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【第616回】能登地震、表のメディアが伝えない現場で見たリアル(2025/02/26)山田太郎のさんちゃんねる【文字起こし要約】

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出演者:
山田 太郎 参議院議員・全国比例
小寺 直子 山田さんの秘書


今回の概要

こんにちは、山田太郎のさんちゃんねるです。
この番組では、政治・文化・経済など、さまざまな問題を取り上げ、皆さんにわかりやすくお伝えすることを目的としています。

さて、本日のテーマは「能登地震」です。今回の放送では、表のメディアが伝えない“現場で見たリアル”についてお話しします。
私は2月17日から18日にかけて、特に奥能登・輪島市を含む災害現場を回ってきました。

発生から1年以上が経過しましたが、復興はなかなか進んでいません。なぜ復興が遅れているのか、また、表に出てこない隠れた問題点についても、しっかりとお伝えしたいと思います。特に、メディアがあまり取り上げない現地の状況や、生の声をお届けできればと思っています。

能登半島地震とは

まず、今回の能登半島地震について振り返ってみましょう。

この地震は震度7を観測しました。震度7の地震というのは、日本の歴史を振り返っても決して多くはありません。たとえば、阪神・淡路大震災、新潟中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、そして今回の能登半島地震など、1949年以降で数えると決して頻繁に起こるものではありません。

マグニチュードは7.6。被害は甚大で、亡くなられた方の数は、1月28日時点で508人。そのうち280人は「災害関連死」でした。つまり、直接の地震による犠牲者よりも、地震後の環境や対応の影響で亡くなられた方が多いという現実があります。

実は、熊本地震の際も同様の傾向がありました。熊本地震では276名が亡くなられていますが、そのうち220名が災害関連死でした。つまり、地震そのものよりも、災害後の環境が命を奪うことが増えているのです。

これは、もはや「人災」と言ってもいいのではないでしょうか。地震で命を守れたにもかかわらず、その後の対応によって亡くなってしまうというのは、あってはならないことです。災害関連死をゼロにすることが、今後の防災対策の大きな課題だと強く感じています。

能登半島地震の特徴

では、今回の能登半島地震の特徴について見ていきましょう。

2024年1月1日16時10分、震度7の地震が能登半島を襲いました。

石川県で震度7を観測したのは、史上初のことです。さらに、この地震は余震が非常に多かった。

1月1日から1か月間で、1500回以上の地震が発生しました。まさに群発地震の状態です。

今回の地震で象徴的な被害のひとつが、輪島塗の老舗「五島屋」の7階建てビルの倒壊です。私は現地に行き、倒壊した跡を確認しました。現在は2階部分までが残っており、3階以上は撤去されています。

通常、7階建ての建物は深く杭を打っているため、簡単に足元から崩れることはありません。しかし、今回の地震では、液状化現象の影響が大きく、建物の耐震性だけでは防げない状況だったのです。液状化によって地盤が緩み、建物の足元が崩れるように倒壊してしまいました。

また、今回の地震では、火災も多発しました。特に輪島の朝市があった場所は、ほとんど焼けてしまい、跡形もなくなっています。
人口1万人あたりの火災発生率は、東日本大震災の5倍にも及びました。地震による直接の揺れだけでなく、火災のリスクの大きさを改めて痛感させられました。

津波についても触れておきます。今回の地震では、珠洲市で最大4.3メートルの津波が観測されました。東日本大震災ほどの規模ではありませんでしたが、それでも津波の被害は発生しました。たとえ津波が低くても、人は簡単に流されてしまいます。決して軽視できるものではありません。

さらに、もう一つの大きな特徴が「隆起」です。能登半島では、地震によって最大4メートルもの隆起が発生しました。

当初、海からの物資搬入が復興支援の手段として考えられていました。しかし、海沿いの地盤が4メートルも隆起してしまったため、船が近づけないという問題が発生しました。専門家によると、4メートルの隆起は数千年に1度の規模であり、極めて珍しい現象だと言われています。

そして、土砂災害も各地で発生し、地震によって多くの斜面が崩落しました。

今回の土砂災害の発生箇所は、東日本大震災に次ぐ規模となる2000カ所以上に及びました。その結果、道路が次々と閉鎖され、能登半島へのアクセスが極めて困難になりました。

もともと能登半島は海に囲まれ、山も多いため、行けるルートが非常に限られています。実際に現地へ向かった際も、どの道路が通行可能なのか分からず、進んでみると「このルートは通れない」「ジープなら何とか通行できる」といった状況が続きました。結果として、能登は孤立することになり、これが今回の地震の大きな特徴の一つとなりました。

液状化現象の問題

次に、今回の震災で深刻な被害をもたらした「液状化現象」についてお話しします。

液状化とは、地盤が地震の揺れによって緩み、砂の層が水分を含んで泥のようになり、建物や道路が沈下・傾斜する現象です。これは、今回の震災の中でメディアがあまり伝えていない問題の一つです。

液状化は、発生する場所が「まだら模様」になるのが特徴です。よく「ミルフィーユ状態」と表現されるのですが、道を一本挟んで「あちら側は被害なし、こちら側は液状化で沈下している」といったように、被害がバラバラに分布します。

仮に全域で液状化が発生していれば、一度すべて解体し、平地に戻したうえで都市計画をやり直し、再開発を進めることができます。しかし、まだら状に発生しているため、被害を受けた土地の整備が難しく、震災から1年経っても再開発が進まない大きな要因になっています。

液状化が発生すると、地面が沈んだり隆起したりし、土地がデコボコになります。すると、家が傾いたり倒れたりする被害が発生します。これは建物だけの問題ではなく、道路の地下に埋設されたライフライン(上下水道・ガス管・通信ケーブルなど)も影響を受け、大きく損傷してしまうのです。

