お金というものが世界からなくなっても、わたしは、「ずっと」瞑想を分かち合っていくと思う。
CharityというタイトルでTarikaさんからnoteの企画でバトンを受け取ったので、少し書いてみます。
【Charity──愛という実践が、かたちを変えて生きていく】
「たとえ、お金がない世界になっても、
わたしはきっと、今と同じように誰かと瞑想を分かち合っていると思う。」
これは、わたし自身の中にふっと浮かんだ『確信』のような感覚です。
◉ 「Charity」ってなんだろう?
『Charity』と聞くと、多くの人は「寄付」や「慈善活動」を思い浮かべるかもしれません。
でも、言葉の根っこに触れてみると、その響きはもっと優しく、もっと根源的なものなんです。
ラテン語の『caritas(カリタス)』──これは「愛」や「親切」「思いやり」を意味する言葉。
この語源はさらに深くたどると、「魂が魂に向ける信頼」や、「惜しみなく与えるあたたかさ」と訳されることもあります。
つまりCharityとは、本来金銭のやりとりではなく、
『存在そのものを、惜しみなく分かち合おうとする在り方──』
だったのです。
◉ わたしにとっての「Charity」は、瞑想そのもの
瞑想って、誰かに教えるから報酬がもらえる、
知識を与えるから対価が発生する──
そういう種類のものじゃないと思ってます。
むしろ、わたしが誰かと一緒に瞑想する時間は、
その人の中にある『本来の静けさ』が芽吹いていく瞬間を、
ただ隣で見守る時間なんですよね。
それって、「与えている」んじゃなくて「巡り合って還っていている」感覚に近い。
誰かに教えることで、
誰かと静けさを分かち合うことで、
むしろわたしの魂が思い出していく。
そんな循環の中に、わたしはずっと身を置いてきて生かされているような気がします。
◉ 「瞑想は、愛のかたち」でもある。
瞑想ってね、言い換えるとセルフチャリティ(自己への慈悲)だと思うんです。
頭の中のノイズを止めようとしなくていい。
誰かの期待や成果から、いったん離れていい。
ただ、ありのままの自分に還っていい。
そんな存在の許しを、自分自身に贈ること。
それが、瞑想の入り口であり、
そしてそれが誰かと分かち合われた時──
それは「Charity」という名の、静かな愛の交流」になる。
◉ たとえお金のなくなった世界になっても、きっとずっと続けていく。
わたしはこの20年以上、いろんな場所で瞑想を色んな人達と分かち合ってきました。
ネパールカトマンドゥーの森の中の瞑想センターで。
東京の喧騒の片隅で、長野の森の静寂のなかで。
時に無料で、時に有料で、時にただ道端で。
でもどんな形式であっても──
「ぼくは、瞑想を分かち合うことをやめることはないだろうな」と思う。
なぜなら、これはわたしの『道』であり『喜び』だから。
そう、これは「仕事」でも「活動」でもない。
『わたしが生きる』ということそのもの──Charityって、きっとそのことなんだと思う。
◉ 最後に。
Charityとは、
愛が目に見えるかたちになったもの。
そして、祈りが誰かのそばに降りてくる橋のようなもの。
だから今日もわたしは、
静かに、でも確かに──
「本当の瞑想」というものがあるのなら、
それを引き続き分かち合っていきたいと思っています。
それがわたしにとっての、Charityです。
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今回、こちらのnoteのCharityバトン企画に参加させていただきました。
「分かち合う」という言葉が、静かに深く、わたし自身にも響く時間でした。
そして次は、大切なあの人に、このテーマを渡したいと思います。
▼次のバトン走者:
Natsumi🇬🇧さん
どんな視点から「Charity」が語られるのか──いまから楽しみでなりません(*^^*)
