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なぜByakuyaが必要だと思ったのか

所有を、時間として設計し直す

1. A' Design Award 受賞から考えたこと

Byakuya は、A' Design Award を受賞した。

それはもちろん嬉しい出来事だった。だが同時に、少し不思議な感覚もあった。Byakuya は、単に見た目の美しいプロダクトを作ろうとしたものではない。アプリケーションのUIだけを設計したものでもない。もっと言えば、所有証明のためのテクノロジーを作りたかったわけでもない。

私が扱いたかったのは、服が作られ、選ばれ、使われ、受け継がれていく時間そのものだった。

服は、買った瞬間にブランドの手を離れる。

誰が使ったのか。
どう劣化したのか。
どこを修理したのか。
誰に受け継がれたのか。

その後の時間は、ほとんど見えなくなる。

しかし、本当に服の価値が生まれるのは、むしろその後ではないか。私は長いあいだ、そこに違和感を持っていた。

新品の状態は、たしかに美しい。完成されたシルエット、整った生地、まだ誰の身体にも馴染んでいない緊張感。服が商品として最も強く見える瞬間である。

だが、服は本来、そこで終わるものではない。

袖を通される。洗われる。皺が入る。擦れる。色が落ちる。修理される。保管される。誰かに譲られる。忘れられ、また見つけられる。

服は時間を通過する。

そして、その時間の中でしか生まれない価値がある。

A' Design Award の受賞は、Byakuya が単なるテクノロジーではなく、所有と時間の関係を扱うデザインとして受け取られたという意味で、大きな手応えだった。

Byakuya を作ろうと思った理由は、突き詰めればそこにある。


2. 出発点はもっと具体的だった

最初から大きな思想があったわけではない。

出発点は、もっと現実的で具体的な問題だった。

転売ヤー対策。
二次流通管理。
所有履歴。
正規品であることの証明。
購入者との継続的な関係。

服を作る側にいると、ある瞬間に強い断絶が起きる。商品が購入され、発送され、購入者の手に渡る。その瞬間から、ブランドはその服についてほとんど何も知ることができなくなる。

誰が持っているのか。
どのように着ているのか。
どれくらい大切にされているのか。
売られたのか。
譲られたのか。
修理されたのか。
まだ存在しているのか。

それらは見えない。

ブランドと購入者の関係は、購入の瞬間に最も強くなるように見える。しかし実際には、その直後から急速に薄れていく。メールマガジンやSNSで接点を保つことはできる。だが、それは服そのものとの関係ではない。

ブランドは「購入者」とつながっているようで、実際には「購入後の服」とはつながっていない。

この断絶に違和感があった。

なぜ、自分たちが作った服が、購入された瞬間に完全に切り離されるのか。なぜ、そこから先の時間が、価値として扱われないのか。なぜ、服の人生のようなものが、システムの外側に置かれてしまうのか。

Byakuya は、その問いから始まっている。

3. ファッションのサムネイル化

現代のファッションは、画像として消費されやすくなっている。

SNS、EC、短尺動画、ルック、フィード、広告。服は画面の中で一瞬だけ強く見える必要がある。スクロールの中で止まってもらう必要がある。小さな画像の中で、すぐに理解される必要がある。

その結果、服は「サムネイル」としての強さを求められる。

新品の状態。
強い色。
わかりやすい形。
目を引くディテール。
一瞬で伝わる記号性。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。視覚的な強さはファッションの重要な要素である。服は見られるものであり、視覚文化の中に存在している。

しかし、サムネイル化されたファッションは、時間を扱いにくい。

画面上では、着込まれた時間が伝わりにくい。修理の跡はノイズに見えることがある。経年変化は新品との差異としてしか認識されないことがある。身体に馴染んだ柔らかさ、所有者の癖、何度も着られたことで生まれる輪郭は、サムネイルの速度では読み取られにくい。

