見出し画像

あたらしい服を買うのがこわいという病に痩せたい気持ちで対抗するけど、なんにも解決しなかったはなし

40歳を越したわたすは、あたらしい服を買うのがこわい。とんでもなく、こわい。
しかし、いま着ている服だって、下手したら5.6年前に買ったもので構成されているような気がしてならない。歳をとる度に、服を買うという情熱が薄れていってしまっている。なんつーか、お洒落を楽しむ機会が激減したことによる気がする。たとえば昔なんて、予定のたびに服を買ったでしょ。異性も同性も、誰も彼もの視線を気にして。でもいまはどうだ。わたすなぞのファッションに興味がある人間がいるのか。なんつーか、まわりのみんなの服も固定されてこないですか。なんかもう、みんな時が止まっているのよ。みんな何年も前の服をそのひとの制服のように着ているし、そこに違和感をおぼえないのよ。それになんか、服よりも旅行とか家とか、なんなら外食なんかにお金をつかいたい。という、価値観の移行もあるのだと思うの。でもね。この前びっくり仰天したの。

その日は学生時代からの友達の集まり。女子会。春やから、スモーキーブルーのブラウスに、白のパンツを合わせたのだけど、異変に気づいたのは家を出てからだった。
家から外に出ると、なぜこんなにも客観的になるのだろう。というよりも、家の中にいるとなぜあんなにも主観が入りすぎるのだろうか。
そう。なんだか、オバサンがすぎるのだ。ふとカーブミラーに映る自分も、ショーウィンドウに映る自分も。え。どうして。シルエットが、完全にオバサンのそれなのだ。そしてこの服はもう、40歳のわたすには似合わない。せめてボトムスをネイビーにするべきだったと後悔をするのだ。
桜を見るのももう40回目になると(そういえば、桜を見る会の問題って結局どうなったのだろう)、自分ではそんな気はなくても、やはり傍からみたらオバサンなのだ。自分が20代の頃の40歳など、もはやよくわからぬ存在だった。とりあえず、よくわからないけど、「わたしなんてもう〇〇歳なのよ」という女性の自虐を「え。見えないです。お若いです」と言ってやり過ごしてきたあの頃。その〇〇歳のスタンダードはいったいなんなのかもしらぬまま、とりあえず喉越しのよい言葉を吐いて、ひとを歓ばせることに全集中してきたあの頃。
わたすはひょっとしたら、我慢の多い人生を歩んできたのかもしれない(なんて太宰治氏めいたことを綴り、文章の体裁を整えるなど言語道断である)。なんのはなしでしたっけ。

そう。なので、クローゼットにある服はそろそろ更新したほうがいいのではないかと思ってきたのと、もう飽きたのだ。もっとセンスいい服が着たい。
そこで、あたらしい服を買おうと決めたのだ。しかし、わたすなぞ、隙間時間に服を買うしかできぬので、もっぱらZOZOTOWNなどのオンラインショッピングで買いがち。そう。気づくのだ。果たしてこれを、わたすが着たとて、このモデルさんのように着こなせない。服は着るもの。着こなせなければただの箪笥の肥やしとなる。一気に買う気が失せるわたす。
そもそも体型がオバサンなのだから、いくら素敵な服を買うたとしても、残酷な現実が待つのみ…。なんと。服を買う前に痩せねばならぬ。しかし、完全に肥っている。なんならもう痩せることも放棄している。え。一生服が買えないのでは。え。わたす、どうしたらいいの。
お、お店に行こう。久しぶりにルミネとか行っちゃえばいいのではないか。え。ルミネ行くための服がないかも。な ん で す と 。




そしてね、思ったの。
服って高いよね。
いま、とあるYouTuberのグッズTシャツを部屋着にして着てるんだけど、そーいえばこれ結構なお値段したよなって。わたすなんて、ハードカバーの本が高くて買えぬと本屋で泣いている女。だいすきな漫画の全巻セットを買っちゃおうかなどうしようかななんて迷っていて(アプリで購入したのだけど、やっぱり本で読みたい)、けれども、トップス一枚の値段で、全巻セットもひょっとしたら買えちゃうのか、と気づいて、本て安すぎんかと震えている。

そして、やはり服を買うことを躊躇しはじめるわたす。もう。あたらしい服は買わなくていいのかもしれない。

とりあえず、モーレツに痩せたいの。
でも、モーレツにたべてるの。
気がついたら、ごはんのことばかり考えてる。
なぜひとは、こんなに腹が減るのかな。



あの、おしまい。



なんのはなしですか。

だから、どうしたのですか。

痩せましょう、今スグに。

お腹が重いのです。

お腹に赤ちゃんはいません。


いいなと思ったら応援しよう!