ライフライン復旧の課題

地震発生後、復興に向けてまず復旧が急がれるのは、電気・水道・ガスといったライフラインです。

電気は比較的復旧が早く、送電線を通せば供給が可能になります。ガスについても、この地域では主にプロパンガスが使用されているため、ボンベを届ければ比較的早く利用できます。しかし、水道は非常に厄介な問題を抱えています。

特に深刻なのは「下水道」の問題です。都市部では下水道管が整備されていますが、地方では下水処理が「浄化槽」に依存しているケースが多くなります。浄化槽は、建物の3分の1から4分の1程度の大きさがある設備で、地震の影響で破損すると下水処理機能を失い、衛生環境が悪化します。

液状化の影響で下水道設備が破損し、さらに水道の供給も不安定なため、復興が難航しているのが現状です。

住宅被害と復興の遅れ

今回の能登半島地震では、人的被害として508名の方が亡くなられました。住宅被害も深刻で、全壊が約6,000棟、半壊が約18,000棟、一部損壊が約83,000棟に上ります。

特に問題なのは、「一部損壊」の住宅の中にも、実際には住めない状態のものが多数含まれていることです。また、一部損壊の家が地域ごとにまだらに残っているため、復興が非常に困難になっています。

通常、被災地では「公費解体」という制度があり、小規模な家屋であれば行政が解体費を負担します。しかし、一定の基準を満たさないと公費解体の対象にならず、被災した家がそのまま放置されるケースも多く見られます。その結果、地域ごとにバラバラな状況となり、再開発計画が立てにくくなっているのです。

また、住民の間で再開発の合意を取ることも難しく、復興が遅れる一因となっています。

追い打ちをかけた大雨災害

さらに、今回の能登地震の復興に大きな影響を与えたのが、2024年9月20日からの「大雨」です。

震災から約半年間、被災地の住民たちは懸命に復興に向けた努力を続けてきました。しかし、9月の大雨がその努力に追い打ちをかけました。

「ようやく復興の目処が立ち始めた」と思っていた矢先、大雨による土砂崩れや浸水被害が発生し、多くの住民が「もうここには住めない」と感じるようになりました。

震災直後であれば、地震とセットで復興計画を進めることができたかもしれません。しかし、半年が経過し、「復興の光が見え始めた」ところに大雨が直撃したことで、住民の心が折れてしまったのです。

この大雨では、奥能登地域で115カ所が孤立し、さらに16名の方が亡くなりました。住宅の全壊・半壊も大幅に増加し、復興の道のりがさらに遠のいてしまいました。

このように、能登半島の復興は非常に困難な状況にあります。実際の現地写真を交えながら、さらに詳しい被害状況や今後の課題についてお伝えしていきたいと思います。

さて、今回の視察では、4カ所を回ってきました。2月17日から18日にかけての2日間、雪が降る中ではありましたが、じっくりと現地を巡りました。

最初に金沢から入り、北へ進んだ先にある内灘町を訪れました。内灘町は金沢市内から比較的近く、奥能登に入る手前の地域ですが、今回の地震では液状化現象が顕著に発生したエリアの一つでした。まさに「ミルフィーユ状態」と言われるような、まだらに液状化が発生していた典型的な地域でした。具体的に何が起こったのかは、後ほど詳しく説明します。

次に、輪島市へ向かい、海岸線や朝市の被災状況を視察しました。その後、七尾市の和倉温泉を訪れました。和倉温泉は、能登半島の観光経済を支える重要な地域であり、特に有名な加賀屋もあります。しかし、今回の地震によって、温泉街は事実上壊滅状態となり、加賀屋も建て直しが必要な状況となっています。

私自身、子供の頃に加賀屋に宿泊したことがあり、その豪華絢爛な建物が使えなくなってしまったことに、非常に感慨深いものを感じました。現地では加賀屋の外観を確認してきましたので、どのような状況になっているのかもお伝えしたいと思います。

視察を終えた後、金沢に戻り、今回は被災地の現状を見るだけでなく、「デジタル庁」が主催する実証実験にも参加しました。

これは、輪島市で震災が発生した際にデジタル技術を活用した支援を試みたものですが、実際には「できたこと」と「できなかったこと」がありました。デジタル技術を使って避難者の支援を行う試みでしたが、うまく機能した部分もあれば、課題が残った部分もあったというのが現実です。

マスコミでは「デジタルの活用が進んだ」という良い面が伝えられていますが、私は元デジタル大臣政務官として、実際に機能しなかった部分についても厳しく指摘し、今後の大地震に向けた教訓としていかなければならないと考えています。

内灘町の被害状況

内灘町は金沢市の北部、数キロの距離にあるベッドタウンで、閑静な住宅街が広がる地域です。しかし、今回の地震では液状化による甚大な被害を受けました。

視察時、幹線沿いにある住宅を見たところ、車が地面に沈み込んでいたり、土地が隆起してしまっているところがありました。写真では、地面が斜めになっているように見えますが、実際には道路の水平線は保たれており、地盤そのものが傾いていることが分かります。

また、一部の家の玄関には赤い紙が貼られていました。これは「危険」を示すもので、外観上は半壊以下に見えても、建物内部の柱などが損傷し、実際には住めない状態になっていることを意味します。このような事実上の倒壊状態の住宅が、まだらに点在しているのが、内灘町の特徴的な被害状況でした。

例えば、ある家は大きな損傷を受けているのに、隣の家はほとんど被害がないというケースも多く見られました。これは、地盤改良を行っていたかどうかが大きな要因になっており、改良されていない土地では液状化の被害が深刻化したという現実がありました。

視察時、道路はすでにかなり補修されていましたが、震災直後は地面が大きく波打ち、デコボコになっていたそうです。

液状化の影響で地面が動くのですが、その際に道路は硬いために地面の動きを止めてしまい、その周囲に圧力が集中します。その結果、道路の周辺の土地が隆起したり、沈下したりしてしまう、道路が力を逃がさないために、周囲の地盤が不均等に変形してしまうのです。