服は画像になるほど、時間を失っていく。

だが、現実の服は画像ではない。物質であり、身体に触れるものであり、摩耗するものであり、環境を受けるものである。雨に濡れる。日差しを浴びる。鞄に擦れる。椅子に座る。汗を吸う。洗濯される。乾かされる。

そうした時間の痕跡が、patina である。

革が艶を帯びる。
デニムの色が落ちる。
袖口が柔らかくなる。
生地にあたりが出る。
修理跡がその服の一部になる。

新品の完成度とは別の価値が、そこに立ち上がる。

私は、この価値をもっと正面から扱いたかった。新品の写真だけではなく、使われた後の時間まで含めて、服の価値を考えたかった。

4. 所有への違和感

既存の所有概念は、あまりにも平面的である。

多くの場合、所有は「買ったかどうか」で判断される。レシート、注文履歴、配送記録、所有証明。それらは、ある人がある商品を取得したことを示す。

しかし、それだけでは足りない。

買っただけで、所有したと言えるのか。
一度も着ていなくても、所有なのか。
何年も着続けた時間と、未開封のまま保管された状態は、同じ所有なのか。
修理して使い続けることと、すぐに売ることは、同じ意味なのか。

法律上、あるいは商取引上の所有はそれで成立する。だが、文化的な意味での所有は、もっと厚いものではないか。

服における所有は、単なる権利ではない。身体との関係であり、時間との関係であり、記憶との関係である。

何度も袖を通す。
自分の生活の中に置く。
汚れたら洗う。
壊れたら直す。
誰かに見られる。
誰かに譲る。
その服について語る。
その服を通じて、作り手や前の所有者と接続される。

そこには、購入だけでは説明できない厚みがある。

私はそれを「所有の厚み」と呼んでいる。

所有の厚みとは、単に持っているという状態ではない。あるものに対して、どれだけ時間を使い、どれだけ関係し、どれだけ痕跡を残し、どれだけ受け継いだかという層である。

既存のシステムは、購入の瞬間を記録することには向いている。しかし、その後に積み重なる所有の厚みを扱うことには向いていない。

Byakuya が必要だと思った理由は、ここにある。

所有を、点ではなく、時間の中の積層として扱いたかった。

5. Byakuya をどのように設計したのか

Byakuya は、単なる所有証明ではない。

もちろん、所有を記録することは重要である。正規品であること、誰が持っているのか、どのように受け渡されたのか。それらを記録することには意味がある。

だが、Byakuya の中心にあるのは、証明そのものではない。

中心にあるのは、時間構造である。

服がどのように生まれ、選ばれ、使われ、見届けられるのか。その過程を、所有の厚みとして扱うための構造を作りたかった。

Byakuya では、大きく四つの層を考えている。

Creation。
Purchase。
Patina。
Witness。

Creation は、作る人の時間である。

服は突然生まれるわけではない。素材を選び、形を考え、縫製し、調整し、失敗し、また作る。その背後には、作り手の判断と時間がある。

通常、その時間は商品が完成した瞬間に圧縮される。タグ、価格、商品写真、説明文にまとめられる。しかし、本来そこにはもっと多くの層がある。なぜその素材なのか。なぜその形なのか。どのような試行錯誤があったのか。何を残し、何を捨てたのか。

Creation は、その時間を所有構造の最初の層として置く。

Purchase は、選択である。

購入は単なる決済ではない。数ある服の中から、それを選ぶ行為である。その服を自分の生活に迎え入れる判断である。

現代のECでは、購入は効率化されている。カートに入れ、決済し、配送される。できるだけ摩擦なく進むように設計されている。それは便利である一方、選択の意味を薄くすることもある。

Byakuya における Purchase は、所有の開始点である。買ったという事実だけではなく、選んだという行為を記録する層である。

Patina は、使うことで残る痕跡である。

ここが最も重要である。

服は使われることで変化する。新品の状態から遠ざかる。しかし、その遠ざかり方こそが価値になることがある。傷、色落ち、修理跡、皺、柔らかさ。通常は劣化として処理されるものの中に、時間の証拠がある。

