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イスラム教の女性や子ども、家庭のこと

このノートページの趣旨

 イスラム教は、男性は女性を大切にせよという教えなのだというが、学んでいくと、それは「人は自らの家畜をとても大切にする、深く愛する」のと似た感覚なのではないか、と思えてくる。
 
そこで、ここではイスラム教の女性やこども、家庭のことについて、随時記事化していきます。もとより国・地域や時代でかなり異なろうが、日本での姿を事例を示していきたい。

 イスラム教では、下記に示されるように、男女平等、女性の権利法益が危ういのではないかと思われる。
①   妻は公平に扱うならば4人まで了解される。(クルアーン 4:3)
②   夫からは「タラ―ク(離婚だ)」との宣言で離婚できてしまう。
③   地域と時代により、家庭の外に出るときは女性はヒジャブ、更にニカブ・ブルカの着用が強制される。
④   主流は禁止だというが、クルアーン 4:34には、「男たちは女たちの上に立つ管理人」であるとし、「彼女らを打て」とある。  

仏教やキリスト教の現在

 仏教でも女性の「解脱」は困難だとされもしてきた。女性の出家を許可する際、釈迦は「八敬法」(Attha Garudhammas)を定め、比丘尼(女性僧)は生涯を通じて比丘(男性僧)に対して尊敬を示すことを義務づけもしたことから、男女差別の由来がある。
 キリスト教でも、女性は、創世記2章21-22節で「神はアダムを深く眠らせた。神は彼の肋骨を1本取り、そこを肉で塞いだ。そして神はアダムから取った肋骨で女性を作り、彼女をアダムの元に遣わせた。」とし、また男性はマッチョに、女は父そして夫に貞淑にすべしとされる。
 だが、1789年のフランス人権宣言、1948年の世界人権宣言、1979年の女性差別撤廃条約により、男女平等は人間の基本的人権なのだとされた。そしてキリスト教国、仏教国ではそれを受け入れてきた。解釈を実質的には変更してきたのである。

 一方、イスラム教国ではあまりに遅れているのではないか、男女平等を是としないままではないのか、という指摘である。7世紀に女性の相続権を半分などとしつつも認めたのは先進的だったが、とうに不当な差別だという外はなくなっている。
 時にある女性への殴打などのひどい事案もある。しかし、指導者らが怒りを込めて指導、指弾するといったことが、未だに当たり前ではない。そうである以上、この指摘を否定できないと思う。

 そして「シャリーア法廷」の問題がある。日本の裁判所では、「準拠法」が法的な日本人であるなどから日本法であれば通らない話だが、日本のイスラム教徒は日本の正式な裁判所を実際上、使えるかの問題である。
 日本のイスラム社会が「並行社会」となって、ムスリマ女性が、事実上、日本の裁判所に訴えられず、法的には団体内の規律でしかない「シャリーア法廷」で処断されてしまうとなれば、基本的人権を守るための「法の支配」も、日本の法治主義も危うくなる。

 日本の中の並行社会を許し、実質的な「シャリーア法廷」ができる状況にしてはならない理由としても、日本でのイスラム教の女性やこども、家庭のことに関する問題の裏付けを随時、紹介していきます。

事例1 ムスリマの女性弁護士の訴え

 2019年2月10日の第11回全国マスジド(モスク)代表者会議
 イスラム教徒として著名な林純子弁護士が「ムスリムの家庭内暴力とかものすごく多い」「イスラムでは許されているみたいな」姿勢が多い、モスクの方で指導して欲しいと訴えておられる。貴重な裏付けである。 

 早稲田大学名誉教授の店田廣文先生らがされているまさに日本の状況を知るための基礎資料「滞日ムスリム調査プロジェクト研究資料」の中の「第11回マスジド(モスク)代表者会議 議事録」の資料であり、2019年2月10日に開催された中でのご発言である。 
 この会議はこの集まりが最終回となってしまったようである。107ページある報告書の33~34頁である。


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