「その歌声、内緒につき。」⑤ -友だち-
【主な登場人物】
虹咲音羽(にじさきおとは):主人公。ロックシンガーを目指す高校1年生。小学生のころから「友だち100人作れる人なんて、いるの?」と疑問に思っていた
桜井玲奈(さくらいれいな):音羽のクラスメイト。長めの髪に赤のインナーカラーを入れたギャル。友だち100人を割と本気で目指している
前回の内容
🏠
カラオケから帰ってきた虹咲音羽は、部屋のドアを閉めるなり、そのままベッドに倒れ込んだ。
「つ、疲れた……」
顔を半分ほど枕にうずめたまま、かすれた声でそう漏らす。
無理もない。あの後の音羽は、流れで、というにはあまりにも長い時間、ほとんど一人で歌い続けることになったのだ。気づけば一時間半近く。休憩を挟みつつではあったが、マイクを握って、曲を入れて、歌って、また次を入れて――その繰り返しだった。
喉が焼けるように痛いとか、声が掠れて出ないとか、そういうことはなかった。自分でも意外なくらい、喉は平気だった。
何より、みんなが自分の歌で楽しんでくれているのが、本当に嬉しかった。むしろ、もっと歌いたいと思ったくらいだ。
けれど、だからといって疲れていないわけではない。
歌った量だけ見れば、たぶんプロがライブで歌う曲数にだって匹敵する。普段は帰宅してからギターの練習をして、勉強もして、最低限やるべきことはきちんと終わらせる。それが音羽にとってはもう生活の一部だった。
でも、今日は無理だと思った。ギターケースに手を伸ばす気力も、机に向かう気力もない。
――今日はもう、休もう。
そう決めると、体から力が抜けていくのがわかった。制服のまま眠るのはよくないと思いながらも、起き上がるのも億劫で、音羽は天井を見つめたままぼんやりと瞬きをした。
そのとき、枕元に置いたスマホが震えた。
突然の着信音に肩が跳ねる。
「……え」
のろのろと手を伸ばして画面を見ると、表示されていた名前に目を見開いた。
桜井さん。
一瞬だけ、心臓がどくんと大きく鳴る。
何かあったんだろうか。忘れ物でもしたのか。それとも、今日のことで何か――。
そんな考えが頭を駆け抜ける中、音羽は通話ボタンを押した。
「も、もしもし……?」
『あ、音羽?』
聞こえてきた声は、昼間と変わらない桜井さんの声だった。それだけで少しだけ緊張がゆるむ。
『今日はめちゃくちゃ楽しかった。大変だったろうけど、あんなにたくさん歌ってくれてありがとね』
その言葉に、音羽は思わず小さく笑った。
「ううん、気にしないで。……私も楽しかったから」
『よかった』
桜井さんの声も、少しだけやわらかくなる。
そのまま会話が続くのかと思ったが、通話の向こうに沈黙が落ちた。
変な感じだった。気まずいというより、桜井さんが何か言おうとして、でも口に出すのをためらっているような、そんな沈黙だった。
音羽はスマホを耳に当てたまま、無意識に身じろぎする。
やがて、桜井さんが静かに口を開いた。
『……電話したのはさ、ひとつ聞いておきたいことがあって』
「聞いておきたいこと……?」
音羽は首をかしげた。なんだろう、と不思議に思いながら、続きを待つ。
桜井さんは少しだけ息を吸ってから、言った。
『私たちのこと、どう思ってた?』
「……え?」
あまりにも予想していなかった言葉に、音羽はすぐに意味をつかめなかった。
『人が一生懸命やってることを、音羽が音楽やってることをバカにする。そんなふうに思ってたの?』
胸が、ひやりと冷たくなる。
「そんなことは……」
反射的に否定しかけて、音羽は口をつぐんだ。
昼間のことが頭に浮かぶ。
――音楽やってるなんて、そんなすごいこと、どうして隠してたの?
桜井さんにそう聞かれたとき、自分はなんと答えただろう。
『バカにされるんじゃないかと、怖かった』
たしかに、そう言った。
そのときはただ、自分の気持ちをそのまま口にしただけだった。けれど今になって、その言葉がどう聞こえたのかを思い知る。
それはつまり、桜井さんたちがそういうことをする人たちだと思っていた、という意味にもなる。
音羽は唇をきゅっと結んだ。
「……ごめん」
声が少しだけ震える。
「意識してなかったけど、そう思ってたのかもしれない」
通話の向こうで、桜井さんが小さく息を吐く気配がした。
『そっか』
その短い返事は、どこか寂しそうだった。
胸の奥がちくりと痛む。
『正直に話してくれてありがとう。朝、聞きそびれたから気になってたんだよね。ちょっと音羽にしつこく絡みすぎたのかな』
「ち、違うよ」
音羽はほとんど反射で否定した。
「そんなことない。桜井さんは、別に……」
『いや、私ってしつこくなるところがあるんだよ』
桜井さんは苦笑するように言った。
『自分でも直したいと思ってるんだけどね』
その声音は冗談っぽいのに、どこか本気でもあった。
『朝、音羽に私たちのこと嫌いか聞くの、不安だった。私、音羽に嫌われてるんじゃないかと思ってたから』
「え……?」
音羽は目を見開いた。
そんなふうに思っていたなんて、全然わからなかった。
桜井さんはもっとまっすぐで、強くて、人の輪の中心にいるような人だと思っていた。相手の反応なんて気にせず、自分の思う通りに近づいてこれる人だと。
でも。
『意外に思った?』
桜井さんが少しだけ笑う。
『私はそんなに強い人間じゃない。相手のちょっとした反応で、すぐ不安になるような人間なんだよ』
その言葉は、音羽の想像と少し違っていた。
『それをたくさん話すことでごまかしてるだけ。後になって、喋りすぎたかなって怖くなることも多い』
