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#0 沈み切ってみる

 こにちは、西川です。今日から再びnoteを使って日記とか日頃思っていることを載せていこうと思います。一応受験生なので投稿頻度高くはありません!17ヲンナです、詳しい自己紹介は省きます。


 

 書き留める理由

 
 皆さんは最近何で泣きましたか。私は今年の17歳の誕生日(2月)あたりを境に涙腺の機能が最盛期を迎え歯止めがかからなくなっていて、最近はもうログインボーナス感覚で泣いています。サカナクションRadioheadのライブ映像を観たとき、本を読んだり邦画を観ているときや、怒られたり失恋したり色んな経験をした後は決まって号泣する体になってしまいました;;        
 冗談半分で聞いてほしいんですけど、4日前は広瀬香美さんの「うっせぃわ」を聴いて泣き崩れました.…。

cool

 
    良くも悪くもこの時期って感受性豊かで少しデリケートな部分が表出している分、悩みも多くなるんですね。特に最近は母との言い争いが頻繁に起こっていて、いつもなら歯牙にもかけない些細な一言が気に障り、私の中で飼っている田中み〇実がアクセル全開でヒステリックを発動させ、毎度長丁場の口論に連れ込んでしまいます;;(この田中み〇実はお母さんにしか顔を会わせてないので安心してください!お母さんいつもごめんなさい大好き)
 
 そしてこの多感な時期だからこそ、冒頭で挙げたようなモノや作品の美しさに触れたとき深く感動できるんだと思います。小学生の頃から何十回も観てきたサカナクションのライブ映像を、今この年になって見てみるとでは大きく変わっていて、当時は絶対湧かなかった感情だったり上手く言葉に出来ない気持ちを最近は自分自身でも羨むようになり、いつもライブ映像を観て泣き終わった後、「いつまでこういう気持ちが続くのだろう」と、どこか不安げで淋しさに浸りながらも感動させられています。

 今みたいな時期に湧いてくる前文のような感情って絶対に貴重で愛おしくて、大人になるにつれて枯渇していくと思うんですね。17歳の私でさえ小学生の頃のあのナイーブで無邪気な、周りの目も気にすることなく何でもやってやろう感を羨ましくも素晴らしいと思います。なので、こんなにも収集がつかない程感情が溢れているこの時期を大人になった自分が見ても同じように思うだろうし、今からでもきっと何かに残しておかないと後悔すると思いnoteを通して書き留めていくことにしました。
 
 過去の私に恩返しが出来たらなんてよく思っています。

 
 

 舵切れません

 
  大人になった自分と今の自分は決して断絶していないと思うのですが、どこか変わらなくてはと焦らされている自分もいます。今の時代、AIの進歩や終身雇用が崩壊したり、SNSを通じて同世代や成功者のキラキラ生活が可視化され、正直今後どう生きていくのが自分にとって正解か分からず将来が少し不安です。加えて一昨年ぐらいから発症した神経障害性疼痛という一生付き合っていく可能性のあるやや大きめなハンデのせいで思い悩んでいることもあります。こういった外的要因もあれば、昔から根を下ろし今でも僅かに残っている完璧主義なところや恋愛、本能的な部分から不安に駆られることも多くはないです。

 今を薄めたくないと思えば何か変化を求めるようになり逆も然りで、右から左へ揺れる振り子のような心持ちです。前までは大胆に部屋の模様替えをしてみたり、柄にもなくカラオケで銀杏BOYZ(エンジェルベイベー)を歌ってみるとかよく分からない方向に走ってしまっていました…。
 

 周りにこういう不安を口に出して話せる友達がいないこともないんですけど、全員ケセラセラ星人なのであまり聞く耳を持ってもらえません;; 同世代ではないんですけど、ネットで話を聞いてもらっている人からは投げやりの回答しかこないので糠に釘って感じです....。でも結局私が健全と思っている人生と他の人のとでは大きな溝があるし、多分他の人から何を言われようと今の自分には何も響くものが無いんですよね(すいません面倒くさくて)。
 
 言葉を交わさずとも分かり合える人がいたらいいですね。

 
 

 寝床の深潭


  週の半分の夜は家に私しかいないので、家中陽気な音楽で染めてキョンちゃん(愛猫)と息の合わないキャッチボールをしたり、勉強や絵を描いたり友達とご飯に行くなどして過ごしています(もち家事も)。小中学生の時は親がいない日なんて大したことなかったんですけど、つい最近までは一人でいると前項で挙げたような不安に駆られてしまうことが多く、家の中にいても出来るだけ忙しくしたり家から出るようにしてました。
 ですがその時の私は隙あらば考え込んでしまう性分で、一仕事終えた後や家路につく時も将来の不安のことで頭がいっぱいでした。特に夜になると、憂慮へ手招かれている感じがしてなりません。

