闇の書 処女厨は正しい
処女であることこそ女のプレミアム
女は若くて穢れていないことを要求される。これは人類史において、いつの時代でも共通だ。若さの価値はすでに言われているとおりだが、処女であることは、男を知らない=男の比較対象がないということを意味している。非処女が良いという発想は、性交渉が手段ではなく目的になった現代特有であり、ポルノ的価値観だ。ポルノコンテンツを叩くなら、非処女を叩くべきだとまで言える。
処女厨は差別だとほざき散らかすリベラル
処女厨は女性に対する差別だとリベラルは喧しい。だが、非処女は浮気や性病のリスク、性格に難がある可能性などを自ら経験人数で証明してしまっている。もちろん、そういうビッチが好きという男性はいるものの、大抵は簡単にヤラせてくれるから、激しいプレイをしても文句を言わなそうだからという以上の意味はない。つまり、男性が性交渉が目的の場合は非処女が都合の良い場合があるというだけで、人間関係としてや出産、育児、長期的な関係性において非処女は非常に不利である。なぜなら、他の男を知っているというのは、取替可能性が常に脳裏をよぎるからである。そして、取替可能性を交渉材料に男を脅すことで、優位に立ちたいという女の暗い欲望は、見事に女自身への査定におけるマイナス材料として跳ね返ってくる。女の経験人数は、社会では不真面目な遊びと裏切りの証である。
処女性にまつわる女のウソ
例えば、「あのワンナイトはノーカンだから」などほざく女を、決して信用してはならない。ノーカンな訳がなかろう。嘘をつくな。いつでも都合の良い時に不倫をして裏切りますとはっきり言うべきだ。というのも、ワンナイトは帳消しに出来るちょっとだけではなく、明確な裏切り行為である。経験人数を申告する時に、ワンナイトの数を除外して数人という女は、実際に増えているのではないか。だが、風俗だろうがその場限りの関係だろうが、カウントに入るのは当然だ。算数もできないのだろうか。その時点で知能が低い判定になるので、当然ながら論外。女のおかしさには、ほとほと呆れ果ててしまうのだが、こういうことを何故か誰も言わない。
女の満足度も低下する
おまけに、非処女は比較可能性が脳裏をよぎるため、どんな男性と付き合っても、満足できなくなる。もっといい男はいないかと上昇婚を肯定する粉飾をし始めるが、経験人数が多いほど、スペックでしか男性を見れなくなる。身長が何センチ以上じゃないととか、収入学歴、性器のサイズまで拘るようになる。こうなると、幸せはもう得られない。男性からは常にヤリ捨ての対象と見られるだけの、哀れな慰安婦という他にないのである。リベラルはこの現実から目を背け、処女厨をバッシングし、男が悪いと言い続けるが、はっきり言ってこうしたビッチの欲望が満たせるような男なんざ世の中に一人もいない。フィクションの男にさえ、あれこれ文句をつけるのが女性だからである。女性の女としての欲望を、社会は決して肯定してはならない。それで社会が崩壊してきた歴史が山ほどあるのだから。
男はロリコンで当たり前
婚姻関係の条件を、旧法に戻すべきだという話をしている。女は16歳で結婚できるようにすること、性交渉は13歳から出来るようにすること。これは少子化だけでなく、女性の救済措置にもなる。例えば、俺が学生だった頃は、先生が生徒と結婚することは当たり前にあった。非難の声もあったが、それはごく一部で、大多数は幸せなら良いじゃないという意見だった。何より相手が公務員なのだから、女子にとってもその後の人生安泰である。甲斐甲斐しい幼な妻として、年上の男性に尽くすというのは、女性にとって幸せの形の一つだろう。人類史においてもっとも普遍的な類型の一つだ。それをリベラルは、権力勾配というおかしな概念でバッシングする。だが、権力勾配というのは社会のどこでも存在する概念で、特筆するような話ではない。個人同士の関係を、概念でグルーミングしているだけで、それはわいせつや不同意性交等罪などにおいても同じ概念である。男はロリコンで何の問題もないどころか、社会の益なのだから、堂々とロリコンを主張すれば良い。人類史では普遍的な心性である。女は年齢を問われど男の年齢を問わないというのも、また常識である。