音羽は返事ができなかった。
自分とはまるで別の種類の人間だと、勝手に思っていた。
でも、人間関係の中で不安になること自体は、桜井さんも同じなのだ。
ただ、その不安への対処の仕方が違うだけ。
不安になると黙ってしまう自分と、不安になるとたくさん話してしまう桜井さん。それだけの違いだったのかもしれない。
「……私からも、聞いていい?」
『うん。何?』
音羽は布団のしわを指でつまみながら、ずっと気になっていたことを口にした。
「……桜井さんは、どうして私にいつも話しかけたり、みんなの輪に入れてくれるの?」
『え?』
「席が隣だったから、最初は話しかけてくれたんだろうけど……」
そこで一度言葉が切れる。
自分で言っていて、情けないなと思った。
「しばらくしたら、私のことなんて相手にしなくなると思ってたから」
一拍置いて、桜井さんが吹き出した。
『それ、なんか薄情だね』
「うっ……」
笑われてしまって、音羽は少しだけむくれる。
でも、桜井さんの笑い方は責めるようなものではなくて、ただ率直におかしくなったという感じだった。
『でも、ちゃんと答えるとね』
桜井さんは少し声を整えてから言った。
『音羽って、何考えてるかわかんないんだよ』
「えっ……」
思わず固まる。それはたぶん、あまり良い意味ではない。
そう思った瞬間、桜井さんが慌てて続けた。
『あっ、ごめん。悪い意味で言ったんじゃないの』
「そ、そう……?」
『普通は何考えてるかわからないと話しかけにくいのかもしれないけど、私は逆で、何考えてるかわからないからこそ、音羽のこと知りたいって思ったの』
音羽は黙って聞いていた。
『そもそも音羽って、金髪にするようなタイプじゃないじゃん』
「……そ、それは」
『そんな子が金髪にしてるって、何か強い信念みたいなものがあるんじゃないかって思ってた』
桜井さんの言葉に、音羽は思わず自分の髪に触れた。
この色にした理由は、たしかにある。
けれど、それは誰かに説明できるような、立派なものではない気もしていた。自分を変えたかったとか、ステージに立つ自分に近づきたかったとか、そういういろんな気持ちが混ざった結果だった。
『あとは……勘、だね』
「勘……?」
『この子は面白いっていう、根拠のない勘』
桜井さんは少し照れくさそうに笑った。
『それで音羽のことが、ずっと気になってて。もっと知りたい、仲良くなりたいって思ってた』
そんなことを言われると思っていなかった。
音羽の胸の奥で、じんわりと熱が広がる。
『でも今日、音羽が歌ってるところ見て、私の勘は間違ってなかったって思えて嬉しかったよ』
その言葉はまっすぐすぎて、痛いくらいだった。
嬉しかった。本当に、嬉しかった。
でもそれと同時に、胸のあたりにうす暗い何かがよぎる。
そんなふうに思ってくれていたのに、自分はずっと怖がっていた。勝手に距離を取って、勝手に壁を作っていた。
そのことが急に、申し訳なく感じられた。
『だから、これからも友だちとして仲良くしてもらえると嬉しい』
「えっ……」
音羽は思わず聞き返した。
桜井さんの口から出たその言葉が、うまく頭に入ってこなかった。
「私たちって……友だちなの?」
『えっ』
今度は桜井さんのほうが驚いた声を出した。
『そうだと思ってたんだけど……音羽は違うの?』
「い、いや、そうじゃなくて……!」
音羽は慌てて体を起こした。誰も見ていないのに、必死に首を振る。
「私、友だちがいなかったから、友だちの基準がわからなくて。どうなったら友だちって言えるのかなって……」
言いながら、恥ずかしくなってくる。
でも桜井さんは笑わなかった。
『ああ、そういうことか』
むしろ、ほっとしたような声だった。
『そう言われたら私もよくわからないけど……』
そこで少しだけ考えるような間があって、それから桜井さんは言った。
『友だちだって思えたなら、もう友だちでいいんじゃないかな?』
音羽は息をのむ。
『少なくとも私は、音羽のことを友だちだって思ってる』
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
友だち。
その響きは、自分にはずっと遠いものだった。教室の中でほかの誰かが持っているもので、自分には関係のない言葉だと思っていた。
でも今、それが自分の前に差し出されている。
音羽は小さく唇を噛んでから、言った。
「それだったら……私も、桜井さんのこと、友だちだって思ってる」
通話の向こうで、桜井さんが息をのむ気配がした。
それから、うれしそうな、でも安心したような、そんな曖昧でやわらかい空気が伝わってくる。
『ありがとう』
その一言が、妙に近く感じた。
『私、音羽ともっと仲良くなりたいと思ってる……だからさ』
桜井さんの声が、ふっと低くなる。つぶやくみたいに、こぼれた言葉。
『……私たちのこと、怖がんないでよ』
「……!」
その瞬間、音羽の胸が強く打たれた。
責める声ではなかった。
泣きそうな声でもなかった。
でも、その一言には、桜井さんの寂しさも、不安も、願いも、全部混ざっている気がした。
音羽は言葉を失う。
何か返さなければと思うのに、喉の奥で言葉がひっかかって出てこない。
すると桜井さんは、はっと我に返ったように早口で言った。
『ごめん、今の忘れて!音羽は何も気にしなくていいから。また明日ね!』
「あ、桜井さ――」
言い終える前に、通話は切れた。
ぷつりと途切れた無音が、部屋に広がる。
音羽はしばらくスマホを耳に当てたまま、動けなかった。