また、道路の下にはライフライン(上下水道・ガス管など)が埋まっているため、液状化によってそれらのインフラも大きな影響を受けることになります。

液状化現象とは

もともと地中は水と土が混ざった状態で存在しています。しかし、地震が発生し、地盤が揺さぶられると水と土が分離し、土が沈んで水が上へと浮き上がる形になります。その結果、地面の表面がドロドロになり、ぬかるんだ状態になるのです。これが「液状化現象」です。

この液状化が発生すると、その上にあった住宅やライフライン(電柱・水道管など)、マンホールなどの構造物が浮き上がることがあります。これは浮力の影響によるもので、特にマンホールなどの大きな地下構造物は地盤の変動によって地表に押し出されることがあります。

最近の新築住宅や、地盤がしっかり整備されている建物では液状化対策のための地盤改良が行われています。例えば、

  • 地盤の水分を抜き、乾燥させる

  • 砂利や砕石を地中に埋め込み、液状化しにくい構造にする

といった方法が採用されています。

しかし、完全に液状化を防ぐことは難しく、対策がされていない地域では、液状化がまだらに発生することが大きな課題となっています。このように被害が一部の地域だけに集中することが、復興を困難にしている要因の一つなのです。

液状化による被害は、地震直後だけではなく、長期的に生活環境へ影響を与えることが問題です。

例えば、

  • 地面の隆起や沈下によって住宅が傾き、住めなくなる

  • 道路やライフライン(上下水道・ガス・通信設備など)が損傷し、復旧に時間がかかる

  • 液状化した土地の水分が抜けきるまでに長期間を要するため、地盤が安定せず、再建が難しい

などの問題が発生します。

実際、液状化による影響で、1年経っても住宅が修復できないケースが多いという現実があります。液状化現象は、これまでも多くの地震で問題視されてきました。

1964年の新潟地震では、液状化による被害が特に大きく、この地震が「液状化元年」とも言われています。当時、液状化によって建物が倒壊し、地盤の変形が広範囲に及んだことから、その後の地震防災対策の中で液状化が重要な課題として認識されるようになりました。

また、阪神・淡路大震災(1995年)でも液状化現象が発生し、一部の地域では地下から水が染み出して洪水のような状態になったという報告もあります。これは、単なる水害ではなく、地盤の液状化によって土中の水が表面に押し上げられた結果です。

東日本大震災(2011年)でも液状化が大きな問題となり、多くの地域で地面の沈下・隆起が発生し、住宅やインフラに甚大な影響を与えました。今回の能登半島地震でも、同じようにマンホールが浮き上がる現象が確認されています。

液状化によって沈んだ土地と浮き上がった土地の差が大きくなるため、復旧には大変な労力が必要となります。その結果、住宅の傾きや道路の損傷が長期化し、復興が難航することになります。

新潟地震以降、液状化については多くの研究がなされ、対策技術も発展してきました。しかし、地盤改良を行うには費用や時間がかかるため、実際に広範囲で対策を施すことは難しいという現実があります。

輪島市の被害状況

輪島といえば朝市ですね。私もこの朝市のイメージをよく覚えています。中学生の頃に訪れたことがありますが、当時はまだ子供だったので、市場そのものにはあまり興味がなく、「賑やかなマーケット」といった印象でした。

しかし、輪島の朝市は日本国内だけでなく、世界的にも有名で、なんと1000年以上の歴史を持つ伝統的な市場です。そんな歴史ある朝市が、今回の地震によって大規模な火災に見舞われました。

火災が発生したのは2024年1月1日でした。この火災によって朝市周辺の地域がほぼ全焼し、その後も、3月・8月・10月と片付け作業が進められていきました。

私が現地を訪れた際には、すでに焼け跡の片付けが進んでおり、土地がきれいに整地されている状態でした。輪島市のホームページには、かつての朝市が賑わっていた頃の写真が残っていたので、それと比較すると焼失前の風景が一変してしまったことがよく分かります。

「ここから復興が始まる」と誰もが思ったことでしょう。しかし、実際には復興が一向に進んでいません。

ここがメディアがあまり伝えない問題点です。

私も現地で復興計画に関わる方々と話し合いをしましたが、そこで驚くべき事実を知りました。それは、「復興計画を立てる前に片付けてしまうと、二度と復興しない可能性が高い」ということです。

なぜかというと、日本人は片付けを優先しがちだからです。確かに、焼け跡がそのままになっていると見た目が悪く、復興の妨げになると思うかもしれません。しかし、すべてをきれいに片付けてしまうことで、新たな問題が生まれてしまうのです。

火災で焼失した建物がすべて撤去され、整地されたことで「土地だけが残った状態」になりました。その結果、誰も住まない、誰も戻らない場所になってしまったのです。

被災者は、火災直後に一時的に別の場所へ避難します。しかし、復興計画がないまま片付けが終わると、元の場所に戻るきっかけを失い、結局そのまま別の場所で生活を続けることになります。

復興計画は「片付ける前」に立てるべき

災害直後は、片付け作業のために多くの人が現場に出入りします。その時に土地の所有者や関係者が集まりやすく、話し合いが進みやすいのです。しかし、片付けが終わり、人の往来がなくなると、地権者が集まる機会がなくなり、復興計画を話し合うことすら難しくなるのです。

つまり、「片付ける前に、次の計画を立てておかないと、復興は進まない」ということです。私もこの話を聞いた時、非常に驚きました。しかし、考えてみると「なるほど」と納得せざるを得ません。

復興が進まない理由の一つに「新たな生活がすでに別の場所で始まっている」という問題があります。

避難した人々の多くは、新しい生活を別の場所で築き始めています。そのため、「自分だけ戻って商売を始めよう」と思っても、周囲に人がいなければ商売は成り立たないのです。

