スピッツというバンドの歴史(未完)スピッツを入門する5つのいろはvol.1
皆さんこんばんは ぎぶそんです
草野マサムネ誕生日に出す記事はこちらだったんです。長らく更新してないのはこの記事をしたためてたからなんですね〜。
そもそもnoteを始めた理由は音楽の魅力、そしてスピッツの魅力を伝えたく始めたのです。
これはひとつのゴール。そしてまたまた続く道の途中でした。
今回からはスピッツ入門に当たってガチで入れ込みたいならば知って欲しいいろはを5つごとに分けてあります。
1つ目はスピッツの歴史
2つ目はスピッツのメンバーと取り巻く人物の紹介
3つ目はスピッツ入門に最適なアルバム5選とその順番
4つ目はスピッツハマった人にオススメしたいコンテンツ
5つ目は???
となっております。
まぁ気長に待っていてください。これは完遂させる必要のあることですから。
ということでやっていきましょうか。
はじめましてのご挨拶
「スピッツってアレでしょ〜?ロビンソン、チェリーとか空も飛べるはずのあのー爽やかバンド?」
違います。なわけありません。まずはその誤解から解いていきたいと思います。
彼らが何を思い、何を考えながらここまで歩いてきたのかが分かってくるはずです。
まずは長々とスピッツの歴史について語らせてください。
第一章 インディーズからメジャーデビューまで
最初はスピッツの前身となるバンド チーターズというバンドを田村明浩(ベース)組んでいました。
当初は有名な話ですが、歪んだ音楽をかき鳴らすパンクをやりたいとして結成されました。
例えばブラック・サバスやソニック・ユース、セックス・ピストルズなどのような荒々しく骨太なギター。シャウトが光るボーカルなどが特徴のロック。
しかし、THE BLUE HEARTSという天才児二人とメンバーによる本格的なパンクに打ちのめされてしまいます。
草野さんは彼らの『人にやさしく』を聞き、絶望。
これから何をやっても俺はこの人たちの後追いにしかならないんじゃないかと思い、活動休止になってしまいます。

ブルハショック後大学編入を経てチーターズは空中分解。一時期はデザイナー転身すらも考えていたそうです。
それでも諦められなかった草野さんは田村明浩をもう一度誘い、スピッツをついに結成することに。
田村の幼なじみである三輪テツヤ(ギター)が腕利きのドラマーである崎山龍男を誘います。
当時は怖くて崎山とあまり話せていなかったらしいです。
メンバーは今と全く変わっていません。そう誰一人。
スピッツを始めたのはいいもののビートパンクの六文字で片付けられるほどの一辺倒なもので、ブルハからの影響を完全に抜け切れていないと言えるものでした。
デビュー1年目に世話になっていた渋谷ラ・ママの当時の店長に
「ブルーハーツの二番煎じ感は否めない」というアドバイスを受けて、大胆な路線変更を敢行。
元々パンクのように観客を煽ったり、盛り上げようと啖呵を切る姿が自分には合わないと感じていた草野さんとしてはこの路線変更が後の運命を変えました。
スピッツは遂にアコギを背負うことを決めたのです。

そうした路線変更で草野さんは『恋のうた』という一般的な歌謡曲に近しいテイストの曲にシンプルなギターとドラムをくっつけベースで流し込むという手法を取りました。
パンクからフォークへと変わったバンドは恐らくスピッツだけなんじゃないかなと思っています。
サバス、クラッシュから
ドノヴァン、フェアポート・コンヴェンションへの方向転換です
この頃に『ヒバリのこころ』や『鳥になって』、『UFOの見える丘』、『惑星SEXのテーマ』、『クモ少年が走る』、『アイドル』などのインディーズ期を彩る名曲が生まれます。
1989年2月ごろインディーズバンドとしては聖地とされる新宿ロフトでのライブ出演をついに勝ち取ります。
1989年7月12日 初めてのワンマンライブ『鳥になっちゃう日』が開幕。この頃からスピッツの名声は一気に高まっていくことに。
こっからバンドムーブが起こり、イカ天の出演オファーもあったそうですがそんなバックアップを受けてデビューしたくはないという思いから断念。
この時期に「インディーズのがトガっててカッコいい」という考えでした。
ライブの翌年にCDの『ヒバリのこころ』が新宿ロフトのインディーズレーベルからリリースされることになります。

この一連の流れをきっかけに数々のレコード会社からメジャーデビューの話が持ち上がります。
その中にはポリドールの新入社員であり、今後スピッツをあらゆる場面で活躍する竹内修の姿もありました。
彼の熱烈すぎる打診により、事務所をまず決めることに。
そして、スピッツはハマショーの事務所であるロード&スカイ所属でポリドールと契約することになります。
その時まばらだったスピッツをひとつの大きなまんまるに変えてくれた元愛奴のベーシストである高橋信彦という恩人に出会うことになります。

第二章 やりたいことを真っ当に
3月25日に1stアルバム『スピッツ』と1stシングル『ヒバリのこころ』の同時発売にてメジャーデビュー。バンドとしてのスピッツは歩みを開始します。
テイク数が膨大になりすぎたため、延々と続くレコーディングにエンジニアがキレて空気が最悪になった。と語ります。

ロキノンやほか音楽雑誌にて超新星として取り上げられたり、ラジオのヘビロテに『ニノウデの世界』が選ばれたりするなど確かに1歩ずつ踏みしめて進んでいました。
当時からも「歌謡曲的センスとポップな曲調が持ち味」とされており、デビュー当時の空気を知る人はすぐ売れちゃうだろうな〜。と言われていたそうです。
また、『空中キャンプ』がよく知られているフィッシュマンズのライバルという見方もされていました。
どちらも系統は違いますが、独特で彼らしか出せない幹があると言う共通点はあるかもしれませんね。
当の本人たちは“違ったこと“に囚われ、シアターでのコンサートを敢行しています。
客席はガラガラ。
そしてお客さんは座ったままで一体感とは程遠いものでした。
< 見られている感>が拭えず少しほろ苦い思い出となりした。
2枚目のシングル『夏の魔物』やオーケストラをバックにつけた『魔女旅に出る』を3枚目のシングルに発表します。
勢いそのままに2つ目のアルバム『名前をつけてやる』を発売。
シューゲイザーやライド歌謡曲と称される超独特な音楽で今なお音楽評論家から愛される1作です。
『名前をつけてやる』のレコーディングは勢いそのままにガッツきながら終わらしたそうで達成感はあったらしいです。