Byakuya は、この時間の痕跡を価値の外に置きたくなかった。

新品から遠ざかることを、単なる減価として扱うのではなく、所有の厚みとして扱いたかった。もちろん、すべての劣化が美しいわけではない。乱暴な消費を肯定したいわけでもない。だが、長く使われたことでしか生まれない強さがある。

Patina は、その強さを記録する層である。

Witness は、見届ける人である。

所有は、所有者だけで完結しない。作り手が見届けることがある。次の所有者が過去を受け取ることがある。周囲の人がその服を記憶することがある。修理した人が、その服の時間に触れることもある。

服は一人の持ち物でありながら、複数の人の視線や手を通過していく。

Witness は、その関係性を扱うための層である。

この四つの層によって、Byakuya は所有を「購入したかどうか」だけでなく、「どのような時間を通過してきたか」として捉えようとしている。

6. なぜ時間を扱うのか

新品だけを価値の中心に置くと、ファッションは永遠に次の新しさを追い続ける。

新作。
新色。
新素材。
新しいシルエット。
新しいコラボレーション。
新しいキャンペーン。

ファッションは新しさによって動く文化である。その力を否定するつもりはない。新しい服には、気分を変える力がある。まだ見たことのない形には、身体や感覚を更新する力がある。

しかし、新しさだけを価値にすると、服は短い時間で消費される。

買われた瞬間がピークになり、その後は価値が下がっていく。新品でなくなった瞬間に、商品としての強さを失っていく。次のものへ、次のものへと欲望が移動していく。

この構造の中では、長く使うことが価値として扱われにくい。

修理すること。
手入れすること。
何年も着ること。
身体に馴染ませること。
誰かに受け継ぐこと。

そうした行為は、現実には豊かな意味を持っているにもかかわらず、市場やシステムの中では十分に記録されない。

Byakuya が時間を扱おうとしたのは、そこに理由がある。

長く使われた服には、新品にはない価値がある。
修理された服には、壊れたという事実だけではなく、直してまで使われたという関係がある。
色落ちした服には、時間を通過した身体の記録がある。
受け継がれた服には、前の所有者の時間が残っている。

所有の価値は、購入の瞬間だけでは決まらない。むしろ、購入後の時間の中で変化し、増幅し、時にはまったく別の意味を持つようになる。

その変化を扱うためには、時間を設計に含める必要があった。

7. AI時代に残るもの

AIによって、画像やスタイルは大量に生成できるようになった。

服のビジュアル、ルック、ムードボード、パターンのアイデア、広告イメージ。これまで時間と技術を必要とした表現の一部が、短い時間で生成可能になっている。

これは大きな変化である。

私は、AIを単純に肯定する立場でも、否定する立場でもない。AIは道具であり、環境であり、すでに現実の一部である。問題は、それによって何が薄くなり、何が逆に濃くなるのかである。

AIは新品状態を生成できる。

まだ誰にも使われていない服のようなイメージ。完璧な照明。理想的な質感。存在しないモデル。存在しないスタイリング。存在しない部屋。存在しない記憶。

それらは生成できる。

しかし、本当に使われた服の時間は生成できない。

生成された皺と、実際に何年も着られてできた皺は違う。生成された汚れと、ある日の雨や作業や生活によってついた痕跡は違う。生成された修理跡と、直してまで着続けた判断の痕跡は違う。

AIは痕跡の見た目を作ることはできる。だが、その痕跡が本当に時間を通過したという事実までは作れない。

ここに、これからの価値の一部があると思っている。

画像が増えるほど、実際に存在した時間の価値は上がる。スタイルが生成可能になるほど、身体を通過した記録は重要になる。新品のイメージが無限に作れるほど、使われた物の不可逆性が意味を持つ。

