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最後の近況報告

  新潟のS社からOB会員の近況報告が届いた。その中に、T氏からの事実上の「お別れの挨拶」とも受け取れる文章があった。
 
 私は五十三歳で新潟のS社に転勤し、八年間トップを務めた。それまで業績は低迷し、三百人の社員を抱えながら苦しい経営が続いていたが、技術開発の成功によって業績は急上昇し、グループ内では「技術のS社」と呼ばれるようになった。
 
 その技術開発の中心にいたのがT氏だった。私より十歳ほど年下の、極めて優秀な金属技術者である。私は塑性加工を専門とする機械技術者で、金属技術については専門外だった。お互いに不足する部分を補い合えたのではないかと思う。
 
 当時の携帯電話は、着信時に振動で知らせる機能が普及していた。その振動源には偏芯した分銅が使われていたが、T氏は錆びないタングステン合金を開発し、メッキ不要の分銅を完成させた。世界の携帯電話の四十パーセントにS社の分銅が採用されたのである。
 
 さらに、金属の表面処理を請け負う事業でも新たな被膜を開発し、工具や金型の寿命を飛躍的に延ばすことに成功した。その結果、受注は大きく伸び、会社の業績向上にも大きく貢献した。
 
 私はS社に八年間在籍した後、東京の上場企業のトップに就任した。その後も金属技術に関して疑問が生じた時には、何度か個人的にT氏の意見を聞いた。さらに姫路に赴任してからも相談することがあったが、彼はいつも真摯に答えてくれた。
 
 姫路を退任してからは、私自身の体調の問題もあって連絡を取らなくなり、年賀状のやり取りも途絶えていた。
 
 今になって思い返すと、T氏は当時から健康面に不安を抱えていたのかもしれない。無理をするタイプではなく、ご夫婦二人の生活を大切にしていたように思う。
 
 OB会の近況報告には、こう記されていた。
 「私の病気は全ての治療を行ったが効果なく、抗がん剤等は中止となりました。あとは体力勝負、五月三日から緊急入院しています。」
 そして最後に、
 「長く延命出来ない可能性もありますので、挨拶させていただきます。……皆様くれぐれも御身体ご自愛ください。」
と結ばれていた。
 
 覚悟の上のお別れの挨拶である。自分の状況を冷静に見つめ、簡潔に報告するところが、いかにもT氏らしい。
 
 長年連絡を取らなかったことが悔やまれる。お見舞いのメールを送ろうかとも思うが、すでに手遅れなのかもしれない。かつて共に仕事をし、多くのことを教わった日々を静かに思い返している。
 


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