美しくはない、不鮮明に話したい
僕が「ゲイ」という言葉に自分を当てはめ始めたのは2年ほど前。
それまで、運動できてちょっと顔が薄めな友達をかっこいいなと思うことが多く、すすんで仲良くなりにいったりした。ゲイと言う言葉も知ってたし、そんな人が周りにいる可能性が高いことも知識として知ってはいた。
けど不思議と自分をそこに当てはめようとしたことはなかった。そんなに大事なことだと思っていなかった。たしかに、ひとに大きな声で言えることじゃないという漠然とした正義感があった。ノンケの友達と話す時は女の子が好きだけどそう言う話をしたがらないむっつりを演じた。なんとなくで女性と付き合って別れることを繰り返した。今はイメージがわかないけど、いつかは勝手に問題が解決されて誰かと結婚するんだろう。それなら地元に住むのが一番居心地がいいじゃないか。
そんな気持ちで地元で就職した。
地元で初めて、明確に男性に恋に落ちた。その人は今まで自分がかっこいいなと思い追いかけていた塩顔紳士的イケメンとは全然違った。
趣味のサークルの見学会で出会った初対面の印象は変なひと。趣味の活動にまっすぐで、周囲と比べて筋肉の動きがなめらかで、上手くて。
その人のことはたくさん追いかけた。自分より先に来て駐車場に停めてある車を見つけて動悸が強くなったし、その人の裏アカを追いかけたりもした。自分と2人きりで練習に付き合ってくれた時は本当に楽しかった。
出会って半年後、その人は「自分は同性愛者だよ」と言った。初めてだった、自分の周囲で「そういう人」と出会うのは。一気に解像度が上がった。自分もそうなのか、わかんないんですよねー笑といいながら、僕はその人により傾倒していった。その人と同じところに行きたくて、僕は自分がゲイであることを自分で受け入れた。
でもその人とはいい関係を築くことはできなかった。楽しい時間はほんの2〜3か月だけだった。それ以上の生まれて初めての、相手が、というより多幸感にあふれた時間が2度と来ないことの焦りにしがみつこうとすればするほど胸が苦しくなって、肋骨下あたり手皿が抜け落ちたことがつらかった。その人は優しかった。気持ちではなく、言葉で僕に優しさをむけてくれた。そして離れてもなお、コミュニティからは追い出したくないとその人なりの距離感で接してくれた。僕はその薄気味悪く暖かい優しさに耐えられず、こちらからナタを振るうように縁を切った。自分のどす黒さと気持ち悪さは太ももの裏の汗のよう、そんなことを理解したところで拒絶の辛さは埋まらない。自分がはっている壁の高さのせいで誰にも相談できない、何度今ここで手当たり次第にちょっと信用してるくらいの人にぶちまけてしまおうかと思いながらも、少し の理性と膨らむ後ろめたさにより、口から出すのではなく、心の辛さを脳と共有しないことで乗り切ろうとした。だけど、1人だけ、職場の聖母さまの前では泣いた。ゲイだとは言わなかったけれど、恋愛でつらいことを話して泣かせてもらった。深くは聞かれず、ただ慰めてくれた。
かくて、その人が残してくれたのは僕がゲイへの抗えない自覚、そして穏やかで暖かい土地と心の底から理解していたつもりだった社会の下に蓋をされた、鉄格子の扉。自分の人生の立ち位置と目線が変わったことを実感せざるを得なかった。いつ開けても変わらない某アプリの顔ぶれ。1人、共通の友人がいる同い年の方と出会った。その人の風貌は、僕が好みだと思っていたタイプとはまた違っていた。でも賢かった。生物学を専門研究する大学院生で、独特な感性を持っている人だった。与えられてばかりの状況で恋をして少しだけお付き合いをした。初めての同性の恋人だった。それは追いかけて手に入れて話したくないギラついた執着の賜物だった。それは大きくなりすぎた。手に入れても相手と自分の感情の大きさのバランスが取れていないことに不安はまとわりついた。その人は、並行していた就職活動で都会にに行きたいと絶えず言っていた。すぐに、たった2週間で友達に戻りたいと言われた。自分勝手なことをたくさん言われたと思ったけど、僕は何も与えられなかったと左脳の2割は後ろから見ているけど、結局残ったのは滲み出てくる拒絶への悲しみと、輝かされた快楽の破片のビジョンの湧出が止まらない穴のみ。
自己嫌悪は不思議となく、ずっと満たされたい、与えてほしい、認めたくない、みっともなくて目を背けたい、口に出したくない、書きたくない、隠したい自分が残された。自分が10年以上も指標としていた「普通」なんて程遠い、丸裸の醜くて汚い自分を見つけた。暴れ疲れて腹を空かせてただ見つめる軽蔑した目をはじめて直視した。こいつと共生なんてしたくない。
東京の支店への異動が発令され、引越しをした。