服を所有することは、単に物を持つことではない。自分の身体と時間を、その物に関与させることである。

AI時代において、所有の厚みはより重要になる。

なぜなら、それは生成されたイメージではなく、実際に通過した時間によってしか生まれないからである。

8. 購入後の設計としての Byakuya

Byakuya を、私は単なるテックとして考えていない。

NFT、ブロックチェーン、所有証明、二次流通管理。そうした言葉で説明することはできる。実際、必要な場面もある。だが、それらは手段であり、中心ではない。

中心にあるのは、購入後の時間を設計することである。

ファッションの多くは、購入されるまでを強く設計している。商品写真、ルック、EC、決済、配送、開封体験。そこには多くの工夫がある。

しかし、購入された後の時間は、ほとんど設計されていない。

どう着られるのか。
どう変化するのか。
どこを修理するのか。
誰に譲られるのか。
どのように記録されるのか。
どのように見届けられるのか。

本当は、服の価値はそこから始まる。

大量生産、大量流通、大量消費。近代以降のファッションは、この構造の中で発展してきた。多くの人が服を手に入れやすくなったことには、明確な意味がある。量産は悪ではない。流通も悪ではない。消費そのものを単純に否定するつもりもない。

しかし、その構造は服を短い時間で回転させる方向に強く働いてきた。

作る。
売る。
買う。
使う。
捨てる。
また作る。

この循環の速度が上がるほど、服の時間は薄くなる。所有は短くなり、修理は減り、受け継ぐことは例外になる。服は生活の中に深く入る前に、次の服に置き換えられていく。

だからこそ、購入後の設計が必要になる。

Byakuya が向かっているのは、長期所有、repair、patina、継承、関係性を含めた設計である。

服を売って終わりにしない。
買って終わりにしない。
新品で終わりにしない。
所有者だけで閉じない。
ブランドだけで語らない。

服が時間を通過することを前提に、その時間まで含めて設計する。

A' Design Award で評価されたことは、私にとって、この考え方が「テックの仕組み」ではなく「デザインの問題」としても成立しうることを示すものだった。

ここでいうデザインとは、装飾や見た目のことだけではない。

何を価値として残すのか。
どの時間を記録するのか。
誰と誰の関係をつなぎ直すのか。
購入後に、物と人の関係をどう続かせるのか。

そうした構造を設計することもまた、デザインである。

Byakuya における「購入後の設計」とは、そのための言葉である。

9. byakuya.io

Byakuya の構造は、byakuya.io に置いている。

大きな声で何かを主張するための場所ではない。テクノロジーの新しさを見せびらかすための場所でもない。そこにあるのは、服と所有と時間の関係を、もう少し丁寧に扱うための構造である。

作られた時間。
選ばれた時間。
使われた時間。
見届けられた時間。

それらを、服の外側ではなく、服の価値の一部として置く。

まだ完成された答えではない。むしろ、問いを形にしたものに近い。

所有とは何か。
服の価値はどこで生まれるのか。
時間は、どのように記録されうるのか。
ブランドと購入者の関係は、購入後にどう続くのか。
AI時代に、物質と身体はどのような意味を持つのか。

byakuya.io は、その問いを実装として置いている。

10. 所有を、時間の中で設計し直す

Byakuya は、所有証明システムではない。

少なくとも、私はそれだけのものとして作っていない。

Byakuya は、所有を、購入の瞬間ではなく、時間の中で積み重なる参加として設計し直す試みである。

服を作る人の時間がある。
それを選ぶ人の時間がある。
着て、使い、傷つけ、直す時間がある。
それを見届け、受け継ぐ人の時間がある。

所有とは、そのすべてを含むものではないか。

買ったという事実だけでは、服の価値は説明しきれない。新品の美しさだけでは、服の強さは語りきれない。画像としての完成度だけでは、物が人の生活に入り込んでいく感覚は捉えきれない。

服は、新品の瞬間だけでは終わらない。

むしろ、そこから始まる。

時間を通過したあとに、ようやく強くなるものがある。

Byakuya は、その静かな強さを扱うための試みである。

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