魔女旅にて相性がいいと感じたからかオリジナル・ラブの編曲を担当する長谷川智樹と共に初のミニアルバムである『オーロラになれなかった人のために』を発売します。
一曲の中にドラマを生みたいと考えていた草野さんは曲ごとに世界観やアレンジや時間、分数、曲調など全てをガラリと変えました。
バンドとは思えないほどのノスタルジックで独特な曲のみが収録されています。

ザ・フー、ビートルズ、イエスなどの超大御所の通ったロック・オペラをできたスピッツのメンバーはかなりの満足感でした。
オーケストラやマリンバなどのロック感のない音楽をやった反動かどうかは彼らのみぞ知るところですが、その反動もあり3つ目のアルバムである『惑星のかけら』ではグランジやジッタリンジン、シーケンスなどをたくましく取り入れた郡星模様を描きました。

このアルバムに収録されていた5枚目のシングルである『日なたの窓に憧れて』でテレビ初出演を決めます。
こう見るとめちゃくちゃガッチガチに緊張していますね。食われる前のネズミみたいでしょ?
初期3作にて創作活動の大きな目標を達成したと感じた草野さん。
抜け殻のようなそんな燃え尽き症候群に陥りました。
アマチュアとプロの境目でゆらゆらと浮遊していたのではないかと告白するテツヤや田村。
―アマチュアに戻る気力は無いかも
この草野さんの発言を受けてメンバーもゆらゆらとぐらぐら地につけなかった自分たちを変えなくてはと危機感を感じます。
高橋から<このままでは先はない>と喫茶店で話されていた田村とテツヤは楽観的だった考えが吹き飛ばされます。
酸いも甘いも経験し、リリースした初期3作ですが、この頃草野さんはちっぽけな悩みが考えれば考えられるほどに膨らんでいく感覚であったと語ります。
初期三作にて作詞家の草野マサムネは完成してしまったことと『惑星のかけら』に感じたどうしようもない虚脱感。
一生懸命にスピッツを支えてくれるスタッフへのやるせなさと申し訳なさ。
事務所の超超超大スターの浜田省吾の基金を食い潰しながらダラダラ続けてしまうのではないかという不安。
―売れなくては
指針を失った草野さんが感じたのはプロの矜恃でした。
第三章 売れたい
売れるためにまず何をするか。
超一流のヒットメイカーのプロデューサーを見つけることでした。
幸いにもその際に売れさせるというミッションを遂行するために派遣されたのが元ナスカのキーボーディストであり、プリンセス・プリンセスとユニコーンのプロデューサーとして知られる超敏腕プロデューサーが味方についてくれます。
その名も笹路正徳でした。

彼のプロデュースは至ってシンプル。”長所を全面的にブラッシュアップし、欠点を極力受け入れレベルアップさせてそれを芸術へと昇華する“というやり口でした。
分かりやすいがうえに素質の見込みのない人はどんどん落とされていくような手法の笹路のプロデュース第1弾はまず草野さんの高音ボーカルをかなり前目に押し出すことでした
わざと声を低く歌ってみたりや自分の歌に合うボーカルがいるならそっちに代わってもらいたいと考えていた草野さんにとってその試みは目からウロコだったことでしょう。
売れるという目的を念頭に置き、出されたアルバムこそが4作目のアルバム『Crispy!』でした。

シンセ、ホーン等のポップで取っ付きやすくこのアルバムならば、初のチャート入りどころかミリオンでさえ夢じゃないと大いに期待し、既存のファンを蔑ろにすることに後ろめたさを感じながらリリースしたこのアルバム
結果はチャート入りせず。
とにかく売れたいというオバケに取り憑かれた草野さんはこの結果に酷く落胆します。
一応、アルバムからシングルカットした『君が思い出になる前に』が初のオリコンチャートに入り込むため売れるという目標は達成できたものの大胆な路線変更の末“失敗“という成果しか出せなかった。
これを受けて草野さんは自信を喪失してしまいます。
『君が思い出になる前に』は草野さん曰く“ホンネを殺した“とまで言われるほど聞きやすく馴染みやすいように配慮しまくって作られた曲だったからです。
ミリオンは無理でも『Crispy!』以降ファンは目に見えて増えたし、数々のCDレコードショップでスピッツの名前が大々的にプッシュしてくれたこともあり、なんとか活動は継続することになります。
この時期に『君が思い出になる前に』で初のMステに出演というミュージシャンにとってのひとつのゴールを達成します。
『Crispy!』での小ジャンプを経て制作に取り掛かったのは『空の飛び方』でした。
手始めに『空も飛べるはず』をドラマのタイアップ用に制作、その後笹路のスケジュールがつかず、土方隆行をプロデューサーに迎えて『青い車』を制作します。
―『Crispy!』の目眩がするほどのポップ・ミュージックが、なりを潜めてギターサウンドに戻ったことがシンプルに嬉しかった。
『空の飛び方』ではアメリカからのエンジニアをあてがって貰います。
アレンジが合わないと感じ、勇気を出してこのミックスは使えない。と告げることに。
この経験は草野さんにとって大きな収穫だったと言います。
事なかれ主義でいいえが言えなかったスピッツが自分の意志や気持ちを尊重して音楽をするという当たり前に見えてとてつもなく重要なことをこの時に掴んだのです。
成長やバンドミュージックへの回帰と『空の飛び方』で得たものは超絶大きかったはず。
1994年9月21日 空の飛び方発売です。
このアルバムはタイトルの通りスピッツが音楽業界という正解もなければ模範解答の存在しない大いなる空の飛び方を確実に自分のものとしました。

