ドローン歴20年の僕が、それでも地元で飛ばし続ける理由
僕がドローンを始めて、もう20年ほどになる。
いや、正確には当時「ドローン」なんて呼んでいなかった。
マルチコプター。
あるいは、もっと大きなくくりで「ラジコン」。
今では当たり前になった「空撮」も「FPV」も、少なくとも僕たちの周りでは一般的な言葉ではなかった。
ドローンを家電量販店で買って、スマホにつないで、GPSを捕まえて、ボタンひとつで離陸する。
そんな未来は、まだなかった。
あったのは、
「これ、どうやったら飛ぶんだ?」
という世界だった。
物もない。情報もない。それでも飛ばしたかった。
今のドローンしか知らない人には、なかなか想像できないかもしれない。
当時は、完成された製品を買ってきて箱から出せば飛ぶ、という世界ではなかった。
モーターを選ぶ。
アンプを選ぶ。
プロペラを選ぶ。
フレームを作る。
基板を載せる。
配線する。
設定する。
そして恐る恐るスロットルを上げる。
浮いた。
傾いた。
ひっくり返った。
壊れた。
直す。
また飛ばす。
そんなことの繰り返しだった。
今思えば、飛ばしている時間より作っている時間の方が圧倒的に長かった。
それでも面白かった。
むしろ、だから面白かった。
世界のどこかにいる「変態的な天才」たち。
そんな時代に、ヨーロッパを中心として、とんでもない人たちが現れ始めた。
個人の技術者や好事家たちが、自分たちでフライトコントローラーを作り、制御プログラムを書き、それを公開する。
オープンソースという文化だ。
僕にとって、これは衝撃だった。
ジャイロや加速度センサーから得た情報をもとに機体の姿勢を制御し、複数のモーターを絶えず細かくコントロールする。
人間が直接できるはずのない制御を、プログラムがやってくれる。
その基板とソフトウェアを使えば、
「自分で作った機体が、本当に空を飛ぶ。」
それまで一部の研究者や企業の世界だった技術が、普通のマニアの手に降りてきた。
世界中のマニアが改良し、それをまた別の誰かが使う。
欧州、米国、韓国、中国、日本。
いろいろな場所で似たような試行錯誤が始まり、フライトコントローラーやセンサー、モーター、ESCといった技術はものすごい勢いで進化していった。
やがて中国からはDJIのようなメーカーが登場し、「一部のマニアが自作していた空飛ぶ機械」は、誰でも扱える工業製品へと変わっていく。
技術の歴史を見ていると、いつの時代も似ている。
一人の天才が何かを作る。
誰かが真似する。
誰かが改良する。
安く作る人間が現れる。
量産する企業が現れる。
そして最後には、それまで一部のマニアしか知らなかったものが世界中に広がっていく。
ドローンも、その例外ではなかった。
次に僕たちが欲しくなったのは「鳥の目」だった。
機体が安定して飛ぶようになると、人間は次のことを考える。
「これにカメラを載せたら、自分が空を飛んでいるように見えるんじゃないか?」
CCDカメラ。
映像送信機。
アンテナ。
そして地上側の受信機とモニター。
今では「FPV(First Person View)」という言葉で誰でも検索できる。
でも当時は違った。
海外のマニアが公開する動画を見ながら、
「なんだこれは……」
と驚いていた。
ヨーロッパをはじめ、世界の一部の好事家たちが先を走っていた。
機体にカメラを積み、無線でリアルタイム映像を送り、自分は地上にいながら機体から見える景色を見て操縦する。
初めてFPVを体験したときの感覚は、今でも覚えている。
これは空撮じゃない。
自分が飛んでいる。
そんな感覚だった。
そして、FPVレーサーの時代が来た

マルチコプターが「ドローン」と呼ばれるようになり始めた頃、FPVの世界も一気に進化した。
ただ飛ぶだけではない。
速く飛ぶ。
低く飛ぶ。
狭いところを抜ける。
ゲートをくぐる。
そして競争する。
FPVドローンレースだ。
僕が一番のめり込んだのは、この時代だった。
今ほどドローンが社会から警戒されていなかった。
世間一般の認識も、
「ちょっと変わったラジコン」
くらいだったと思う。
だから県や市の公共グラウンドや施設を借り切って、仲間たちでコースを作り、レースを開催することもできた。
機体を自作し、PIDを調整し、プロペラを変え、モーターを変え、アンテナを工夫する。
コンマ何秒を削るために何時間も機体を触る。
墜落すれば直す。
直したら、また飛ばす。
そして世界でもドローンレースが広がっていった。
僕自身、日本代表を決める大会に出場するところまでのめり込んだ。
あの頃は、本当に面白かった。

でも僕たちは、薄々気づいていた。