実際に、焼け跡が片付けられた現在の輪島朝市の様子を見てみると、ぽつんと1軒だけ店を開いたところで、お客さんもいなければ商売にならないという現実がよく分かります。

しかし、こうした現実はメディアではほとんど報じられていませんが、「焼け跡をきれいにしたら復興が進む」という単純な話ではないのです。

復興を進めるためには、片付けの前にしっかりとした計画を立て、地権者が集まれる環境を整えることが重要です。

現場を訪れましたが、その倒壊の仕方が非常に衝撃的でした。この建物は基礎が深く掘られていたにもかかわらず、突然「ポコン」と折れてしまったのです。これには地質学者や建築構造の専門家たちも驚愕し、科学的なサンプルとして注目を集めています。

通常、7階建ての鉄筋コンクリートのビルは、深く杭を打っているため地震で簡単に倒壊することは考えにくいのですが、今回のケースでは液状化現象の影響で根元から崩壊してしまいました。

この現象は、これまでの建築構造の常識を覆す出来事であり、今後、全国の建物を総点検する必要があるのではないかという議論にもつながっています。

実際、このビルは片付けずに現地に残されており、研究者たちが視察に訪れる状況が続いています。液状化のメカニズムにはまだ解明されていない部分も多く、この倒壊は貴重な研究材料となっているのです。

今立っている建物にも液状化の影響がどのように及ぶのかを考えると、これは極めて重要な教訓となるでしょう。

次に、輪島港の海岸線を訪れました。こちらは地殻変動が進行中で、徐々に隆起が続いているのです。

通常、震災後のビフォーアフターを比較すると、右が「震災直後」、左が「現在」ですが、今回は逆です。つまり、今もなお地面が隆起し、道路が曲がり続けているのです。

これは、地殻変動が一度の地震で終わるものではなく、時間をかけて変化し続けていることを示しています。

輪島港の復興がなかなか進まない理由の一つも、この地盤の不安定さにあるということが分かります。しかし、このような地殻変動の現状について、メディアはほとんど報じていません。

輪島の復興にさらに追い打ちをかけたのが、2024年9月の豪雨です。

1月1日の地震から半年以上が経ち、ようやく復興に向けて努力を続けていた矢先、大雨によって山崩れが発生し、家屋が次々と倒壊しました。

実際に豪雨の被害現場を訪れましたが、そこはもともと住宅が密集していた地域でした。しかし、今は跡形もなく土砂に埋もれ、まるで畑のような状態になっていました。

ガードレールもぐにゃぐにゃに曲がり、放置されたままになっています。これは、田んぼや畑が崩れたのではなく、住宅地が丸ごと流されてしまったという現実を物語っています。

「世界一おいしい肉まん」——災害時の食事の大切さ

ここで、あるエピソードをご紹介します。

「世界で一番美味しい肉まん、これは山田さんの主観ですか?」
そうではありません。実際に多くの人がそう感じたという話です。

正直に言うと、食べたのは普通のファミリーマートの肉まんです。しかし、被災地では「これが世界一おいしい」と言われていました。

なぜかというと、温かいものを自分で選んで買えたからです。

被災地では、毎日毎日おにぎり、弁当、サンドイッチといった食料が大量に支給されます。しかし、こうした支給品はどれも決まったものばかりで、選ぶ自由がないのです。

そんな中、輪島のファミリーマートは震災から1ヶ月後の2月には再開しました。

ここで温かい食べ物を自分の意思で選び、買って食べられるということが、被災者にとって大きな喜びだったのです。

震災直後、全国から食料などの支援物資が次々と送られてきました。しかし、物流の管理が適切に行われていなかったため、過剰な物資が一部の倉庫に集中し、最終的に倉庫の床が抜けるという事態が発生しました。

これが1件や2件ではなかったというのです。

被災地に届いた大量の食料の行き場がなく、結果的に腐敗してしまうという問題も起こりました。

そのため、最終的には
「支援物資を持ち帰ってほしい」
という声が上がるほどの状況になってしまいました。

今回の震災を通じて、さまざまな関係者と意見交換を行いました。
技術者、IT関係者、現場の作業員、県や市の職員など、多くの方々と話す機会がありました。私は正式な視察として現地を訪れましたが、その中で「プッシュ型支援」の問題について、多くの意見を聞きました。

震災直後は、プッシュ型支援(必要とされる物資を一方的に供給する支援)が効果的だと言われています。確かに、発災直後の混乱期においては、物資が不足しているため、すぐに供給されることが重要です。

しかし物資が大量に届き続けることで、今度は地域の商業が圧迫されるという問題が発生します。例えば、店舗が営業を再開しようとしても、無料で配られる物資がある限り、消費者が店で物を買わなくなるのです。

その結果、地域のスーパーや商店が経営難に陥り、最終的に閉店してしまうというケースが多発します。

では、どうすればよかったのか?
現地で聞いた意見の中に、次のような提案がありました。

  • 震災直後はコンビニやスーパーを拠点とし、支援物資を提供する

    • 例)ファミリーマートやローソンなどが営業を再開している場合、そこを物資配布の拠点とする。

  • 提供された物資の費用は国や自治体が負担する

  • 3ヶ月~半年の期間を目安に、段階的に通常の商業活動へ移行する

この方法であれば、支援物資の供給を段階的に減らしながら、地域経済を再建することが可能になります。

選択の自由がないまま、一方的に物資が供給され続けることは、結果的に「有り余るものはあり余り、足りないものは足りない」という非効率な状況を生み出すのです。

震災発生から最初の72時間は、「いかにして生き残るか」が最も重要な期間です。しかし、その後のフェーズでは「いかにして生活を再建するか」が問われます。

この「再建のプロセス」が適切に進まなければ、地域は復興できません。支援物資が長期間過剰に届き続けることは、実は復興の障害になる可能性があるのです。

特に、流通(ロジスティックス)の回復が遅れると、地域の経済が立ち行かなくなるため、支援のあり方は慎重にデザインする必要があります。

支援が長期化することで、すべての店が閉店し、経済が停止するという現実が、実際に起こっているのです。

例えば、輪島市には「もとやスーパー」という地域の中心的なスーパーがあります。このスーパーは、震災後も地域の人々の生活を支え続けており、現在も営業を継続しています。