ちなみにこの頃有名なスピッツの曲のテーマについての発言が出てきました。
「死とセックス」です。
第四章 ブレイク
多忙だったけど充実感のある94年を過ごし、新年の初詣にふと浮かんできたフレーズをサビに据えたある曲をレコーディングします。
その名も『ロビンソン』です。
また地味な曲作っちゃったなぁ〜
メンバーもレコーディング当時出来栄えの良かったB面の『俺のすべて』をA面にした方がいいんじゃないかと話が持ち上がったほとでした。
笹路も“ロビンソンってなんの名前かも分からないし、マサムネらしい変な曲だな。“と思っていたことを後のインタビューで明かしています
他にも“テッチャンのアルペジオかな。アレもヒットに一役買ってくれた。“と回顧。
『ロビンソン』の売れ方はとてつもなく変でした。タイアップもなければテレビでの強力なプッシュもない状態で、しかもオリコンも1位は取れたことがない。
しかし、地味に地味に本当に地味に長くながーく売れ続けたことにより、『ロビンソン』は最終的に164万枚ほどの売上を記録します。
草野さんはこの売上を見て同時に4、5年は安泰だろう。という安堵が生まれます。
自分の気持ちが入った曲で売れたことへの自信と声で売れなかったわけではないという疑問が晴れたことも大きかったと思います。
昭和気質のロックスターのように女の子を侍らせることもせず、音楽を続けられるという気持ちの方が強かった草野さんを私は好いています。
“ロビンソンバブル“のど真ん中に続いて『涙がキラリ☆』をリリースします。
テーマはクリスマスで乳繰りあってるカップルたちに七夕という日を思い出させるというものでした。
発売日もそれにちなんで7月7日でした。
あと多分この頃に私はスピッツに初めて出会ったんですよ。
急にスピッツの歴史の語り部が参入してきて申し訳ないですけど。
人生でいちばん聞いたアルバムはハチミツと胸を張って答えます。
『ロビンソン』目当てで聞いていたのですがいつしかロビンソンの為に再生することはなくなっていったんです。
ロビンソンを初めて聞いた時はなんか地味〜。
という感想を抱いていたことを自白します。
あったーらしーという歌い出しは新しい朝が来たーに類似していたため耳に残りやすかったことは事実です。
さて私の自語りはここまでにして方向の矢印をスピッツへと押し戻しましょう。
さて『ロビンソン』バブルが到来し草野さんはプライベートがファンに荒らされることを気に病んでしまいます。
当時の彼女さんとの同棲のマイホームに何時間もピンポンが鳴らされたことや車にファンが作った雪だるまがあり、それで車を動かせなかったことや住んでいるアパートの前でファンが待ち構えていたりと辛い思い出ばかりでした。
個人的な意見ですが、草野さんにそういった行き過ぎた愛を向けるのははっきり言って大迷惑だと思うんですね。
私自身草野マサムネ狂信者を名乗っていますが、そういった妄信的なことはせずに真っ当にファンを全うしていると自負しています。
バブル真っ最中の1995年9月20日に6作目のアルバム『ハチミツ』が発売されます。
『ハチミツ』のレコーディングは比較的上手くいったらしく、全曲シングルカットくらすの聞きやすくそれでいて個性が全く損なわれていないという偉業を達成。

邦ロックの最高傑作がここにして生まれます
誰がなんと言おうとJPOPの完成系はスピッツであると胸を張って私は言うでしょう。
これまでの活動では想像のつかなかった全国ツアーやマネージャーの多忙や精神的ショックなどの災難に見舞われながらもその名声は完全にもう超売れっ子。
チェリーのリリースや空も飛べるはずのリバイバルヒットを経てマイフェイバリットソングによく挙げている渚のリリースもここです。
多忙を極めるスピッツ。笹路の提案により次作の『インディゴ地平線』ではメンバーそれぞれが曲を作るといった手法を取らせました

ハチミツでもみんなで曲を作ろうという流れにはなったもののそれは結局流れてしまい、ついに念願というか悲願が叶いました。
インディゴ地平線がちょっとだけ統一感のなさを感じる理由の多くはこの新しい試みのせいだったりしまいます。
このアルバムで目指したのはハチミツを超えるためのアルバム作りではなく、別ベクトルでの進化だと私は思っています。
と言いますが、インディゴ地平線収録の曲の歌詞を読んで欲しいんですけどもなんだかハチミツの頃のキッラキラで毒々しい感じからキッラキラさを抜けてしまってると思いませんか?
初期三作のようなドロドロでねちょっとしてるようなそんな世界観への回帰を目指したんじゃないかと考察しています。
ブレイクはしたものの、自分たちの規模が大きくなればなるほどメンバーはどんどん苦悩していきました。
そんな悩めるスピッツメンバーを残して笹路正徳はプロデューサーから降りることとなります。
―同じバンドとは3、4枚やって離れる方がいい
草野さんも”そうだよなぁ。”となっており、葛藤もなく後腐れなく別れられたそうですが、その固い信頼とどこか存在していた依存という形態はスピッツを沼底に追い込むことになります。
第五章 嘘の毛皮
笹路政権終了後は案の定というか、既定路線を突っ走るかのように迷走していくことになります。
その中でプロデューサーとして招聘したのは元カーネーションの棚谷祐一でした。理由は自分たちがカーネーションを好きだったからとかなり適当とも言える理由。
棚谷祐一のプロデュース方法はハッキリ言ってめちゃくちゃ素晴らしいタイプだったんです。メンバーを尊重し、みんなに寄り添って5人目のメンバーのようにアドバイスや全員の意見を聞いてくれる。
でもどうやらこの時期のスピッツというか笹路離れが完全にできてないスピッツからしたら完全に逆効果だったのです。
笹路が絶対的なリーダーとして全員に善し悪しとかOKサインを出す側だったのに対して棚谷はあくまで補佐でOKサインを強くは出さなかったのです。
これは全く悪いことではありません。棚谷のやり方が間違ってるわけがない。しかし、さすがに時期が悪い。
笹路正徳の後任というのはそれはそれは本当に大変で重たくてそれでいてスピッツもスーパーな彼に頼りきりだったのです。
棚谷とのタッグで生まれた曲はどれも優しくて消え入ってしまいそうなそんな微かなヒビを感じてしまう曲ばかりだったのです。
その苦悩と薄暗さを一身に背負って出来てしまったのが嘘の毛皮という意味を持つ1998年3月25日発売『フェイクファー』だったのです。

