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AIと共存するために、愛でるちからを磨こうとしたら、全人類をいとおしく感じたオバチャンのはなし

おととい、壮大な宇宙スケールでこの世界をみつめたわたす。
そう。なんとわたすは、せこせこして生きてるんだろうか。いや、セカセカでしょう。
なんとセカセカ生きてるんでしょうか。わたすは。
言い直すの。律儀なの。

そしてね、凹むの。
冬ってさ、さむいとさ、鬱っぽくなるよね。
お布団から出れないし、「なんてわたすは愚かなんだ」といまさらすぎるくらいのことでクヨクヨくよくよする。
クヨクヨってカタカナかわいい。おとといってひらがなもかわいい。

とにかく、わたすってあまりにも物事を浅く考えすぎているので、野生のカン?直感みたいなところでここまでやってきてしまったのである。まあ、ある意味きっと、それはめぐまれているんだし、生命として強いのかも?とは思うのね。

ただね、今日仕事してて、凹んだの。
わたす、知的な判断はぜんぶ一度、ちゃっぴーに訊いてみることにしてる。なんかもはや考えることを放棄しているのでは、という感じでもあり、この時点で情けなく思うのね。そして、得られた回答にはきちんと理由が添えてあって、ああ、なるほど、と納得感がある。
そこで、また凹むの。わたすは、なんて、考えてないの、と。わたす、底が浅すぎる、と。

けれど、こうも思ったの。
ということは、ですよ。浅く考えていたとて、こうしてAIが論理だてて回答をくれるのであれば、それって現在の人間にとって「不要」な能力なのではないかと。
もうそういうことはAIにお願いして、わたすはもっと別のことに時間を割ける。そうして、割り切って生きて、この変化に対応していくことが賢い生き方なのではないの、と。


そう。ここで、わたすはあこがれる職業がある。


それは、平安貴族である。


彼らは花や風景のうつくしさを愛で、恋愛をし、歌を詠み、ときに夜這いをしては、蹴鞠をする。




最強すぎませんか。


まさに、全人類のあこがれのような、暮らし。


う ら や ま し い 。


わたす、いまから平安貴族になりたい。




しかし、おむすびころりんのおじいさんにもあこがれるし、花咲かじいさんでもよい。


もはや、貴族でもなければ、平安の世でもない。



…と思って平安貴族のことをしらべていたら、実は激務だったそうだ。紫式部が描かなかっただけで、貴族=官僚の仕事。年中行事などでいそがしく、みな深夜まではたらいていたようだ。
しかも、身分を越えた出世はできない。


な ん の た め に が ん ば っ て い る の 。

そうか。そのストレスから現実逃避のために歌を詠み、夜這いという名の性犯罪を犯す。


もはや現代人の我々と似た境遇なのでは。


彼らにとっての歌がわれわれでいうとこのSNS。


きっと、そうだ(偏見が過ぎる)。




それよりもきっとおむすびころりんのおじいさんのほうが、よっぽどしあわせな暮らしをしていたのかもしれない。

おじいさんの職業は木こり。なるほど。重労働だ(あきらめ)。



そこでわたすはもうひとつの時代に目をつけた。

縄文時代だ。

稲作がはじまると、蓄えるものがでてきて、一気に貧富の差が拡がったらしい。その前の時代の縄文時代であれば、ひとびとはゆらりと暮らしていたはずだ。


土器とかアクセサリーをたくさんつくって、肉を捕まえて焼いて、くっていたにちがいない。


そして縄文時代のひとびとは、どうやらたすけあって生きていたらしい。
それが、弥生時代になると、人から殴られて死んだような形跡が出てきたりするらしい。

こわい。

やはり、持つものと持たざるもの。
これが、争いを生むのね。

そうしたらもう、すべて手放したらよくないですか。
けれど、それができないから、この世界はこんなにもかなしい。
でも、それが人間のいとおしいところでもあるのかもしれない。
哀らしくて、愛らしいではないか。
いびつなものほど、愛着がわく。



あれ、なんのはなしでしたっけ。


そうそう。現在の時代で、ほんとうに人間として必要な能力っていうのは、きっとそれは「人間らしいこと」にほかならないのでは、と思ったんです。

AIには感じられないであろうこと。

たとえば、わたす、珈琲豆とかお花とか、パン屋さんのパンとか、そういうものを買って帰ったときの帰り道、あの足取りがほんとうにすき。


あとは、ひとが丹精込めてつくったおいしいごはんをたべたとき、とか。

みんなでくだらないことでわらったりするとき。

綺麗な景色をみたとき。

子どもががんばっている姿をみていて涙するとき。

子どもの寝顔をみるとき。

湯船につかった瞬間。

湯上りのさっぱりしたとき。

だれかと心が通い合ったとき。

誰かの文章を読んで心が動いたとき、とか。

そういう人間らしいことで、感じるしあわせを貯めていく。
それがこの先、たいせつになっていくことなのかなぁ、なんて思うのです。
たぶん、きっとそれは「愛でるちから」なのかな、なんて。


ぜんぜんパキッとした文章は書けなくて。

まぁ、それでもいいか、なんて思いながら。

そのうち、詩歌を詠んだり、絵を描いたりしてすごしたい。



しかし、めちゃくちゃさむくないですか。
わたすの足、血行わるすぎて壊死しそう。


運動するのもだいじです。

今日息子に言われたの。

「ママ、太りすぎじゃない?痩せたら?」と。

かなしみが、わたすを襲う。




あの、
行ってきます。





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