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国内最多の銅鏡を保持した初期ヤマト王権の王墓~王陵 桜井茶臼山古墳の展示見学談~奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

 2025年4月19日から奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にて「桜井茶臼山古墳」が開催されている。早速、見学に向かうことにした。内容は桜井茶臼山古墳を中心に古墳時代前期の”王陵”いわゆる大王墓の遺物を一堂に展示したものである。一見の価値ありというか、再度見学したいと思う程、豊富で充実の内容であった。内容の一部であるがご紹介したい。

第1展示室(手前はホケノ山古墳ブーズ)
ホケノ山古墳の石囲い木槨(レプリカ)

 開催にあたっての表示で、初期ヤマト王権の王陵…と記されていた。そもそもヤマト王権とは何なのか?どのような集団だったのか?を考えた。さらに続く…王というが何をもって権力を維持できていたのか?一般的に何と呼ばれていたのか?、また何と呼んだのか?何を食べ、病になった際の医療体制はどうだったのか?平均寿命は何歳だったのか?といった人としての基本的な問いについてその実態は全く分かっていないというのが正解であろう。ヤマトと呼ばれていたのかについても疑問だ!ましてや王権とは何をもって王と権⇒権力と証明できるのだろうか。特別展に来て、いきなりヤマト王権という言葉に引っかかってしまった。他の方々は、ほうヤマト、ヤマト王権、絶大な国家権力があったのだ!とスルーして展示室にむかっていた。ここでは謎は謎のまま次に進むことにしよう。

初期ヤマト王権の王陵(桜井茶臼山古墳)

事実列記
桜井茶臼山古墳(国指定史跡)
古墳の形:前方後円墳
【墳丘】
規模:墳丘長204m、後円部直径110m、高さ22.5m、前方部幅84.5(61?)m、高さ13.5m
段築:後円部3段、前方部2段
近年の調査(赤色立体地図)前方部がバチ形(三味線の撥に似た)開く可能性が指摘されている。
【埋葬施設】
竪穴式石室
埋葬施設上に方形壇:13×14.2m、
縁辺に二重口縁の壷形埴輪(下記写真)が配列。
その外側に周囲を囲う丸太垣の存在が確認される。⇒聖域を遮断か

二重口縁壷(方形壇の周りに80~88個並んでいたという)
二重口縁壷(表面には水銀朱が塗布されていた)
底には孔が空いている(実用ではないことがわかる)

 埋葬施設は竪穴式石室で全長6.8m、幅1.2m、高さ1.7mを測り、側石の小口面を内側に向け垂直に積み上げている。壁は一面に赤色顔料(水銀朱)が塗布されている。(表題写真)

割竹形木棺(復元長約6.3m)
木棺の断面(コウヤマキ製)

 桜井茶臼山古墳でとりわけ話題になったのが銅鏡の数である。古墳時代の王墓を語るうえで銅鏡=鏡は必須のアイテムである。今も昔もこれだけ人を魅了するモノ(遺物)はなかろう。
当古墳の特徴として、
①103面を越える鏡(片)が出土した。(国内最多の量
②中国鏡、倭製(国産)鏡、三角縁神獣鏡の三種の鏡(三大鏡群)揃っている。
③②のそれぞれに多種である。
中国鏡(56面):方格規矩鏡、内行花文鏡、画文帯神獣鏡他
倭製鏡(21面):倭製内行花文鏡他
三角縁神獣鏡(26面):平均面直径22㎝(大型鏡)
大型品かつ精緻につくられている。
という概要であるが、詳細は博物館で実見されることを是非お勧めしたい。

鏡片の展示(それぞれ種類が異なる)

 ここに展示されたものは、ほんの一部の遺物である。3世紀後半期(西暦290年頃)の古墳では突出したものであり、まさに当時のエンペラーの墓であることは間違いない。103面以上もの鏡を保有し埋葬された当時、いかに豪華絢爛な埋葬施設であり古墳の姿であったかは容易に想像できよう。

玉杖(ぎょくじょう、王しかもてないもの=威儀具)

 かつて司馬遼太郎氏は「古代史(文字以前の歴史)は素人にとって娯楽(アミューズメント)である。」と述べられた。歴史関係の仕事に携われていない国民の90%(以上)はそう考えていると思われて当然のことであろう。換言すれば、古代史は誰にでも想像力が駆使できる刺激物でもあるわけだ。また、昨今の発掘調査の蓄積から邪馬台国論争に決着が着き、三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だ!という人々も少なくなった。
 我が国で突如出現した巨大前方後円墳は、箸墓古墳(墳丘長280m)からはじまると言われている。以下2系列で大王墓の流れがあるという。
①1系列変遷案
西殿塚古墳(墳丘長230m)⇒桜井茶臼山古墳(墳丘長204m)⇒メスリ山古墳(墳丘長236.5m)⇒行燈山古墳(崇神天皇陵、墳丘長242m)⇒渋谷向山古墳(景行天皇陵、墳丘長約300m)と
②2系変遷案
箸墓古墳⇒西殿塚古墳⇒行燈山古墳(主系列)
     ⇒桜井茶臼山古墳⇒メスリ山古墳⇒渋谷向山古墳(副系列)
とする。いずれにしても奈良県東南部地域に200mを越える巨大な前方後円墳が6基も存在する。これは紛れもなく4世紀代に日本の中心がヤマトにあったということでありアミューズメントではない
今、博物館でその王たる人物が保持していたモノを奇跡的に見学した。これだけの王陵であるが、誰の墓であったか今もわからない、また永遠の謎である。しかし私たちは博物館でそれを目の当たりにして画像にはできない王の姿を想像するのである。司馬氏が言うように古代史は娯楽である…その言葉がふと脳裏に浮かぶ。それは、陸が見えない大海原に小舟が浮遊している様であるかも知れない。しかし、悩むことはない。それが正解だからだ!そして特別展示は是非とも見学頂きたい。とりわけ第2展示室の各古墳の銅鏡群は必見である!じっくり目に焼き付けて各自が娯楽(アミューズメント)に没頭してほしい。刺激的な1日でになることは約束する。





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