いまという「あい」
生きているって、静かにしんどい。
日々の中に、ちょっとした違和感や痛みがあって、
それでも、ふとしたぬくもりやつながりだけで、
また今日も生きようと思えるんだと思う。
それは奇跡みたいでもあるけど、
なんだか残酷でもある気がする。
わたしも、これまで、
幸せになるためにと、たくさん学んできた。
ヒーリングとか、スピリチュアルとか、自己探求とか。
「ああ、これで救われた‥」と感じたこともあったし、
だから、それを誰かに届けたいって思ったこともある。
でも、それだけじゃだんだん苦しくなっていった。
気づいたら「救い」は「枠」になってた。
自由になりたくて走ってたのに、
また別の鎖に繋がれていた、みたいな感覚。
そして、その鎖は、愛や、やさしさでもあるから、
なかなか気づけなかったりもして。
いろいろを手放して、
やれること全部やったな。
そう感じた後に残ったのは「いまここ」だった。
ただ、それはキラキラしたものじゃなかった。
なんら変わらない、いつもの感じ。
変えられるとも言えるし、変えられないとも言える。
わたしという存在は、たしかにわたしなんだけど、
生まれ育った背景や、選んだ道や、
選べなかった何かにも包まれてる。
わたしが握れるものもあれば、
どうにもできない部分、もたくさんある。
でも、それを責めたり、諦めたりもせず、
ただ、そういうものなんだと静かに思っている。
誰かが「これで救われた」と思って伝えられている
スキルや学びが、この世界にはたくさんある。
全部が正解で、全部が不正解。
その答えは、自分の中にある。
わたしはいま、ただここにいて、
なんら変わらないように見える風景の中で、
それらをどう感じているのか。
どこにいたいのか。
ほんのちょっと選んでみる。
そんな感じがそうなのかもしれない。
だからわたしは、ただここで、こうしているだけ。
今ここに、ただいる。
それだけというしかない、可能性にあふれるいまここ。
がんばってみてもいいけど、
わたしは、がんばらないを選ぶ。
だって、ここが豊かで
それを感じているだけでじゅうぶん。
そんな気持ち。
なんでもない今が、ふっと愛おしくなっちゃうんだよね。
ただいま。わたし。🫖
