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無言勢と喋ってると疲れない?

VRChatでフレンドと声で喋ってるとこに無言勢が合流してくること、あるよね。

でさ、なんか、あれ、地味に疲れない?

声出してる側は、喋ってる内容だけじゃなくて、声のトーンとか、噛んだ瞬間とか、変な間とか、笑い方とか、全部だだ漏れなわけ。それに対して無言勢側は、ジェスチャーと筆談で選んだ分しか返ってこない。同じ空間にいるのに、こっちだけ丸裸になってる感じ。

「なんかこっちだけ情報吸われてる気がする」

これ、VRChatそこそこやってる人なら一回は感じたことあるやつだと思う。今日はこの謎の疲労感の正体を、ちゃんとした理論を使って殴ってみようと思う。

そもそも無言勢って何なん

無言勢は、ボイスチャットを使わずにVRChatで遊んでる人たちのこと。ジェスチャー、QvPenの筆談、絵文字を飛ばす機能とかでコミュニケーションを取る層。

先に言っとくと、理由は人によって全然違う。

  • 耳が聞こえにくくて、声でのやり取りに不安がある

  • 単純に声出すのがしんどい、苦手

  • 「性別とか年齢みたいな現実の要素、メタバースに持ち込みたくない」ってあえて選んでる人

本人たちに話聞くと、けっこう「できないから無言」じゃなくて「選んで無言」って感覚の人が多い。だからこの記事、無言勢そのものをディスる話じゃない。むしろ選択としては全然アリだと思ってる。今から掘りたいのは、無言勢がいる場に生まれる、あの独特の空気の理由の方。

声って実は超無防備な情報

声ってマジで編集できない。

言葉の中身は選べても、声そのものは選べない。緊張したら上ずるし、動揺したら言い淀む。笑い方一つにもその瞬間の感情がバレる。声を出すって、自分が選んだ以上の情報を、勝手に相手に渡し続ける行為なんだよね。

一方でジェスチャーとか筆談は、基本「選んで出す」情報。書く文字も、出すジェスチャーも、自分で決めた分しか伝わらない。垂れ流しの声と、編集済みの筆談。同じ場にいても、この2つは対等な取引になってない。

心理学に「自己開示」って概念があって、相手が自分のこと開示してくると、こっちも同じくらい開示したくなる、っていう「返報性」って性質がある。声出す側は勝手に開示量が多くなるから、無意識に同じだけ返ってくることを期待しちゃう。でも無言勢側は仕組み的に開示量を絞れる立場にいる。ここにズレが生まれる。

「こっちだけ情報取られてる気がする」は、気のせいじゃなくて、実際に渡してる量が違うだけ。

見てる側と見られてる側

これ、実はもうちょい大きい構造の一部でもある。

フーコーって哲学者が、「パノプティコン」っていう監獄の設計を使って、権力の仕組みを説明したことがある。パノプティコンは、看守は全部の独房を見渡せるけど、囚人からは看守が見えない。見る側と見られる側が、構造として固定されちゃうやつ。

もちろんVRChatの声と無言のやり取りは監獄みたいな支配関係じゃないけど、「情報が一方向に流れやすい」ってとこだけ切り取ると、けっこう似てる。声出す側は「開示する側」に固定されやすくて、無言勢側は「受け取る側」に回りやすい。誰も悪意持ってそうしてるわけじゃなくて、手段の違いがそのまま構造になっちゃう。

だからこの気まずさって、性格とか態度の問題じゃなくて、コミュニケーション手段そのものに最初から組み込まれてる偏りなんだと思う。

撫でられ待ち、なんか苦手

ここまでは「手段」の話。でもこれとは別に気になるやつがいる。無言勢に限らずいるんだけど、自分からは何も出さずに、ただ構ってもらうのを待ってるだけの人。撫でてもらう、話しかけてもらう、リアクション欲しがる。受け取る前提で、自分から渡す気配がまるでない。

これは情報量のズレとはちょっと別の理屈で説明つく。

文化人類学者のモースって人が、「贈り物にはお返しの義務が発生する」ってことを、色んな社会の事例から示してる。贈与って一方通行じゃ終わらない。もらったら、いつか何かの形で返す。この往復自体が人間関係を作ってる。

VRChatでの関わりも、実は小さい贈与のやり取りの積み重ねなんだよね。声かける、リアクション返す、撫でる、話聞く。全部渡し合って初めて成立してる。撫でられ待ちの人が苦手なのは、この往復に入らずに、受け取る側にだけ立ち続けてるから。手段が対等でも、態度として双方向にする気がないと、同じ引っかかりが生まれる。

結局、双方向かどうかなんだよね

情報の非対称性も、撫でられ待ちも、根っこは同じ問いだと思う。それ、双方向になってる?ってこと。

劇作家の平田オリザが、「ディベート」と「対話」を分けて説明してる。ディベートは片方の論理がもう片方をねじ伏せるやつ。対話は違って、違う論理同士がぶつかって、新しい何かが生まれて、両方とも変わっていくやつ。

無言勢がいる場の気まずさも、撫でられ待ちへの違和感も、突き詰めると「対話になってない」感覚なんだと思う。情報が一方からしか流れてこない。関わりが一方からしか出てこない。どっちもやり取りのはずが、実質片方だけが渡し続ける形になってる。

誤解ないように言っとくけど、これは無言勢って選択への文句じゃない。声出さない理由には、ちゃんとした事情があることの方が多い。ただ「声出す側だけが渡し続ける構造になりやすい」のは事実としてあって、そこに疲れを感じるのも普通の反応だと思う。

まあ、そういうこと

VRChatって、声出す・出さない、渡す・受け取る、その組み合わせが現実よりずっと自由に選べる場所。だからこそ、普段意識しないコミュニケーションの構造が、剥き出しで見えてくる。

あの謎の疲労感に名前がついただけで、次その場にいるときの感じ方はちょっと変わると思う。誰が悪いとかじゃない。ただ、双方向になってるかどうか、たまに確認してみる価値はありそう。

参考

ミシェル・フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』(新潮社)

近内悠太『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicksパブリッシング)

平田オリザ『わかりあえないことから――コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)


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