元社畜限界うつニートはブロックさせてしまった懺悔を書き連ねる。(vol.49-1 2026.04.14)
最近はフォローしている人たちの記事を見るのが日課だ。
今日も今日とて記事を眺めていたが、ふと最近見かけない人がいることに気づく。2日に1回ぐらいの投稿頻度であったはずだ。
確かフォローしていたはずなので、フォロー一覧から投稿を見に行く。しかし、妙なことがあった。フォローしていないことになっている。しかもフォローしようとすると、フォロー出来ない旨の表示が出る。
私は嫌な予感がした。すかさず、noteでブロックされている場合の挙動を調べ、あらかた試した。しかし、相手の記事にコメントを書こうとした際にこんな表示が出た。
「ブロックされているのでこの記事にはコメントできません。」
私はブロックする際の操作方法なども調べた。しかしそれが決定打だった。まずもって間違えてブロックする様な操作方法ではなかった。つまり、私は相手の確固たる意志のもとブロックされていたのである。
相手があまりいい人ではない場合はどうとも思わない。しかし、その人は何気ない日常を切り取り、たくさんのフォロワーから温かいコメントを頂いている人なのだ。私のしょうもないコメントにも度々返事をくれたり、私の記事をスキしてくれたりもした人だ。そんな人からブロックされたという事実は非常に重い。
思い当たる可能性をこじつけることはいくらでも出来る。毎回記事にスキやコメントなどをするのでストーカーじみていて嫌だった。ただでさえコメントが多いのにくだらなすぎるコメントばかり送ってきて返信が面倒。気に食わないコメントが事線に触れた。など。どれかかもしれないし、全部かもしれないし、全部違うのかもしれない。
だがそれよりももっと重要なことがある。私はそんな優しい人の事線に触れ、確固たる意思でブロックさせてしまったのだ。その人の精神衛生上、私という人物の存在が邪魔であるということだ。
結局のところ何が決定打かはわからない。しかしこの事実は変わらない。私はそんな優しい人に嫌な思いをさせた人間なのだ。しかも何が原因かの心当たりもはっきりしない。
最低だ。
もしかしたら件の記事の投稿者が私の記事を見ているかもしれないのでメッセージを残します。
私はあなたの記事がスキでした。何気ない日常をクスッと笑えるような文章で表現するあなたの記事がスキでした。以降、あなたの記事を覗くようなことはしません。それを望まないからこその判断でしょうし、それでも尚、「あいつが見てるかもしれない」という恐怖もあるかもしれません。コメントできないので直接伝えられないのは残念ですが、もしこの記事をお読みなっているようでしたら、そこに関してはご安心いただければ幸いです。今までありがとうございました。
万人に好かれるなんて不可能だ。何気ないことが人を傷つけたりもする。そしてこれらは今回が最後という保証もない。きっとこれからも度々この様なことが起きてしまうのだろう。それを踏まえて今一度noteにどう向き合うかを考えた。
その末、私はnoteを続けることにした。
アカウントを消したところで、見たくないものを見ないという逃げでしかない。私に出来る贖罪は、確かに一人の人物を傷つけてしまったという事実を抱えて歩き続けることぐらいだ。そしてnoteを続けていく中でその重荷はどんどん重くなって行くだろう。それでもだ。
これを読んでいる読者諸君。幻滅したのならブロックして頂いて構わない。私は嫌なことを隠して善人面している人間が嫌いだ。だからこそ、そんなものと同類にならないためにも、この事実を書いて、残して、公開する。
今後どうなろうが日記を続けるし、この記事がどんな影響を及ぼそうと私は逃げも隠れもしない。この記事で同情を誘う気もない。読者諸君の気の向くままに判断してほしい。
以降は無駄口が続くばかりだ。以上を持って終了とする。