この頃は苦い思い出しかないためまともにフェイクファーが聞けないという草野さんもこのジャケットはお気に入りだそうです。
このアルバムで草野さんの声は決定的と言えるほど変わりました。声の出し方が変わったんでしょうね。ハチミツとフェイクファーの低音と高音の質感が全く違う。
子供が大人になった。という表現が個人的には一番しっくりきますね低音が前までジクっと鳴るような声だったのですが、この頃からどうもくぐもってるというかモワッと出してる感じがします。
高音も芯が太くなったなぁ。って思います。こういった変化によってサウンド自体も変わります。
そんな自分自身の変化に戸惑っていた草野さんはレコーディングでも上手くいかず少しいらだっていた。と証言しています。
田村はこの頃からリーダーとして笹路のようにバンドを引っ張っていくことを決意したというのは大きな収穫だったでしょう。
そして、遂に田村は”動き”出しました。印象的なライブでのパフォーマンスの原型は田村自身が創出した言ってしまえば成長の賜物だったわけです。
この頃にPUFFYに『愛のしるし』を提供します。
確か30分かなんかで書き上げた曲だとかなんとか。
それはそうとフェイクファーのアルバムはファンの中でもかなり人気ですよね。
草野さんの持つ詩の世界観がこの時点で多分究極に近かっただったからだと感じております。
シングル曲の多さも魅力。
まずはドラマの主題歌として書き下ろした『スカーレット』です。草野さん曰く渾身の出来だったそうです。
つぎに『運命の人』これはファン人気高いですよね。
そして更に両A面シングルの『冷たい頬』と『謝々!』両方超がつくほどの名曲です。
さらにはアルバムから評判だったためにシングルカットされた『楓』も入っていました。
今ではその曲が映画化するんですからホント人生わかんねぇもんですよね。
実はこの時期にスピッツファンならばご存知クージーことクジヒロコさんがレコーディングやライブに参加するようになったのです。
彼女と演奏した時の楽しさそのままをレコーディングして曲に記した『99ep』がここで発売されます。3つとも地味ながら見逃せない佳作集となっております。
大きなものを収穫しながらそれでもまだ自分たちがどうなりたいのかが明確に見えないまま草野さんもあるアーティスト旋風をモロに被弾することになります。
99年ということでピンと来た人はいるかもしれないですね。
そう、[宇多田旋風]が日本にやってきたのです。

ひとつ言いたいのがこれに衝撃を受けたのは我々もなんです。
やけに綺麗で歌上手くて更には若くてセンセーショナルで何よりも音が良すぎるんです。
例えるならばSpotifyで聞いていたユーザーがAppleMusicへと行った後に音質の良さに驚くみたいな。あの現象を日本で起こしたのです。
草野さんもこのことについて”彼女と比べて自分の音のショボさに驚愕した”と語っています。
この革命に草野さんは対策を講じます。簡単に言えばアメリカのエンジニアを要請します。スピッツの更なる進化に一役を買ってくれた切れ者エンジニアこそがトム・ロード=アルジでした。

またアメリカに行く置き土産程度に『花鳥風月』というアルバムを発売。
シングルのA面ではなく、B面集という日陰者だけを収録する。というスピッツらしくちょっと尖ったアルバムに着手します。

この時に『流れ星』や『愛のしるし』などのレコーディングによって音の迫力のなさを再認識し、曲を何曲か作ってからそれのミックスをトムに頼む。と決めて何曲か作ることになります。
そうしてポップな色をすっかりと消して作ったロックな曲を手荷物にアメリカのマイアミへと飛んでゆくことになったのです。
第六章 マイアミショック
まずアメリカで変わったのはレコーディングで重視する音でした。
日本のオーソドックスな順番としては
歌→ギター →ベース→ドラムでしたが
アメリカでは
ドラム→ベース、ギター →歌です。
バンドサウンドの5割方は担っているドラムが重要なのは分かりきっていたことですが、それでも日本人はメロディを重視する傾向にあります。
これは日本に住む日本人という民族が代々受け継いできた遺伝子の影響です。
雅楽や箏曲、琵琶楽等々日本はメロディの規律の奴隷となる文化が強いんですね。
だからこそのマイアミでのレコーディングだったわけです。ロックサウンドを知るならばそれが一番画期的な場所に行けばいい訳ですね。
とにかくファズの歪みやディストーションを鳴らしたサウンド(ブラック・サバスやシカゴなどの音楽)を好んでいたスピッツですが、どんどん自分たちが優しさに溢れたサウンドになることに迷いを感じていたんです。
アルバム内でもひたむきにロックな曲をひとつは絶対に入れる理由は単純に自分が理想としてきた到達点がそこだからにほかなりません。
この歪みを巡ってのスピッツ内での大激論やほとばしるほどのレコーディングを経てそういったスピッツのサウンドは生まれたのだと言うくらいこの歪みは大事な部分でした。
そしてそれを自分なりに模索しつつ、フェイクファーでの経験を糧にレコーディングではそういうテクニックのある人にミックスダウン任せていい。という考えが芽生え始めたのです。
海外録音をなんの意味もなかったと振り返るバンドもいる中、スピッツはしっかりとそこの経験を血肉として還元したのです。
そしてまたトム・フィルターというまさに魔法と呼べる代物を目の当たりにします。
ようやく完成しそうになったスピッツの求めていた全てが目の前にあるスピッツのメンバー。
喜びと興奮がそこにあったでしょうね。
“あの瞬間までは“
そんな時別れて久しい高橋が東京からはるばるマイアミへと現れました。
ロードアンドスカイからの独立?とかそれに準ずるほどの重要な話があるのは間違いない
そしてスピッツは自分達の初期を支えてくれた恩人にアメリカで再開することになったのです。
高橋は重くそして淡々とそう告げました。
ースピッツのベスト盤を出すことになってしまった。

