert社に関する記述は、同社公式サイト(graebert.com)の掲載情報を参考にしています。