しかし、もしこのスーパーが崩壊してしまったら、この街の経済は完全に停止するでしょう。

実際に、隣町ではスーパーも商店もすべて撤退してしまい、地域経済が崩壊してしまいました。こうなると、住民は支援物資に依存するしかなくなり、結果的にその地域には誰も住まなくなってしまうのです。

この「もとやスーパー」も、9月の豪雨で約2メートルの浸水被害を受けました。しかし、それでもなんとか営業を再開し、地域の人々の拠り所となっているのです。

ここでは、ただ物を買うだけではなく、住民同士が集まり、情報を交換する「コミュニティの場」にもなっています。

実際に家を失った人の中には、このスーパーを一部の避難所として生活を続けている人たちもいるとのことでした。商売があることで、経済が回り、街が機能するのです。これが復興の本質なのだと思います。

実際、震災を経験した人の多くが元の場所には戻らず、引っ越してしまうという現実があります。「生き残ったなら、引っ越せばいい」という意見もありますが、実際には一度離れた住民が再び戻ることはほとんどないのです。

これは個人の判断に委ねられるものですが、もし地域を復興させようと思うなら、商業の再建が絶対に不可欠です。誰も悪気があるわけではありません。しかし、震災直後から「復興の道筋」を慎重にデザインしなければ、地域の再生は不可能なのです。

七尾市の被害状況

七尾市には、震災の際にも医療を止めなかった「奇跡の病院」として知られる恵寿総合病院があります。この病院については、ニュースなどで報道されたため、ご存じの方も多いかもしれません。

恵寿総合病院は、地域の中核病院であり、七尾市は能登半島の玄関口にあたる重要な地域です。特に和倉温泉が近く、中能登エリアの医療を支える拠点となっています。

この病院が震災の影響を受けながらも早期に医療を再開できた理由について、現地で詳しく話を伺いました。

震災後も医療を継続できた理由

私自身、恵寿総合病院を訪れ、理事長の神野先生とお話しする機会がありました。約1時間半にわたり、病院がどのようにして震災に耐え、医療を継続できたのかについて、非常にディープな話を伺いました。

この病院が生き残った理由には、大きく4つの要因がありました。

①免震構造の導入

この病院には「耐震棟」と「免震棟」の2つの建物がありました。

簡単に言うと、

  • 耐震棟は、揺れに耐えられるように設計されているものの、内部の設備は被害を受ける可能性がある。

  • 免震棟は、揺れそのものを抑える構造になっており、内部設備の被害も最小限に抑えられる。

実際、耐震棟は建物こそ倒壊しませんでしたが、内部のものはすべて使用不能になりました。一方で、免震棟に設置されていた設備は無傷だったため、震災発生から1~2日後には病院の機能が再開できたのです。

これは、神野先生が「必ず大地震が来る」と予測し、重要な設備を免震棟に集中させる設計にしていたためでした。

②独自の水源確保

震災後、この地域では半年以上にわたり水道が復旧しませんでした。

しかし、恵寿総合病院では井戸水を利用できるように、事前に独自の水源を確保していました。そのため、水道が停止しても病院の機能を維持できたのです。

この対策についても、まるで震災を予知していたかのような準備であり、結果的に地域で唯一、生き残った病院となりました。

③ペットの受け入れ体制

神野先生が想定外だったと語ったのが、ペットの避難問題です。

多くの被災者がペットを連れて避難してきました。しかし、ほとんどの避難所ではペットの受け入れができず、飼い主たちが行き場を失うという問題が発生しました。

「ペットを受け入れてくれないなら、自分もここを離れるしかない」と訴える避難者が多く、病院としても対応せざるを得ない状況に。
そこで、病院の裏手に仮設のドッグランを設置し、ペットを保護できるようにしました。

これは、ペットを連れて避難する人が増えている現代において、今後の避難所運営の課題の一つとなるでしょう。

④DX(デジタル化)による情報管理

恵寿総合病院では、病院のDX(デジタルトランスフォーメーション)が進んでいたことも、震災後の医療継続に大きく寄与しました。

病院の免震棟にはサーバーが設置されており、電子カルテのデータが全て無事でした。そのため、

  • どの患者がどのような持病を持っているのか

  • どんな治療が必要か

  • 介護や障害者医療の情報

といった重要なデータが、震災後もすぐに確認できる状態でした。

もし紙のカルテで管理していたら、データが消失し、大混乱が生じていたでしょう。このDX化のおかげで、病院の機能が迅速に再開できたのです。

かつて、免震構造の導入に関する補助金が民主党政権の「事業仕分け」によってカットされましたが、それ以前に国の補助金を確保することに成功していたため、免震化を進めることができました。

国の補助は約半分でしたが、石川県が補助を出せないという状況だったため、残りの費用は病院が自ら負担して対応しました。その結果、いち早く免震構造を導入し、今回の震災でも多くの命を救うことができたのです。

恵寿総合病院の免震構造は、柱と基礎の間に強化ゴムを設置し、揺れを逃がす仕組みになっています。

また、病院には地震の揺れを記録する金属板が設置されており、実際にどれだけの揺れが発生したかが記録されています。

この記録を見ると、震災時に建物が縦横それぞれ約15〜16センチ、合計約30センチも揺れ動いていたことが分かります。このようにグワングワンと激しく揺れる状況だったのです。