同時に、FPVをやっていた人間だからこそ分かっていたことがある。
「これ、本気で悪用されたらヤバいよな」
ということだ。
とんでもない運動性能。
小さな機体。
凄まじい速度。
FPVによる目視外飛行。
電波の到達距離。
そして機体を操る操縦技術。
自分たちが遊びながら、その能力を誰よりも体感していった。
その能力を僕達はレースをするために使っていた。
速く、正確に、思ったラインを飛ぶ。
ただ、それだけだった。
しかし同じ技術を悪意のある人間が使ったらどうなるのか。
考えれば誰でも分かる。
だから、いつか何かが起きるだろうとは思っていた。
そして実際に起きた。
2015年4月22日
東京・永田町。
首相官邸の屋上で、一機のドローンが発見された。
機体には小型カメラなどのほか、放射性物質を含む容器が搭載されていた。
後に福井県の男が出頭し、事件として捜査・裁判が進められた。
いわゆる「首相官邸ドローン事件」だ。
この事件は、日本社会に強烈な印象を与えた。
「ドローンって、そんなところまで飛んで行けるのか」
一般の人が、ドローンという存在の可能性と危険性を同時に知ることになった出来事だったと思う。
そして日本のドローンを取り巻く空気は大きく変わっていった。
航空法による無人航空機の飛行ルールが整備され、さらに2016年には重要施設周辺での飛行を規制する「小型無人機等飛行禁止法」が施行された。
僕たちが遊んできた「空」は、それまでと同じではなくなった。
「自由に飛ばせた時代」は終わった。
その後も制度は整備され続けた。
そして現在では、機体登録をはじめ、飛ばす場所や飛ばし方によっては許可・承認、飛行計画、電波に関するルールなど、操縦者が理解しておかなければならないことは多い。
昔を知っている人間からすれば、
「面倒な時代になった」
と思うことはある。
20年前は、自分で作った謎の飛行物体を持って仲間と広い場所へ行き、
「これ、飛ぶかな?」
と、まともに飛ぶのかどうかもわからないものを、ワクワクしながら飛ばしていたのだから。
今考えれば、ものすごい時代だった。
昔は良かった。
……と言いたいところだが、実は僕はそうは思っていない。
もちろん、懐かしい。
あの頃の自由な空気は好きだった。
何も分からないから面白かった。
情報がないから自分達で考えた。
部品がないから作った。
飛ばないから調べた。
壊れたから直した。
世界のどこかにいる名前も知らないマニアと、同じ問題に悩んでいた。
あの時代にしかなかった熱量は確かにある。
でも、
僕は過去を懐かしんでドローンを語りたいわけではない。
なぜなら。
今でも飛ばしているからだ。
僕は今でも「操縦」が好きだ。
空撮がしたいわけではない。
綺麗な景色を撮影してSNSに投稿したいわけでもない。
もちろん、それもドローンの素晴らしい楽しみ方だと思う。
でも僕が20年間追い続けているものは、少し違う。
操縦そのものが好きなのだ。
自分の指先と機体がつながる感覚。
スティックをほんの数ミリ倒したときの機体の反応。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。
もっと滑らかに。
もっと正確に。
もっと自由に。
もっと機体を自分の手足のように動かしたい。
20年やっても、まだ面白い。
たぶん僕が好きなのは「ドローン」という製品ではない。
空を飛ぶ機械を、自分の意思で操ることそのものなのだ。
そしてFPVに出会って、その感覚はさらに別の次元のものになった。
FPVゴーグルを装着すると、目の前の現実世界が完全に消える。
自分の足も見えない。
自分が立っている地面も見えない。
目の前にあるのは、ドローンのカメラから送られてくる映像だけだ。
視界のすべてが、機体の視界になる。
その瞬間、不思議なことが起こる。
地上に立っているはずの自分が、空にいる。
いや、
自分がドローンになったような感覚になる。
機体を右に傾ければ、自分が右に傾く。
急降下すれば、自分が落ちていく。
木々の間を抜ければ、自分がそこをすり抜けていく。
地面すれすれを高速で走れば、自分の身体まで前へ引っ張られるような感覚になる。
もちろん、本当の身体は地上にある。
風を受けているわけでもない。
身体そのものが空を飛んでいるわけでもない。
それなのに、脳は少しずつその事実を忘れていく。
目から入ってくる情報があまりにも強烈だからだ。
機体が加速すれば景色が後方へ吹き飛んでいく。
旋回すれば世界そのものが傾く。
急上昇すれば地面が一気に遠ざかり、
スロットルを抜けば、今度は地面へ吸い込まれていく。
頭では、
