掌編小説「頭の上の花は」
これは僕の友達の話だ
彼は自らを小説家と称していた。でもその肩書きの前には、
たいがい「鳴かず飛ばずの」または「箸にも棒にもかからない」という、
あまりありがたくない装飾語がついてまわる。
彼の原稿用紙はインクの染みよりも
ため息の湿気でよれよれになっていた。
ある晴れた朝のこと。
彼は頭のてっぺんに妙な違和感をおぼえて目を覚ました。
指で探ってみると、ぷつり、と固いものが皮膚を突き破っている。
鏡をのぞきこんだ彼は我が目を疑った。
そこには、まるで種子が発芽したかのように小さな双葉がちょこんと顔を出していたのだ。
彼は慌てて医者に駆けこんだ。でもお医者さんは首をひねるばかり。
「ううむ、植物には違いありませんけどね。でも人体の頭部を土壌とする種は私の知る限りでは…」
結局、経過観察というお医者さんの決まり文句を言われただけで役立たずの結論が出ただけだった。
ところが、その奇妙な双葉は彼に思わぬ贈り物をもたらした。
編集者から突き返された原稿を前に頭を抱えていると、
頭上の双葉が微かに震える。
すると、まるで天から降ってきたかのように、
奇抜で、それでいて完璧な物語の筋書きが脳裏にひらめいたのだ。
それからの彼は人が変わったようだった。
頭の芽がむずがゆくなるたびに彼は傑作といえる小説を執筆した。
古代文明の謎、未来社会の悲喜劇、異次元の迷宮。
アイデアは無尽蔵に湧き出てくる。
作品は次々とベストセラーとなり、
「鳴かず飛ばずの」だとか
「箸にも棒にもかからない」いう装飾は、
いつのまにか「天才」という輝かしい冠に取って代わられていた。
頭の植物も、彼の名声に比例するようにすくすくと育ち、
つややかな葉を何枚も広げ、彼のトレードマークとして世間にもてはやされた。
順風満帆。まさにその言葉通りだった。
ある晩餐会で旧友に子供の近況を尋ねられるまでは。
「お嬢さんは、お元気か?なんて名前だったっけ?」
「ああ娘の名前は....え~と.....」彼は口ごもった。
愛する娘の名前がまるで霧の中に消えたように出てこないのだ。
その時から、すべてが少しずつ狂い始めた。
行きつけだった喫茶店の名前、母親の好物、妻と交わした最初の言葉。
彼の過去を彩っていたはずの記憶が、
ぽろり、ぽろりと抜け落ちていく。
まるで、栄養分を吸い取られているかのように。
彼は恐怖した。
でもペンを握れば、頭上の植物はさらさらと葉を揺らし
いまだかつてないほど刺激的で深遠な物語をささやきかけてくる。
失われていく記憶の空白を、
新しい物語が埋めていく。
彼は書くことをやめられなかった。
やがて、書斎の椅子に座る彼は抜け殻になった。
彼は自分が誰であるかを忘れ何故ここにいるのかも理解していない。
ただ、窓から差し込む光を浴び静かに呼吸しているだけだ。
ときおり訪問者がやってきて、彼に原稿を依頼する。
すると男の頭上で青々と茂った植物が、
風もないのにそよぎ始める。
それに応じて彼の口からは自動的に完璧に構成された物語がよどみなく紡ぎ出される。
訪問者はそれを熱心に書きとめ、感嘆の声をあげて帰っていく。
彼の頭上の植物には時おり小さな白い花が咲く。
それが彼の妻が好きだった花であることなど、
もはや誰ひとりとして知る者はいない。