レコード会社の一方的なプロジェクトでこれは覆しようのない決定事項でした。
元々スピッツは[ ベスト盤は解散するその時まで出さない ]という意思表示をしており、当時のベスト盤ブームへのアンチテーゼとして花鳥風月をリリースしていました。
つまりはベスト盤なんてものを出したくはなかったのです。スピッツの旬が過ぎてしまうその寂しさもあったそうです。
草野さんはレコード会社で築けていたであろう信頼という城が一気に崩れ去ることとなってしまいます。
でも、高橋が飛行機のハイジャックを経験し、その心の傷が癒えないまま飛行機でマイアミまで来てくれたことや色々な葛藤もあり、一応は出すことは決めたようです。
当時の記憶ですが、ファンに買わないでください。と書くベスト盤(シングル集だけどね)なんて今までなくてめちゃくちゃ戸惑ったことを記憶しています。ただならぬ事情が絶対にあると分かったから。
このアルバムは奇しくもスピッツ史上最も売れたアルバムとなってしまったことも後に彼らを少しづつ痛めつける呪物と化してしまいました。
この事件に酷く傷つけられたスピッツでしたが、最低限自分らが関わらなければいけないという仁義のもとタイトルとジャケットのデザインは自分たちで考えることにします。
タイトルには再利用という皮肉を込めてRECYCLEと名付けます。
マイアミで掴んだその手応えこそがスピッツの原動力でした。
それはそうとスピッツはこのマイアミショック騒動で4人での本気の話し合いをすることになります。
つい半年前に出された花鳥風月で「ベスト盤は解散する時に出す。」発言を真実とするべく解散という2文字もチラつきました。
ーいっそ解散して4人で違う名前の新しいバンド名を考えてやり直そっか
この意見で生まれたバンド名を元にした曲が『ミカンズのテーマ』でした。
一応RECYCLEで出来ることをやろう。ととにかく明るく振る舞うスピッツでした。これもまた皮肉なことにマイアミでの経験が活き、めちゃくちゃ聞きやすいアルバムになってしまいその音を草野さんは気に入ってると後に口にしています。
ーこのアルバムをきっかけにスピッツが知られたらいいな
そんな甘い言葉を耳に溶かしてこの騒動に暫定的ではありますが、区切りをつけることにしたのです。
第七章 誰よりも早く駆け抜け!
騒動をきっかけにスピッツは心の中では一度解散しました。というか再生が行われます。
マイアミでの経験やフェイクファーでの悩みが完全に晴れた状態はもう生誕と言わずとしてなんと言えましょう。
マイアミ騒動でレコード会社と揉めたことによりスケジュールが白紙になります。
これが本当にスピッツにとってはいい時間となります。
高校生バンドのように「普段はやらねぇ曲をやろうぜ」とかキンクスやアラベスクのカバーをしてみたりとかで空けられた空洞に詰め物をして治療するかのように安息の時間を過ごします。
棚谷祐一との少しの間のタッグを解消し、スクーデリアエレクトロのフロントマンである石田ショーキチという人を新たなプロデューサーに迎えることを決めます。

同世代のプロデューサーが欲しい。という要望の元に彼に白羽の矢が立ちました。
石田のアドバイスや趣味嗜好は生まれ変わったスピッツには最高の相性と言えました。
石田の音楽的素養が深すぎたというのも草野さんにとっては超好相性でした。
90’sに活躍した邦ロックの中でもずば抜けた才能を持つコンポーザーだった草野さんと異次元のスピード感を持つ石田ショーキチのコンビは想像の6倍の親和性を生みました。
そんな中世紀初めに生まれた名曲こそが『ホタル』でした。
ロビンソンだったり、あるいは魔女旅に出るだったり、もしくはアパートや夢じゃないだったりと“美しい“と言える曲は無数にありますが、私としてはこの曲がダントツで美しいという感想を抱きました。
中学生の頃にこの曲をかけた時の第一印象はやけに幻想的だなぁ。でした。
心の水筒を山からの湧水で満たしてくれたかのようなそんな思いを抱いたことを今でも鮮明に覚えています。
スピッツ最高の転換点である『ハヤブサ』のレコーディングがこの頃から開始されます。
出てきたフレーズが他の曲のフレーズに似ていたとしても“リスペクト“として残すことを石田からここで習ったと言います。
ここでのレコーディングが最高に楽しくて毎日スタジオに行くのが楽しみだったと回顧する草野さん。
名前以来の勢い任せのレコーディングであったと言われています。
ーもう怖いものなんてない。新しいことをどんどんやろう
この思いで『ハヤブサ』の曲はできました。

『宇宙虫』や『いろは』、『ジュテーム』などの変わり種のような曲。
『放浪カモメはどこまでも』や『8823』などのロックソウルフルな曲もやりたいことを惜しみなくできる環境に草野さんはご満悦だったことでしょう。
この頃からライブバンドとしての地位も確立していきました。
この時期にわたしもスピッツの初ライブに行きました。今思えばなんていい時期に巡り合えたんだと感動してしまいます。
この頃韓国でも隼ライブをしていました。
盛り上がり方も「ウソ!」と思うくらい盛り上がったと語っています。アウェーでもスピッツは盛り上げれることを証明したエピソードであると思います。
音の質、演奏能力、歌唱力、ソングライティング、充実感
この全てが最高潮に達しているのがこの時期であると言えます。
私はハヤブサ〜三日月ロックまでの時期が草野マサムネの才能が頂点に届いた時期であると未だに信じているんです。
しかし、絶頂を迎えている草野さんを唯一苦しめているものといえばやはりある女のある行為がスタートしたことになるでしょうか。
過剰な愛というものは時に傷を与えてしまうのです
第八章 小さな波に浮かべる三日月紀行
荒々しくも洗練された勢い9割哲学1割で構成されたハヤブサの突出度に満足した草野さんはまたしても燃え尽き症候群に襲われます。
前と違うところは後ろ向きに行くのではなくそれを前向きに捉えることのできる余裕があるということでしょう。
石田ショーキチとの旅はここで終了です。まぁしかし、後に田村を誘って石田ショーキチはバンドを組むことになります。
MOTORWORKS(モーターワークス)というバンドです。また取り上げようかな。
“たった一度きりの超名コンビ“を解消し、長く安定したコンビをこれから組むことになります。
そんなプロデューサーの名前を見たのはオリコンチャートだったと言います。
かつて椎名林檎をプロデュースし、彼女の超級の才能を惜しみなく王道ポップスに還元したあの男でした。
東京事変のベーシストとしても知られている亀田誠治です。

[日本のベーシスト]という括りで囲った時に彼を挙げないわけにはいかないほどの人物ですよね。
草野さんからバンドのメンバーに提案し、遂に2001年の7月の『さわって・変わって』にてプロデューサーとして迎えます。
スピッツとしては大味で亀田印がどことなく感じるそんな曲です。
そんな2ヶ月後ショッキングな事件が起きました。
2001年9.11 アメリカ同時多発テロ

