短編小説 逆光の向こう側 【一枚の写真から文芸賞】
チェニジアの夏らしい乾いた空気と灼熱の太陽によって、肌の表面が爬虫類の皮膚のように細かい鱗状に変質してるように錯覚した。
やばい、軽く熱中症になってそう。と目についたカフェの扉を開け、流れ込んできた冷気が体中を纏ったことにホッとひと息つく。冷房完備の店でよかった。
この国には何度も来てるけど、カフェの冷房の有無は完全に博打だ。
仕事と旅行を兼ねたアフリカ旅に向けばっさり切った髪をハンカチで拭いながらアイスコーヒーを受け取ると、冷風が一番当たりそうな席へ滑り込む。
その視線の先にやけに"画"になる子が座っていて、反射的に一眼レフを構えてしまった。
華奢だけど女性らしい円みを帯びたシルエットが逆光によって強調され、窓の外の朧げで存在してるかも不確かな風景と絶対にマッチしそう。
事後承諾でいいや。とそのまま何枚かシャッターを切り確認すると、思った通りの出来栄え。
ライフスタイル誌関連で使って貰えそう。と、にんまりしていたら彼女は立ち上がり出口に向かい始めたから慌てて声をかける。
「ごめん。ごめん。ちょっといい? 」
フランス語にしてみたけどきょとんした顔を向けられ、アラビア語オンリーかと鞄の中から翻訳機を取り出す。
その画面を注視していた彼女が不意に「日本人? 」と辿々しいながらもしっかりした日本語で尋ねてきたのでこちらも日本語で返してしまう。
「え? なんで? 」
「日本語」
そう言って指差したのは翻訳機の画面に表示されてたそのまんま『日本語』という文字。
「話せる? 」
手で鳥の嘴が開閉するジェスチャーを交えながら伝えたら「話したい! 」とやけに前のめりで来たからすこし身構え、鞄の口をすこし抑える。こういう時嬉々と応じられてよかった思い出はあまりない。
対面に座った彼女にさっき撮った写真と日本でカメラマンをしてることを伝えたら、カメラマンの方にやけに喰い付いてきた。
「本に載ったことある? 」
「あるよ」と返すのとほぼ同時に「これ読んで」とiPadを渡された。
「これ……漫画? 」
そこには少年同士が拳をぶつけ合うシーンが日本語の吹き出しとしっかりしたコマ割りで描かれていた。
「自分で描いたの? 」
「うん」
「漫画家になりたいの? 」
「うん。なれたら暮らしたい日本で」
そうなんだ……。と改めてじっくり彼女を見つめた。
年齢は20歳ぐらいだろうか。ライトブラウンのショートボブを眉の上で揃え、くっきりした瞳と横に広めな唇が目を惹く。
シンプルな白のカットソーから覗くデコルテラインも綺麗に浮かび上がり、骨格まで美人だと思った。
こんな子も漫画描くんだ。と思いながら画面をスワイプする。
編集者でもないから漫画のことはよくわからないけど、ありきたりな絵と内容の少年漫画だと思った。
緊張ですこしこじんまりしたように見える彼女に「読んだよ。おもしろかったよ」と声をかけると、周りの空気まで数段階トーンアップさせるように表情がいっきにぶわっと華やぎ、描いた漫画よりよっぽど躍動的で画になると膝の上に置いていた一眼レフに触れてしまう。
「ちょっと聞いていい? なんで目指すようになったの? 」
「ずっとアニメ見てたから」
そう言うと私でも知ってるアニメの名前が出てきて、キャラの名前を言い合いっこして盛り上がった。
「じゃあそれで日本語を? 」
「うん。変じゃない大丈夫? 」
「ううん。すごい上手」
「ほんと? ありがとう」
また求心力のある笑顔を向けられカメラを構えたくなる。
「いまは学生? 」
「ううん。してない。仕事見つからなくて」
その言葉にチェニジアの若年層の失業率の高さを報じたニュースを思い出し、ばつが悪く会話を終わらせた。
そのあとSNSを交換し、いっしょに店を出た。アカウント名はリーナ。投稿はやはり描いたイラストで埋め尽くされている。
「記念にあなたの写真撮ってもいい? 」
強い日差しに容赦なく焼かれてる彼女に訊くと、すこし迷いながら「いっしょなら」と返ってきたので私はスマホを取り出す。
肩が触れるほど近くに来た彼女に「最初見たとき男の子だと思った」と打ち明けられ、自分の髪を触りながら「こんなに短いし肌も黒いもんね」と情けない声を出した。
「ううん。違う。違うの。すごいかっこよかった。こうなりたいって思った」
「えー、私はあなたみたいになりたいよ」
「全然だめ。もっと強くなりたい。どこでも生きていけるように」
なれるよ。とは答えられなかったけど、大きくうなずいて写真を撮った。
スマホの中の満面の笑顔の彼女と私を二人で確認してもう一度笑った。
その場で手を振りながら別れた後、こっそり後ろ姿の全身写真も撮った。
この写真を知り合いの編集長に見せてみようと思う。
彼女の思い描く“夢”とは少し違うかもしれないけれど、
——いつか日本で、また会える気がしている。
《1,994文字 》
