なぞって書いてみるー孤高のナゾリストと眠れるダイヤモンド
我が家の小1の息子は、おばかである。
そして不器用である。
ちょっと成長が遅いのである。
でも、3か月前の彼よりも、1か月前の彼よりも、今日の彼は成長している。彼の中で、上達して前に進んでいる。
勉強全般あんまり得意ではないのだが、なかでも字を書くのがとても苦手。2学期にはいってカタカナを習いはじめたけど、ひらがなもまだまだあやしい。
「つ」や「す」とかを左右反転して書いてしまう。
「う」の上にある点(1画目)を変な位置に書いてしまう。
プリントで、回答欄とはべつの枠になぜか答えを書いてしまう。
名前の枠に、名前が収まらない。はみ出す。そしてはみ出した文字も、変な場所で折り返すから、まったく読めない。
それでも、それでも、彼は最近上達したことがある。
母さんとしては、涙が出そうなほどうれしいことがある。
なぞるのが上手になったのだ。
ひらがななど、字の練習帳は、最初になぞる部分がある。
「あ」と薄く書いてあって、徐々にマス目のみになっていく。
その薄く書いてある部分に対して、
「お手本なんてくそか!
我、自己流で決めてヤルぜ!!!」
と線をすべて無視し、弘法大師もびっくりするほどの、へたくそな フリーダムな元気のよい威勢のいい字を書いていた彼が、あら、これなぞったんですか? 直接書いたんじゃなく?くらいの達筆(なぞりの)ぶりを見せたのである。
なぞりの天才、孤高のナゾリスト爆誕である。
そしておばかゆえ、調子に乗りやすい。
「え、そんなにぼく巧いのかな。え、そうかな。こんなのも書けちゃったけど…」
嬉しさを隠せない。量産していく。
そうか。先生。五十六先生。
拙者は先生の名言が、すっかり頭から抜け落ちてしまっておりました。
これですね。これが先生の言う、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」だったわけですね。
できないことを嘆くのではなく、できたことを数えて積み上げていく。
原点方式ではなく、加点方式だとそういえば恋愛の参考書に書いてあった。
息子は人より成長が遅くて、人より理解をするのに時間がかかって、それでも授業は待ってくれなくて。
彼は孤独にがんばりすぎるくらいにがんばっていたんだろう。
母はがんばらないことをがんばっているというのに、彼はがんばってがんばってがんばっているのに、そのがんばりが外側の人間には伝わらなくて、ひとりでとても苦労してきたのかな。
気づいてあげられなくて申し訳なかった。
まさに、孤高の人よ。
わたしはわたしで、最近悔しいことがある。
自分の文章が雑だということ。
noteのなかでたくさんの人の文章を読んでいるけど、文章ってセンスだとあらためて感じる。センスの塊みたいなひとがゴロゴロいる。悔しい。読んでいておもしろくて、笑うと同時に、そして悔しいなって思ってしまった。
中毒性があって、ずっと読んでいたくなるような、クセのある文章を書く人。独特なのに妙に心地よくて、それでいて内容がストンと入ってきて、おしなべておもしろい。たとえるなら味が変わるシュワシュワのガム。噛めば噛むほど、あたらしい味になって飽きさせない。わたしは味のあるうちに飲み込みたい派。
一方で、とても洗練された品のある文章を書く人もいる。はっきり言って羨ましい。そして、美しいで終わればまだ許せるのだけど、おもしろいのである。オチまで秀逸。ここまでいくと、ずるい。たとえるならクリームソーダ。アイスを食べられ、メロンソーダとして喉も潤してくれる。ソーダの泡とアイスと氷が混じった部分がわたしはたまらなく好き。そしてチェリーなんてのっけちゃって見た目からしてかわいすぎだよ。
わたしもナゾリスト代表として、なぞってみてもいいのだけど、たぶんそれだけじゃないんだろうなという思いがふつふつとわきあがる。
テクニックとか語彙力とかでは補い切れないなにか。
そう、たぶん人間力。
書き手の性格の良さが、品の良さが、キャラクターが、にじみでてしまうんでしょうね。文章というものは。
手っ取り早く、文章を上手になりたいのであれば、まずは思考を変えることだ。思考を変えるには行動を変えることだ。
経験は思考から生まれ、思考は行動から生まれる
拙者の大好きなファブルだ。いや、元はベンジャミン・ディズレーリという偉い人が言ったそうだ。なにをした人なのかはよくわからない。
「おこたりて 磨かざりせば 光ある 玉も瓦に ひとしからまし」
そして、行動の変革といえば、拙者がまだ四捨五入してもなお10代だったころ、明治神宮でひいたおみくじのお言葉を思い出すのである。
そう。ダイヤモンドも磨かなければただの石。
天下の松下幸之助さんだって格言を残しておられる。
「ただの石をいくら磨いてもダイヤモンドにはならない。しかし、ダイヤモンドの原石は磨くことによって光を放つ。しかもそれは、磨き方いかん、カットの仕方いかんでさまざまに異なる燦然とした輝きを放つのである。私は、人間というものはそれぞれに磨けば光る、さまざまな素晴らしい素質をもったダイヤモンドの原石のごときものだと思う。とくに経営に携わる人は、このことを正しく認識し、一人一人の持ち味をどう活かすかを考え、実践していくことが大切である」
経営者の役割というのは家庭でいうところの親である。
子どもにも自分の磨き方を教えたい。
ピカピカのダイヤモンドの原石の君へ。そして、わたしへ。
まさに切磋琢磨していく。