最終的に3000人ほどの死者と25000人ほどの負傷者、そして100億ドルの損害をもたらしました。
私もテレビで見た時にただならぬ恐怖が一瞬私の脳髄を襲ったことを記憶しています。
ーえ、このままアメリカが報復なんかしてしまったら世界はどうなるんだ。
草野さんもこの事件により音楽をやる意味というものを本気で見つめ直すことになります
圧倒的な暴力による凄惨な事件の前では音楽なんて無価値無意味じゃないか。と考える草野さんでした。
課題を与えられたいと思うほどに思い詰めていたちょうどいいタイミングでカルピスのCMソングの案件が飛び込んできます。
弾き語りからスピッツぽくねぇな。と思わせてからどんどんスピッツらしくロックにしていこうというコンセプトの元生まれた『ハネモノ』ですよね。
個人的には1番スピッツぽい曲だと思います。前奏のノスタルジックさやドラムのハードロック感だったり草野さんの美しいハイトーンだったり。
変わる〜の「る」のとこの裏声で全てが澄んでいくような感覚に襲われるのは私だけではないはず。
2002年8月頃に『水色の街』との両A面シングルとして発売されます。
このシングルの2枚はなんとなーく覚えていますね。
どちらもファーストインプレッションの時はそれほどでもなかったですが、聞けば聞くほど味のするスルメ曲でした。
そんな『ハネモノ』を足がかりに『三日月ロック』のレコーディングが開始しました。
草野さんが書いた曲を亀田がデモテープによって下味を付けるといったプロデュースを行ったことにより、曲の横幅が更に拡張される結果となりました。
そして、亀田の要望によってリハまでに歌詞を作ってくるというルールも設けました。
時期が4月で花粉症の時期と被ったこともあり沖縄でのレコーディングとなったそう。
そんなレコーディングを終えた草野さんはとてつもないほどの達成感で腹が満たされていました。
亀田さんへの惜しみない賛辞の言葉と感謝を送った後にマスタリングを行います。
スティーヴン・マーカッセンという男に頼んでようやく2002年9月11日にリリースしました。
[ちょっとねじれたポップ感]を出すための亀田プロデュースでしたがそれをほとんど完璧に遂行してみせました。

暗い歌詞が書けない情勢だったことも影響しており、草野さんが見ている世界にキッラキラの光が当てられているような詩が特徴的です。
彼の見ている世界に光を当てなかったらインディゴ地平線や惑星のかけらのような半端なく暗くて無機質な歌詞の曲ばかりになりますからね。
ハネモノでタイアップ曲を作ったことによって[自分にとって何かテーマがあると作りやすい]となった草野さんでしたが、ちょうどよくあいのりの主題歌打診を受けます。
当時大学生の私もゲオで過去回やリアタイで見ていました。見ないとサークルでの話に入れないからですね。いやな動機だなーと自分でも思います。
内容は確か偶然ワゴン車に乗り合わせた男女二人が恋愛に発展して告白したあとは1日待たなきゃいけないという感じだったと思います。
草野さんはこの番組にいたく感動したらしく『スターゲイザー』という曲を書き下ろしました。
明日君がいなきゃ困る。
この言葉は多分ですが、あいのりという番組の内容を最も短く端的に表した一文だと思います。さすがは詩人草野マサムネです。
そうしてまたしてもB面集である『色色衣』が発売されます。

私は花鳥風月やおるたなと共によく聞くアルバムですね。まとまりの無さが逆に良いというか。何が出てくるか分からない百味ビーンズのような楽しさがあります。
なんというか本当に傑作集というか、小粒な曲が多いうえに聴きどころもしっかりある曲も充実しているという。スピッツそういうアルバム作るのクソ上手いイメージある。
ちょくちょくシングル曲入ってるのがいい塩梅。『夢追い虫』なんてそれこそ当時の草野さんの気持ちをダイレクトに反映された歌詞でしょうし。
三日月ロックによって亀田への信頼と尊敬のできたスピッツはもちろんの如く次作でもタッグを継続させました。
またここで今なお継続中のCorneliusやくるりのミックスをやっている高山徹にミックスダウンを依頼することになります。
高山への信頼はそれはそれはとてつもなく深いもので日本一のエンジニアと草野さんは語るくらいです。
次に制作に取り掛かったのは『スーベニア』です。
贈り物だったり、お土産みたいな意味があるそうです。私はスピッツのある種の紀行文なんじゃないかと勝手に考察しています。

歌詞がよりストレートになったのも大きな転換点でしょう。なんたって草野さんの歌詞はくもりガラスの如きぼかされ方をしていましたから。
よりシンプルにすることに重点を置いたからかスピッツらしさみたいなのは薄いような気もします。ど真ん中過ぎるというか。
『正夢』はそれでもその真ん中さがどこにも逃がしてくれない美しさがそこに存在していますよね。
愛は必ず最後に勝つだろう。このフレーズは多分ですが、最も日常に隠れた幸せを歌ったソングライターのKANさんの有名な曲のフレーズであることでしょう。
黄金トリオを形成したスピッツは中期において最も完成されたアルバムが出されます。
その名も『さざなみCD』これを嫌いなスピッツファンは見たことがありません。

スーベニアや三日月ロックよりもより一層バンドサウンドが強く、それでいてじっくり長く作ったからか一曲一曲ごとのレベルが高い。
草野さんもライブを意識して作ったと語っています。
確かにそう言われてみるとシンプルに盛り上がる曲もしんみりとほのかに浸れる曲も全部が全部やってくれると嬉しい曲が多いですね。
まためちゃくちゃタイアップした『とげまる』を3年後にリリースしています。

ストーリー性のあるMVとキュートなタイトルから想像もつかないほどメッセージを込めている『シロクマ』
シンプルゆえに心を打つ『つぐみ』、美しい針葉樹林を思わせる『若葉』だったり、ライブで聞いた時脱水症状になりかけたほどのキラーチューン『恋する凡人』、人生を明るくする応援歌の『君は太陽』とめちゃくちゃいい曲ばかり!
とげまるにはツンデレという意味もあるらしいです。
草野さんはそういうサブカルに意外と敏感なのかもね。
安定期に入り指針も自信も出来てきたスピッツでしたが、未踏の大災害と身に降りかかる災難によって草野さんはついに限界を迎えてしまいます。
第九章 僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど
2011年3月11日 14時46分 宮城県牡鹿半島を震源地としてモーメントマグニチュード9.0で震度7を記録する大地震が起きました。

