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透明を描くということ|光の向こうにある、少しの闇(笑)

今日は少し真面目な話を。
透明って、きれいで、描きたくなる。
でも、描こうとすると、見えなくなるんです。
そんな話です。

中学生のころ、父の転勤で、
近所に画家の叔父
住んでいた時期がありました。

美術はまあまあ得意。
茂みを見ていると、いろんな色が見えて、
ADHD気質の集中力で、
そのすべてを描き込んでいました。

出来上がった絵は
「なんだこれ?」という仕上がり。
けれどなぜか、
銅賞くらいはもらっていたりして。

そんなこともあって、
ときどき叔父の家に遊びに行っていました。

穏やかで、少しおもしろい人。
でも絵を描いているときは、
なぜか近寄りがたい雰囲気がありました。




ある日の写生会で、
湖を描くことになりました。

木々や道、柵までは描けたのに、
どうしても湖だけが描けない。

湖の部分だけが、
真っ白に残ってしまったんです。
だって、透明なものなんて描けない

学校の帰り道、
泣きそうになりながら叔父の家へ。

「湖が描けないんだ」

そう言うと、
叔父はやさしく微笑んで、

「湖に映っている景色を描けばいいんだよ」

そう言って、空と同じ色で
さらさらーっと水面を塗ってみせたのです。

空が映りこむように。
その瞬間、
初めて“透明”という世界を見た気がしました。




その絵は入賞しました。
けれど、叔父に手伝ってもらったことは、
なんとなく言えませんでした。




今、パステル画を
教える立場になって思います。

「透明を描きたい」
と言う生徒さんがとにかく多いですが、
本当に大切なのは、
“透明を描こうとしないこと”なのかもしれません。

見えている現象を、そのまま描く。
光も、影も、歪みも、映りこみも――。

あのとき叔父が教えてくれたのは、
「見えないものを描くな。見えているものを描け」
ということでした。

見えている現象をすべて描けば、
そこに、ちゃんと透明が現れる。

――あの日の湖のように。




……ただし、見ようとしすぎると、
自分の中の“濁り”まで
見えてしまうんですけどね(笑)

“透明”って、
最初は「きれい」「描きたい」なのに、
掘っていくと、
けっこう哲学の沼なんですよ。

光を描こうとすると、
必ず「影」と「濁り」が見えてくる。

つまり――
透明を描くことは、
自分の心の奥をちょっと覗くことでもある。




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