「自分は地上にいる」
と分かっている。
でも感覚は、
「自分は空を飛んでいる」
と言っている。
このズレが面白い。
ある意味、脳のバグなのかもしれない。
でも僕にとってFPVの魅力は、まさにそこにある。
身体は地上に、意識は空に。
長時間飛ばしていると、ときどき不思議な感覚になる。
身体は地上にあるのに、
意識だけが機体の中に入っている。
数百メートル先を飛んでいる機体が、
「向こうにある物体」ではなくなる。
自分の視点がそこにある。
自分の意識もそこにある。
だから感覚としては、
身体を地上に置いたまま、意識だけが空へ抜け出している。
少し大げさに言えば、幽体離脱に近い。
もちろん本当に幽体離脱しているわけではない。
でも、FPVゴーグルの中では「自分が今どこにいるのか」という感覚が曖昧になることがある。
現実の身体は地上にいる。
でも自分が見ている世界は空中にある。
自分が立っているのか、座っているのかすらわからなくなる。
この感覚は、普通のモニターを見ながら操縦するのとはまったく違う。
FPVゴーグルは、映像を見るためだけの道具ではない。
自分の視点と感覚そのものを、機体へ移してしまう装置なのだと思う。
鳥になったような感覚。
特に好きなのが、自然の中を飛ぶことだ。
森。
林。
川。
山。
木々の間。
人工物のない場所を自由に飛んでいると、
「ドローンを操縦している」という意識さえ薄くなる瞬間がある。
川の流れに沿って低空を飛ぶ。
少し高度を上げる。
目の前に木が現れる。
身体を傾けるように機体をバンクさせ、その横を抜ける。
枝の隙間から空が見える。
そこへ向かって一気に上昇する。
視界いっぱいに明るい空が広がる。
そこから機体を反転させ、また森の中に落ちていく。
その時、
「ドローンを飛ばしている」
というより、
自分自身が自由に飛んでいる。
そんな感覚になる。
鳥が本当にこんな感覚なのかは分からない。
でも、
もし人間が鳥になれたとしたら、
こんな世界が見えるのではないか。
そう思うことがある。
「今、どこで飛ばしているの?」
ここまで読むと、昔からFPVをやっている人なら聞きたくなるかもしれない。
「じゃあ今、どこでどうやって飛ばしてるの?」
それについては、ご想像にお任せする。
ただ一つ言えるのは、悪意などまったくないということ。
誰かに迷惑をかけたいわけでもない。
何かを撮りたいわけでもない。
ただひたすら、
操縦技術を上げたい。
それだけだ。
もちろん、今の時代には今のルールがある。
昔と同じ感覚で飛ばしていいわけではない。
そこは理解しなければならない。
「海外なら自由に飛ばせるのに」とも思わない
ドローン好きなら、一度くらい考えるかもしれない。
広大な土地。
誰もいない荒野。
FPVゴーグルをつけて、思い切り飛ばす。
そんな映像を海外の動画で見ることもある。
いいなあ、とは思う。
でも、
「じゃあ海外に移住しよう」
なんてことは考えない。
そんな非現実的なことを考えるより、僕は自分が暮らしている場所で楽しみたい。
地元で飛ばす。
自分が知っている土地で飛ばす。
そして飛ばし終わったら、いつもの生活に戻る。
僕にとってドローンは特別なイベントではない。
20年も続けていれば、もう生活の一部なのだ。
だから、それでいい。
いや、
だからこそ、いい。
あの頃から飛ばしている人たちへ
もしこの記事を読んでいる人の中に、
マルチコプターと呼んでいた頃から飛ばしていた人。
自分でフレームを組んでいた人。
謎の海外サイトから部品を買っていた人。
CCDカメラを機体に載せて感動した人。
映像が砂嵐になって焦った人。
PID調整で一日潰した人。
プロペラを何十本も折った人。
FPVレースに夢中になった人。
そんな人がいたら、たぶん僕と同じ時代を見てきた人だ。
僕らが知っていた空と、今の空は違う。
ドローンは巨大な産業になった。
測量をする。
点検をする。
農薬を散布する。
荷物を運ぶ。
災害現場で活躍する。
そして、飛ばすための制度も整備された。
それは技術が社会に受け入れられていく過程として、ある意味当然のことなのだと思う。
だから僕は、
「昔は自由だったのになあ」
と言いながら昔話だけをするつもりはない。
今には今の飛ばし方がある。
そして何より、
あの頃、初めて自作のマルチコプターが地面から浮いた瞬間に感じたものは、今も変わっていない。
スロットルを上げる。
機体が浮く。
自分の操作に反応する。
ただ、それだけで面白い。
20年前も。
今も。
結局、僕がやっていることは同じなのだ。
もっと上手く飛ばしたい。
それだけ。
だから今日も、僕は飛ばす。