私は当時大阪に赴任していたので難を逃れましたが、毎日のように被害の記録や行方不明者の数などを見て心を痛めていました。
この震災の影響で福島原発の危険な物質が工場外から民家に排出され福島でも多大な被害が出てしまいます。
書いている今でも苦しい限りですが、そんな大災害を目の当たりにした草野さんは急性ストレス障害により倒れてしまいます。
予定していたツアーもライブも全部白紙になる結果となってしまいました。
当時の私ですが、プロの自覚云々だかは全く意識しておらずただシンプルに草野さんの様態のみを心配していました。
まだ志村正彦急逝やゆらゆら帝国の解散だったりで私は解散とか引退の文字がチラつく時期だったこともあり、スピッツがもしかしたらこの事件から立ち直れず解散してしまうのではないか。とも思っていました。
そんな狭間の時期にまたしてもB面集の『おるたな』が発売されることになります。

ここら辺の時期のB面はなんだか本当に実験的というか本当に探究心を表面に出してスピッツの毛皮を被せるだけみたいなそんな感じの曲が多いですね。
チャレンジ精神と言いますか、そういったものが垣間見えるはずです
あとカバー曲がまぁとてつもなく多い。というか半数くらいはカバー曲になっています。
民生さんやユーミン、原田真二、初恋の嵐、はっぴいえんど、花*花などの往年のレジェンドや彩ったスターが揃い踏みです。
強いて語るとしたら初恋の嵐でしょうね。彼らのストーリーというのはあまりにも短い。
元々スリーピースバンドでインディーズで名を馳せてついにメジャーデビュー!ってところで西山達郎さんが25歳という若さで亡くなってしまうんですよね。
草野さんも多分耳にしていたと思います。彼は本当に音楽が好きで色々なアーティストの色々な曲を聴き漁っています。なのでショックを受けたはずです。
彼らの才能を忘れ去られていく前に自分たちがカバーすることで未来に残そうとしてくれた。とそうだと嬉しいねという妄想です。
まだまだ草野さんの悲劇は続きます。
これも悲痛なニュースですが、草野さんを長らく苦しめていた元凶でもあるストーカー野郎の事件が野晒しになります。
私は橋浦騒動と呼んでいます。まぁもちろん私も彼女の名前は知っていましたよ。スピッツファンの中ではかなーり有名でしたから。
しかも草野さんと凄く親しい間柄みたいなことをブログに書き連ねていました。
内容はおぞましくて思い出すのも吐き気がしそうですけど。
一部抜粋しますと、自分を「草野さんの彼女」と主張、草野さん自らが会いに行くよと言い、家に来たことや会った場所、会話などの妄想話をこと詳細に書き込み(怖い)、草野さんとの結婚の予定があると嘘をつく、草野さんの自宅を突き止めポストを勝手に見たり、何度もインターホンを押す、とてつもない数のプレゼントを送る。(中には語るのも苦しいものもあり)
ヤバすぎやろ…。
ファンクラブ内でも卑猥な写真を送ったりしていました。そんなことしてたのかよ。
東日本大震災の被害と長年のストーカー被害が重なった草野さんのことを思うと凄くいたたまれない気持ちになりますよホント。
ファンクラブ強制退会やライブ永久出禁などを経て完全にスピッツ内から追放という形を受けます。

手紙の内容がおっそろしいですよね。歪んだ愛は時に人を追い詰めてしまうんだなぁとしみじみ。
しかも、こいつ厄介なことに男ファン結構抱えてたから草野さんに嫉妬する気持ちの悪い連中までいたんですよね。
そういった内容の書き込みを見て一人でめちゃくちゃ苛立っていたのをよく覚えています。まぁあんなもん痰壺なんで見る方が馬鹿でしたけども。
こいつだけで記事書けそうですが、そういったもののトラウマを乗り越えつつ、ついに草野さんは自分で起き上がることにします。
『さらさら/僕はきっと旅に出る』この両A面が2013年。2年越しに出されることとなります。
この新曲の発表は本当に嬉しかった。
人生で一番喜んだ瞬間かもしれませんね。
さらさらのアルペジオでもう心が直接震わされてるかのような緊張と感動がありました。そして僕はきっと旅に出るです。
このきっとが良いんですよ。これを持って草野マサムネは復活したと言えます。
程なくして『小さな生き物』が発売されます。

給料はたいてデラックス盤を買いましたよ。もう今この瞬間しかスピッツを応援できないんじゃないか。という不安があったから。
―CDというものがどうなるかは分からない、ひょっとしたら無くなってしまうかもしれない時代なので、出来ることをしておきたい
この思いから複数形態での発売を試みたわけです。心の傷がまだ完全に癒えてないにも関わらずこんなことを言ってのける草野さんは本当に強いんだな。って思います。
全編通して陰はあるけどしっかりとそれを包む光も感じれるそんなアルバムなんじゃないかな。
第十章 醒めない
カムバックを果たしたスピッツでしたが、活動はライブが中心だったように思います。この頃から確かサザンやミスチル、B′zと並ぶ国民的バンドという見方が広まったような気がします。
2014年 一部界隈では隠れた名曲としてひっそりと語られていた『愛のことば』がシングルバージョンとしてリリースされます。ドラマの主題歌でその内容も良かったのでそれにあわせてでしょうね。
これのせいで隠れてすらいない超名曲として広く知られるようになりました。ハチミツの曲全部この末路辿りそうだな。とかこの頃思ってましたけどそうでもなかったです。
そしてその来年の4月頃に『雪風』がデジタルリリースされます。
携帯で音楽を流すという行為がかなーり一般的になった頃でのレコチョクリリースは正直驚きました。YouTubeでMVもガンガン挙げてましたし、時代の流れに適応できていてシンプルに尊敬です。
トリビュートアルバムもここで出されましたね。ハチミツ聞いた後には必ず聞きたいものです。草野さんの声が何よりの宝物の私でしたが、このカバー集を聞いてそれも悪くねぇなぁと。
参加ミュージシャンも音楽好きにはたまらない人選となっています。
赤い公園、10-FEET、indigo la End、9mm Parabellum Bulletやアジカン、鬼龍院翔、クリープハイプ、GOOD ON THE REEL、NICO Touches the Walls、初恋の嵐、LAMP IN TERREN、スコット・マーフィーだったりです。
それこそ、クリープハイプのあじさい通りは本家と同等かそれ以上かに好きかもしれないです。
2016年に『醒めない』がリリースされます。