もし免震装置がなかったら、建物は倒壊していたかもしれません。

実際、耐震棟(耐震構造のみの建物)は建物自体こそ倒れなかったものの、内部の設備が大きなダメージを受けました。精密機器はほぼ全滅し、使用不能となってしまいました。

一方、免震棟にあった設備はほぼ無傷で、すぐに使用可能な状態でした。これが、震災後すぐに病院が医療を再開できた大きな要因となりました。

震災直後、救急車が来られない状況だったため、患者は自家用車で病院に駆けつけるしかありませんでした。特に、出産を控えた妊婦さんにとって、病院の存在はまさに命綱でした。

お産には医療設備と新鮮な水が必要です。しかし、多くの病院では水道が止まっており、対応が難しい状況でした。そんな中、恵寿総合病院は独自の井戸水を確保していたため、震災発生後すぐに安全な環境でお産を行うことができた数少ない病院となりました。

実際、1月1日や2日に生まれた赤ちゃんもいたそうです。こうした病院の対応力が、多くの命を救うことにつながったのです。

恵寿総合病院では、地震対策本部を病院の中央廊下に設置しました。

この場所は病院の中心部にあり、多くの人が行き交うエリアで、理事長もここに常駐し、指揮を執っていました。「今、病院の状況はどうなっている?」とスタッフが情報を持ち寄り、ここで迅速に対応が行われたのです。

また、病院ではクラウドファンディングを実施し、1億円の資金を集めて立て直しを図るなど、地元の人々と共に復興を進めました。

ここからはあまり表のメディアでは語られない話ですが、人口規模がどれくらいになると病院が維持できなくなるのかという問題があります。

一般的に、

  • 大規模な救命救急センター(恵寿総合病院のような病院)が成立するためには、最低でも人口20万人以上が必要と言われています。

  • 救急告示病院(大規模ではないが、救急患者を受け入れる病院)の維持には、約2万人の人口が必要とされています。

しかし、現在の能登半島では人口の急激な減少が進んでいます。震災前、石川県の人口は約100万人でした。そのうち約半分が金沢市に集中し、能登地方には約27万人(県全体の25%程度)が住んでいました。

しかし、震災後の人口減少は想像以上に深刻です。

県の公式統計では、

  • 輪島市:人口9%減

  • 珠洲市:人口9%減

とされています。

しかし、実際には携帯電話の位置情報データを基にした調査(NTTの分析)によると、

  • 輪島市:人口30%減

  • 珠洲市:人口37%減

というデータが示されています。

さらに、この数値には工事関係者や支援団体のスタッフも含まれているため、実際の地元住民はさらに少ない可能性が高いという指摘もあります。

一部の推測では、本当の人口は震災前の半分以下になっているのではないかという意見もあります。このような状況の中で、復興計画を立てる際に「人口規模の現実」を考慮しなければならないという課題が出てきます。

震災によって多くの病院が倒壊し、現在、能登半島では恵寿総合病院くらいしか機能していないという状況です。そのため、県として「新たに県立病院を建設しよう」という動きもあります。

しかし、もし病院を新設したとしても、

  • そもそも人口が減少しすぎており、病院の運営が立ち行かなくなる可能性が高い

  • 経営が成り立たなくなれば、結局は県の財政負担(=県民の借金)になる

といった問題が懸念されています。

確かに、震災前には20万人以上の人口がいた地域なので、県立病院を作るという話が出るのは当然の流れです。しかし、現実的に考えると、今の人口でそれが維持できるのかどうかは非常に厳しいというのが現場の意見です。

和倉温泉の現状と復興計画

和倉温泉は、36年連続で「総合日本一」に選ばれた名湯ですが、今回の震災による地盤の隆起の影響で建物が耐えられない状況になっています。そのため、温泉街全体を解体し、再建する計画となっています。

計画では2026年の冬(2年後)に再開予定となっていますが、本当に実現できるのかという懸念もあります。

特に、和倉温泉のシンボルともいえる加賀屋のみで復興を支えるのは難しく、温泉街全体としてどう立ち直るのかが鍵となります。現地を回ると、いくつかの旅館は営業を続けていますが、大半は閉業状態です。

鉄道こそ和倉温泉駅まで通じていますが、現在の状況では観光客が安心して訪れるのは厳しいというのが正直なところです。和倉温泉の象徴である加賀屋が復活しなければ、温泉街全体の復興も厳しくなるでしょう。

ここで、表のメディアではあまり語られない地域住民と観光業復興のギャップについて触れたいと思います。

和倉温泉の復興は、全国的に見れば「能登の再生の象徴」として期待されています。しかし、地元の住民たちにとっては、それが第一優先ではないという現実があります。

「温泉の復興よりも、もっと生活に密着したインフラ整備を優先してほしい」というのが、多くの地元住民の本音なのです。

県外の人から見れば「能登の象徴だから復活すべき」という認識ですが、地元住民の中には「観光よりもまず生活再建を優先すべき」という声もあるのです。

この「復興に対する価値観のズレ」が、復興計画の難しさにつながっています。

ここで、さらに踏み込んだ話をすると、石川県全体として能登の復興にどれほど本気なのか、疑問を感じる部分もあるというのが私の正直な印象です。

なぜなら、能登半島は石川県の中心部(金沢)から地理的に遠く、県庁所在地との一体感が薄いからです。

例えば、富山県の高岡市から能登半島に行く方が、金沢から行くよりも距離的に近いという現実があります。

また、金沢市では震災の影響がほとんど感じられず、街は通常通りの生活を送っています。そのため、県全体で復興に向けた一体感を持つのが難しいのです。

これは、東京都で例えると、奥多摩で震災が起こった場合に、東京都全体が一丸となって復興に取り組むかどうかという話に似ています。

「都内の中心部に影響がなければ、奥多摩の復興が優先課題にならない」という感覚が、石川県と能登半島の関係にも当てはまるのです。

この「地理的な距離と感覚の違い」が、復興をさらに難しくしている要因の一つと言えるでしょう。

今回、国政の立場から現地を視察し、復興の現状を見てきました。しかし、復興の鍵を握るのは、何よりも地元の人々の強い意思と地域への愛情です。

「国が何とかしなければならない」との声も多くありますが、県や地元が主体的に動かなければ、思い切った判断ができず、復興は進まないという現実があります。これは、表のメディアではなかなか伝わらない事実かもしれません。