 友達とご飯へ行く時は一駅分歩き隣町の安く済む町中華に行くことが多くて、ちょうど3週間前のその日もそこで夕飯を済ませたんですけどコンビニに寄りたかったので少し遠回りをして帰っていました。コンビニでアイスコーヒーを買い終え、いつもと違うルートで帰っていると住宅街をすり抜けていくように流れている川があり、川面に浮かぶ葉と底に沈んでいる葉が街灯に照らされているのを見てふと訳もなく自分を投影してみようと思いました。浮かぶ葉は水に馴染むのに抗い、沈んでいる葉は全て受け止め摂理と向かい合ってるように見え、今の自分にいつまで経っても満足出来ず不安が続くのは自分と深く向き合ってこなかったのではないかと考えさせられる端緒となります。
 
 思い返せば、何か困難や問題に直面し悩み苦しんでいる時はどうにかテンションを上げようと誤魔化すため、わざと忙しくしたり爆音でDry Kill Logicを聴いたりして自分の内面と向き合うのを何気なく敬遠していました。
 向き合うきっかけとなる出来事はこれまでたくさんあったのに、頭のどこかでそれは地味で辛い事と無意識に分かって避け続けた結果、単に振り幅を生み次への反動が少しずつ増していくだけなんですね。冒頭で書いたような感受性豊かなこの時期はまさに内面に変化ができた証で、自分と向き合う大事な機会(時期)なんだと気づかされました。
 
 素直な自分の気持ちから目を背け、自己と向き合わなければ”自分は本当はどうしたいのか”が見えてこない。
 「私はこういう性格だから悪くない」を言い訳にして、自分の願望が通らないことを性格のせいにし、その性格を形成したを恨み始めたり、あるいは世の中に矛先を向けたりと根拠などあるはずのない怒りや恐怖、不安などを持つようになります。
 多くの体験、特にこの時期の失敗体験は自分の弱く脆い部分と向き合うチャンスで、自己分析を深めていけば「何であの時こう言ったんだろう」、「何でこういう行動をしたんだろう」と自分の内面の特徴、傾向の理解に繋がり、ずっと内側にあった不安や悶々を少しずつ剝がすことが出来るということを最近になって気づきました。

 加えてこういう時期だからこそ湧いてくる悲哀や切なさを無碍に扱っていたことにも気づかされました。先ほど書いた様にこういう感情が湧くと、とにかくポジティブな方向に持っていきたくて爆音でメタルとか聴いて無理やりテンションを上げていたんですけど、自分と向き合うことの重要性を知ってからは、逆に上記のような感情はこの先得難いのではないかと思い始めました。

 センチメンタルな夜はベットで寝ながら青い薄手の毛布を体に被せ、憂鬱で暗い曲を聴き、感傷に浸ってみる。電気をつけたまま毛布を被ると、程よく光が漏れてきて、海深くへ心も体も沈んでいくように感じられます。
 川に沈んでいた葉のように全て素直に受け入れ、気が済むまで沈み切ってみると案外心地よくなり、気が楽になれた気がしています。

 

 アイデンティティ

 
 こんな弱さが自分らしさで、驚くほど文末表現のレパートリーが乏しいのも自分らしさ;; 壁にぶつかった時も素直に受け入れ、最近は全部肥しにするぐらいの心持ちになりつつあります👊

 普段考えないようなことが夜に浮かんできてもまたそこに沈めばいいし、不器用なりに自由に向き合うことが今の自分には可能になっている。

 今まで張っていた膜がふやけて剥がれていくのが解る。17年間生きてきた現時点で、この先の人生で必要となる見え難い何かを手にした気がします。

 今は柳の枝みたく、柔らかくしなり波を打ち起伏している状態。こういう一時的な感情の突起は自分がまだ青く、恥ずかしくなるぐらい幼いことを実感させられるのと同時に、素晴らしいと思わずにはいられなくなる。

 二度と創ることの出来ない瞬間の連続を生きているんだと感動できる人間であり続けたいです。




 最後まで読んでいただきありがとうございます。
 
 普段の私を知っている人がこの記事を読むと引き散らかすぐらいキャラが違うんですね。でもこういうのを言える場所が欲しかったのでまじでnoteはオアシスです。

  本当はもっと書きたいこともあるんでしょうけど、言葉に落とせませんでした。
 
 初回から暗い内容ですいません;; サムネの横転する桂文枝さんで中和できればと思っています😿

 今後も気まぐれに更新していきます。

  またねん


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