このアルバムホントに大々的に盛り上げようとスピッツ側がめちゃくちゃ頑張っていたんですよね。
ライブツアー醒めないをやってみたりとかテーマ曲を自分のラジオで毎回かけてみたりとか。
スピッツの引き出しが空っぽになったのかなぁ。とか雪風聞いてほんのちょっと思ってましたが、引き出しの出前が少なく見えただけで奥までぎっしりまだ残っていましたね。ごめんなさい。
『みなと』という今でもかなりヘビロテさせて貰っているめちゃくちゃ好きなシングル曲が収録されているんですよ。
この曲のいい所って草野さんが震災への気持ちに決着をつけたところなんですよね。もうしがらみに囚われないぞ。とちっさくあっかんべーしてる草野さんが私の頭の中でいつも到来してくれます。
震災でお亡くなりになられたあるいは行方不明になってしまった方への鎮魂歌です。この曲はポップさよりも不仕合せさといいますかそこら辺が微妙に勝っちゃってるのも印象的です。
醒めないにて”任せろ”とまで言ってくれたのですから、私は永遠についていくつもりです。
2017年 デビュー30周年という節目にこれまでのシングルを詰め込んだシングル集を発表します。
新曲三曲もついでに封入されていました。の中でも『1987→』が私はとてもお気に入りです。
ファンに美しすぎる君なんて言うたまらないバンドがスピッツですからね。ファン想いかどうかは分かりませ んけど大事にはしてくれてるのかなぁ。どうでしょう?
その後のスピッツですが、なんと朝ドラの主題歌を歌うことに。
このニュースはサプライズでしたね。
そういったなんというか大御所らしい活動はしないもんだと思っていましたけど。まぁ、かなりあっさり目の曲だったのも驚きでした。
ふんわりというか軽やかな曲。
『優しいあの子』よりもカップリングの『悪役』のが印象に残っています。タイトルの対比感も好きでした。
またこの年に『見っけ』というアルバムが発売されます。

草野マサムネ短編集みたいな内容ですね。まとまりはあえて無くしてるのだと考察しています。このとっちらかり方がなんでしょうむしろ肩の力を抜けるというか。落ち着くアルバムですよね。
このアルバムは本読む時とかによくかけています。入り込みやすいんですよね。今どきで言うと”チルい”ってやつです。
2019年にロビンソンが1億回再生突破。というニュースも入ってきます。邦楽史上最高傑作はロビンソンだと思っているのでこれに関しては驚きはなかったです。
この優しいあの子とロビンソン1億回という節目を持ってスピッツの認識がどんどん変わっていったように感じます。
まだやってるんだ枠から国民的バンドになったんですよね。本人達は多分そのポジションに微塵も納得していないと思いますけど。
若いファン層がどの時代にもいるのがスピッツの特徴だったのですがこの年は特に見かけた気がします。きっかけさえあればまだまだ伸びていく不滅のバンドだな〜。となりました。
第十一章 それは今も続いてる
この頃はよくタイアップを受けていましたね。紫の夜を越えてだったり大好物だったりで金のためだー。とか批判を見かけましたが、やっぱ依頼されるとハネるタイプのバンドなので個人的にはどんどん受けてくれ感はありました。
シンプルにタイアップに寄り添うのではなく、自分なりにそのタイアップ元を吸収して自分たちの音楽にそのままコピーアンドペーストできるのがスピッツの強みなんですよね。
カバー範囲がとてつもないくらい広いせいでよくドラマやCMで使われるのも、こういったどんなことにも微妙に当てはまるし当てはまらない曖昧さゆえです。
優しいあの子ブーストもちょうど切れて、私もちょくちょくスピッツ以外を聞いていた頃にビッグニュースが飛び込んできます。
劇場版名探偵コナンの主題歌にスピッツが起用される。というものでした。

え!?それってB′zとかハイロウズのめちゃくちゃロックなヤツらがやるもんじゃないの!?となっていましたね。倉木麻衣というお抱えもいますし、本当に衝撃でした。
タイトルは『美しい鰭』最初は鰭の読み方がわかんなくてナマズかなんかだと思っていました。
これによりスピッツはまた小ブレイクを果たします。いつまでやるんやこのバンドは…
ストリーミングの再生でもかなりの高順位をたたき出し、未だ健在であることを世間にアピールする形に。
名探偵コナンをミステリーである以前に壮大なラブストーリーと捉えているそうでワクワクよりもハラハラを重視している曲直。
多分草野さんはコナンやりたいな。と思って曲は作ってないと思ってるんですよね。仕事を頂いたからそれを全力に全うしただけなんだと勝手に思っています。ちょっとひねくれた考えかも。
この年に『ひみつスタジオ』というアルバムも発表しました。

内容がここ近年だとぶち抜けていいですね。まとまりもそうだし、程よく統一感のない感じもあるし、探究心も存在しています。
何気にドラマの主題歌とかそういった曲が1番多いのもこのアルバムなんじゃないかな?よく見かけた気がしますね。ここらへんの曲は
最後になりますが、スパイファミリーの第3シーズンの主題歌として『灯を護る』がリリースされます。
キッラキラのサウンドでハチミツの頃をちょっと想起させるようなそんな内容になっています。
スパイファミリーの世界観も冷戦という緊張状態の中の平和や日常を描いた作品なのでそういった恐怖と幸福のバランスがいちばん取れているアルバムはハチミツになるのでそうっぽくなるのはもう必然でしたね。
歌詞の世界も美しいですよね。正解はこれじゃないのかも。やり直しながら進もうかとか
この不均衡な美こそスピッツの真骨頂ですね。
あとがき
アルバムの感想とか個人的な思いをもっと書きたかったのですが、まぁ出し惜しみさせてください。同じことつらつら書かれると辛いことでしょうし。
さて、今回はスピッツのいろはということで約20000文字を書き切りました。
本当に疲れました。言葉選びも気をつけましたが、ところどころ雑になってしまったことは謝らなければなりません。
最後駆け足になってしまいましたね。反省はしています。後悔はしていません。意外と曖昧なんですよここら辺。
さて今回はここまでにしましょう
またお会いしましょう
さようなら〜👋
