忙しさの中でも、仕事が嫌いにならないのはなぜか|静かに積み重ねる110
先週は、始発で出て終電で帰る、そんな1週間でした。
プロジェクトの追い込みで、残業は100時間超えて朝から晩まで仕事漬け。
noteも1週間お休みするくらい、余裕がありませんでした。
これだけ聞くと、「仕事が嫌になったのでは」と思われるかもしれません。でも、不思議なことに、そうはならなかった。
大変だったのは間違いない。疲れたし、しんどかった。
もう二度とやりたくないと思う瞬間もあった。
それでも、仕事そのものを嫌いにはならなかったんです。
これは、なぜだろう。
始発終電の日々を越えて、少し落ち着いた今、改めて考えてみました。
忙しさと、仕事が好きかどうか。
この2つは、実は別のものなのかもしれない。
今日は、忙しさの中でも私が仕事を嫌いにならない理由について、
書いてみます。
「忙しい」と「嫌い」は、別のもの
始発終電の1週間を過ごして、気づいたことがあります。
「忙しい」と「嫌い」は、まったく別のものだということです。
つい、この2つを一緒にしてしまいがちです。
忙しい=つらい=嫌い、という図式で考えてしまう。
でも、実際に忙しさの底を経験してみると、そうではなかった。
たしかに、忙しさそのものはしんどい。
体は疲れるし、寝る時間も削られる。プライベートの時間もなくなる。
それは間違いなく大変です。
でも、その大変さと、仕事が好きかどうかは、別の軸の話でした。
嫌いな仕事なら、忙しくなくても嫌いです。
暇でも、少しの作業でも、気が進まない。
逆に、好きな仕事なら、忙しくても「嫌い」にはならない。
しんどいけど、嫌ではない。この違いは、やってみて初めてわかりました。
忙しさは、一時的な状態です。繁忙期が過ぎれば、また落ち着く。
でも、その仕事が好きかどうかは、もっと根っこにあるもの。
一時的な忙しさで、揺らぐものではなかった。
先週の自分は、確かにヘトヘトでした。でも、心のどこかで「この仕事、嫌いじゃないな」と思っている自分もいた。
その感覚があったから、始発終電でも乗り切れたのだと思います。
忙しさに飲まれると、つい「仕事が嫌だ」と思ってしまう。
でも、一度立ち止まって考えると、嫌なのは忙しさであって、仕事そのものではないことに気づく。
その2つを切り分けられると、忙しい時期の心の持ち方が、
少し変わってくる気がします。
一緒に乗り越える仲間がいる
忙しくても仕事を嫌いにならない理由の、もうひとつ。
それは、一緒に働く仲間の存在です。
始発終電の1週間は、自分ひとりで戦っていたわけではありません。
同じように追い込まれながら、同じ目標に向かって走っているチームのメンバーがいました。
これが、思っている以上に大きい。
同じ大変さを共有していると、不思議と頑張れるものです。
「みんなも踏ん張っているんだから、自分も」と思える。
しんどい状況でも、隣に一緒に走る人がいるだけで、心の負担がずいぶん軽くなる。
もし、あの1週間をたったひとりで抱えていたら、きっともっとつらかった。同じ景色を見て、同じ大変さを分かち合える仲間がいたから、乗り越えられたのだと思います。
そして、大変な時期を一緒に越えると、チームの結束は強くなります。
追い込みを一緒に乗り切った経験は、後になって「あのとき大変だったね」と笑い合える思い出になる。苦楽をともにした分、信頼が深まる。忙しさは、チームを鍛える機会でもあるんです。
以前、非属人的なチームや、任せることについて書きました。
仕組みでチームを支えることは大事です。
でも、それと同じくらい、「一緒に大変な時期を越えた」という感情的なつながりも、チームを支えている。
仕事を嫌いにならないのは、その仕事の先に、一緒に頑張る人たちがいるからでもある。
ひとりだったら折れていたかもしれない忙しさも、仲間となら乗り越えられる。そういう仲間がいる環境そのものが、仕事を好きでいられる理由なのだと思います。
自分の仕事に、誇りを持っている
忙しくても仕事を嫌いにならない、一番の理由。
それは、自分の仕事に誇りを持っているからだと思います。
以前にも少し触れたかもしれませんが、
私は製薬業界で、新薬の開発に携わっています。
新しい薬をつくるという仕事です。それは、今この瞬間も病気で苦しんでいて、新しい治療を心待ちにしている患者さんのための仕事でもあります。
自分たちが開発を進めている薬を、待っている人がいる。
その事実を思うと、ちょっとの忙しさくらい、平気に思えてしまうんです。
始発終電がつらくないわけではありません。でも、「この追い込みの先に、誰かの助けになるものがある」と思えると、しんどさの意味が変わる。ただ削られるだけの忙しさではなく、意味のある忙しさになる。
仕事の大変さを乗り越えられるかどうかは、
その仕事に意味を感じられるかどうかで、大きく変わるのだと思います。
もちろん、毎日その使命を強く意識しているわけではありません。目の前の作業に追われて、余裕がなくなることもある。それでも、根っこのところに「この仕事には意味がある」という感覚がある。
それが、忙しい時期の自分を支えてくれている。
どんな仕事にも、その先には必ず「誰か」がいます。
自分の仕事が、最終的に誰の役に立っているのか。
それが見えていると、忙しさの受け止め方が変わる。
目の前の作業の意味が、少し違って見えてくる。
私にとっては、それが患者さんの存在でした。
会ったこともない、顔も知らない誰か。
でも、その人のためになると思えるからこそ、
この仕事を嫌いにならずにいられるのだと思います。
忙しさは過ぎる、好きは残る
始発終電の1週間を越えて、改めて思います。
忙しさの中でも仕事を嫌いにならなかったのは、
いくつかの理由がありました。
「忙しい」と「嫌い」は別のものだと気づけたこと。
一緒に乗り越える仲間がいたこと。
そして、自分の仕事に誇りを持っていること。
その先に、新しい薬を待っている患者さんがいると思えること。
これらがあったから、しんどくても、嫌いにはならなかった。
忙しさは、いつか過ぎていきます。
繁忙期は終わり、また落ち着いた日々が戻ってくる。
一時的な状態でしかない。
でも、仕事が好きだという気持ちや、その仕事に感じている意味は、ずっと残ります。忙しさが去ったあとも、変わらずそこにある。
だから、忙しい時期に「もう嫌だ」と感じても、
それは忙しさに対する感情であって、仕事そのものへの気持ちとは分けて考えていい。
もし今、仕事に追われてしんどい人がいたら、
一度立ち止まって考えてみてください。
自分は、仕事そのものが嫌なのか。
それとも、今の忙しさが嫌なだけなのか。
その2つを切り分けてみると、案外「仕事は嫌いじゃないな」と気づくかもしれません。そして、その仕事の先にいる「誰か」を思い出せたら、忙しさの意味も、少し変わってくるはずです。
忙しさは過ぎる。好きは、残る。
その感覚を持っていられれば、大変な時期も、きっと乗り越えていけると思っています。
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また次の記事でも、静かに積み重ねていきましょう。
それでは、今後ともよしなに。