現場の声として、国が現状をよく理解しないまま支援を進めると、逆に復興の妨げになることもあるという指摘がありました。

周囲には営業を続けている店舗もあるにもかかわらず、国の支援でプレハブの「復興売店」が設置されました。

しかし、まるで掘っ立て小屋のような作りで、東日本大震災の時と同じ「プレハブ型の店舗」で見た目が貧相、しかもホットケーキ。これでは誰も来ません。

地元の人々は「現場の若い世代に任せるべきだった」と口を揃えていました。

悪気はなかった。「国が『こういう支援策があります』と提案し、地元が『それならやってください』と受け入れた結果、使い勝手の悪い店舗ができてしまった」——このような指摘もありました。

復興には、地域の実情を理解し、地元の人々が主体的に関わることが不可欠です。

デジタル庁による避難者支援の実証実験(@金沢市)

この実験は、デジタル庁が主導し、震災時の避難者管理の効率化を目的として行われました。今回の能登半島地震の教訓を活かし、最新のデジタル技術を用いて、どのように避難支援を行えるかを検証しました。

実験は石川県産業展示館で行われ、多くの県職員や関係省庁の職員が参加しました。

実験内容①:デジタル管理による避難所運営

避難所の受付を効率化するため、「マイナンバーカードを使った入所手続き」のシステムが導入されました。カードリーダーにマイナンバーカードをかざすことで、避難者の情報を即座に登録できる仕組みです。

また、スターリンク(衛星インターネット)を活用した通信環境の確保も試みられました。通信が途絶えた地域にスターリンクを持ち込み、実際にネットワークを構築するという実験でした。

実験内容②:システムを使った場合と使わない場合の比較

実験は午前と午後に分けて行われ、

  • 午前:システムなしの運営

  • 午後:システムを全面活用した運営

という形で比較が行われました。

結果として、システムを使った場合、受付や物資の管理など、あらゆる業務の時間が「10分の1」に短縮されることが分かりました。

しかし、実際の震災現場では、いくつかの課題も浮き彫りになりました。

震災現場での課題①:広域避難の影響

今回の震災では、被災者が広範囲に避難したため、正確な避難者数を把握するのが困難でした。

例えば、

  • 避難者が頻繁に出入りするため、リアルタイムの管理が難しい

  • どこに何人の避難者がいるのか、正確なデータを取得できない

といった問題が発生しました。

震災現場での課題②:マイナンバーカードの普及率の低さ

実際の避難所では、マイナンバーカードを持っていない人も多く、システムを導入しても全員をカバーできないという問題がありました。

そこで、最終的にJR東日本が提供した「Suicaカード」を利用することに。

Suicaを使うことで、

  • 入退室の記録

  • お風呂の利用履歴

  • 食品の配給状況

などを管理できるようになり、避難所運営の効率化に大きく貢献しました。

震災現場での課題③:電力・通信インフラの確保

奥能登の被災地では、長期間にわたり通信が途絶えていたため、情報共有が困難でした。

また、全国から集まった応援職員が避難所の運営をサポートしましたが、

  • 自治体ごとに対応の仕方が異なり、混乱が発生

  • 情報共有が不十分で、スムーズな連携が取れない

といった課題も明らかになりました。

防災DXの取り組みと震災対応の課題

私は現在、デジタル社会推進本部の防災DX(デジタル変革)担当責任者を務めており、党内では防災のデジタル化の責任者として座長を務めています。その立場から、今回の震災対応について振り返り、今後の課題について考えていきたいと思います。

今回の震災を通じて得られた重要な教訓は、大きく分けて以下の点です。

震災時に最も問題となったのは、データを活用するスキルを持った人材が現場にいないことでした。

被災地では、

  • 新たにデータを作成する余裕がない

  • 事前にデータを整備していないと、現場で対応できない

  • 自治体ごとにデータのフォーマットがバラバラで、統一された基準がない

といった問題が発生しました。

さらに、データの緊急利用が困難であることも課題でした。

例えば、

  • 個人情報の保護に関する制約

  • 使用するソフトウェアの著作権問題

  • データの標準項目がないため、統合して利用できない

といった問題がありました。

また、データを分析し、必要な支援を判断する人材が不足していたため、物資が適切に分配されず、結果としてプッシュ型で大量に送り続ける状況になってしまいました。

もう一つの大きな問題は、避難所の管理と把握の困難さでした。

  • 避難所の位置が不明確

    • 震災時、体育館や公民館などの指定避難所以外に、ビニールハウスなどが急遽避難所として使用されることもあった。

    • これにより、避難所の住所が正式に登録されておらず、情報共有が困難に。

  • 避難所の名称が統一されていない

    • 同じ避難所を異なる名称で登録してしまい、自衛隊や県の職員が把握できず、二重登録が発生するケースも。

  • 避難者の把握ができない

    • 誰がどの避難所にいるのか、リアルタイムでの管理ができない。

このように、避難所管理のデータが整理されておらず、統一基準もなかったため、支援が行き届かない状況が発生しました。

震災後、被災者が住宅の被害状況を証明するために必要な罹災証明書の発行システムも、十分に機能していませんでした。

これを踏まえ、被災者支援のデータベースを整備する必要があるという結論に至りました。

私たちのチームでは、この教訓を基に「マイ・タイムライン」という概念を提案し、震災発生から72時間、避難所での生活、そして復興までの一連のプロセスを管理する仕組みを構築することにしました。

