「ママみたいなママになりたい」
「大きくなったら何になりたい?」とセットのように
プリンセスや人気キャラクターになりたいと答えていた我が子達。
「いぬ」になりたい時期、「ねこ」になりたい時期もあったなぁ。
5歳になった長女もまだまだ「大きくなったら何になりたい?」に即答する大好きなキャラクターがいるのだけれど、
「大きくなったらどんな大人になりたい?」と聞いてみるとその答えは変わる。
ゆっくりと2人でお布団に入って話をしていると、日中に不機嫌になったり、反抗的な態度が嘘のように素直でかわいい。これが本当の姿なのだろうと思っている。
いろんな話をする中でふと「大きくなったらどんな大人になりたい?」って話に。娘は「ママになりたい」と言っていた。
3人きょうだいの1番上。みんな長女のことをどこか頼りにしている。そして長女も甘えたい気持ちと頼られたい気持ちが混同しながら過ごしていることが伝わってくる。
5歳、こんなにも人を思うことができるのかと、私も長女のことを心底尊敬している。おままごとをする時も、「ママ」や「お姉ちゃん」の役を見事に演じている。この子が本当の「ママ」になる時が想像できるよう。
何に魅力を感じて「ママになりたい」と思ったのか、この子にとって「ママ」という役回りが「希望」「夢」になっているのはどんな思いからなのか。そんなことが気になっていたが、あえて深くは聞かなかった。
「ママみたいなママになりたいんだよね〜」
と、ふとつぶやく長女に私も驚く。驚きながら嬉しい。
「もうママなんて嫌い!」
気に食わないことがあると、そんな言葉を投げつけてくるのに。
「ママが悪い!」「ママがいけない!」「ママのせいだ〜!!」と
私のせいにしては、大騒ぎしているのに。
それに対して私が仏のように優しく丁寧な対応ができているとは限らないのに。
娘にとって「ママみたいなママ」ってどんなママなんだろう?
「社会一般的に理想的な模範解答のようなママ」ではない自信がある。
でも、「私がなりたかったママ」でいられている自覚はある。
ママになった喜びもいっぱい味わっている。
その分、ママになったからこそ味わう大変さや悩みもいっぱい。
子ども達を両腕に抱いて、股の間まで使って3人を寝かしつけているママ。
「ママの隣」の二枠を争って喧嘩されているママ。
家事は得意ではないけど、何とかこなしているママ。
実は仕事が大好きなママ。
先生や他のママ達との立ち話が長いママ。
スーパーに行ってもなかなかおやつを買ってくれないママ。
だけど「今日は特別」ってたまに2人でケーキ屋さんデートに連れて行ってくれるママ。
片付けしなさいっていうママ。
でも自分が疲れている時はなかなか抜けない鹿児島弁で「今日はいいが」と言ってくるママ。
どうしてもママの耳を触らないと1日を終えられない。
そんな長女が私を「どんなママ」と思っていて、「ママみたいなママになりたい」と思ったのかは分からない。
ただなんだかんだ「幸せそう」ということを感じているのだろうと思う。
「ママみたいにならなくても、あなたのままで素敵なママになれるよ」
「素敵な人と結婚して、かわいい赤ちゃんが生まれてママになれたら最高だね」
そんなことを話しながら私自身もとっても穏やかな気分。
こうやって眠る前に子どもと語り合ってるママに私もなりたかったなって。
ママになったらやりたかったこと、今実現できていることに喜びが込み上げる。
「誰かのようにならなくてもいいんだよ」っていつも子ども達にはいうけれど、「こんな風になりたい」と思った時にモデルがいるとイメージが湧きやすい。
私たち大人も「憧れ」のようなものが「希望」になることがあるから。
この子の「お手本」や「目標」になろうと意識したことはないけれど
この子が「憧れを抱けるような大人」でありたいと思う。
「ママみたいなママ」と今のこの子は表現しているけれど
「この子がなりたいママ像」を具体的に言葉にできるようになった時、
自分にないものを追い求めるよりも、そんな自分でいられている瞬間があることを気付けるように、なりたかった自分になれていることに自覚できるような言葉をかけてあげたいし
「もう十分よくやっているよ」って言ってあげたいな。
そんな私とこの子の未来を楽しみにする出来事だった。