今回の震災対応では、県の職員だけでは対応しきれなかったという現実がありました。

そこで、全国の経験豊富な自治体や民間企業が協力し、「スワットチーム」を編成しました。

  • 神奈川県、千葉県、熊本県などの経験豊富な自治体の職員

  • デジタル庁の専門家

  • クロネコヤマト、ローソン、ファミリーマートなどの物流担当者

彼らが数十人規模で県庁に駆けつけ、タスクフォースを編成し、迅速な対応を進めました。

結果として、輪島市ではこの仕組みが成功し、支援が円滑に進んだことが大きな成果となりました。今後、こうした「スワットチーム」を常設化し、どの自治体でも迅速に動ける仕組みを作ることが必要だと感じています。

震災対応の課題を踏まえ、私たちは今後の防災DXに向けて、以下のポイントを重点的に検討しています。

  1. 統一データベースの構築

    • 避難者情報や避難所の管理を一元化し、迅速な支援を可能にする。

  2. 「スワットチーム」の常設化

    • 全国の自治体や民間企業と連携し、災害時に即座に支援できる体制を整える。

  3. 次なる巨大地震への備え

    • 南海トラフ地震(最大死者数32万人)

    • 首都直下型地震(最大死者数2.3万人)

    • 千島海溝地震(最大死者数20万人)

    • 富士山噴火による火山灰被害(通信・電力インフラの停止)

特に南海トラフ地震や首都直下型地震は30年以内に70%の確率で発生すると予測されています。

また、富士山が噴火した場合、火山灰が2センチ積もるだけで電線がショートし、車の走行が困難になるという試算もあります。

こうした「通常の地震とは異なるレベルの大災害」に対し、政府はまだ十分な対策を講じていません。

最後に:未来の防災に向けて

私は与党の責任者として、これらの課題に本気で取り組み、国として万全の準備を整えていくことを使命と考えています。

「南海トラフ地震」「首都直下型地震」——これらの災害で一人でも多くの命を守ることが最優先です。

震災発生から72時間の対応、避難者の管理、医療・物資の供給体制、そして復興プロセスをデジタル技術で最適化し、被害を最小限に抑える。この取り組みを、今から真剣に進めていかなければなりません。

今回の震災対応を踏まえ、法律の改正が必要であることが明らかになりました。

現在、災害対策基本法には「防災上必要な情報通信技術やその他の先端技術の活用に関する事項」が明記されています。しかし、災害救助法にはデジタル技術の活用についての規定が存在しないのが問題です。

災害対策基本法は災害発生前の準備を規定する法律ですが、災害救助法は実際の救助活動に関する法律です。そのため、デジタル技術を用いた支援を実施する際に、

  • 誰が責任を持つのか

  • 費用は誰が負担するのか

  • どのように運用するのか

といった法律上の不備が生じてしまいます。

日本の法律は大陸法(ドイツ法)を基にしており、法律に明記されていないことは原則として実施できません。したがって、災害救助法にデジタル技術の活用を明文化する必要があります。

しかし、今から法改正を行っていては間に合わないため、政省令による対応が必要です。そこで、災害救助法の施行令の「第3項」に「防災上必要な情報通信技術の活用」を加える改正案を閣議決定し、対応できるようにしました。

防災庁の創設とデジタル防災の未来

Q.防災庁が創設される予定ですが、デジタル化はどれくらい進むと考えていますか?

A.すでに私たちの提言に基づき、全国1741の自治体に対して、物資や情報のデジタル化が進められています。

特に課題となるのは、要配慮者(高齢者、障害者など)の避難情報の管理です。各市町村では、要配慮者リストを作成することが求められていますが、現在も紙の台帳で管理している自治体が多いのが現状です。

このデータをデジタル化し、どの地域にどのような要支援者がいるのかを即座に把握できるシステムを構築することが急務です。ただし、これには個人情報保護法や要配慮個人情報の取り扱いに関する法的課題も絡んでくるため、慎重な制度設計が求められます。

それでも、これは人命に関わる問題です。防災庁の創設をきっかけに、デジタル化を大きく進めるべきだと考えています。

首都直下型地震・南海トラフ地震に備えた司令塔の課題

今回の能登半島地震では、司令塔である金沢市が機能していたため、指揮系統が維持できました。しかし、もし首都直下型地震が発生した場合、東京が壊滅的な被害を受けたらどうなるのか?

また、南海トラフ地震では西日本全体が甚大な被害を受ける可能性があるため、

  • 司令塔となる自治体や省庁が被災した場合、どのように指揮を執るのか

  • バックアップ体制は整っているのか

といった問題が、ほとんど議論されていません。

これは「表のメディアではあまり語られない課題」ですが、非常に重要なポイントです。

  • 南海トラフ地震(最大死者数32万人)

  • 首都直下型地震(最大死者数2.3万人)

  • 千島海溝地震(最大死者数20万人)

  • 富士山噴火による火山灰被害(インフラの大規模停止)

これらの大規模災害が30年以内に70%の確率で発生すると予測されています。

災害時に必要な情報通信網、物資供給体制、避難者管理システム、救助の指揮系統などを整備するためには、圧倒的に予算が足りません。さらに、現在内閣府防災担当の職員はわずか110人。全国1741の自治体を支援するにはあまりにも少なすぎます。

「静かなる有事」とも言えるこの防災対策に、もっと積極的な予算と人員の投入が必要です。今回の能登半島地震を通じて、復興計画は「震災が起こる前にどれだけ準備できているか」にかかっていることが改めて明確になりました。

震災が発生してから復興計画を立てるのでは遅すぎます。

私は、与党の防災責任者として、これらの課題に対し本気で取り組む決意です。一人でも多くの命を救うために、震災対応のDX(デジタル変革)を進め、事前の備えを徹底することが最も重要だと考えています。

「南海トラフ地震」「首都直下型地震」——この二大災害に対し、今すぐにでも準備を進めなければなりません。日本の防災対策を抜本的に改革し、より安全な社会を築くために、引き続き尽力していきます。

本日は、最後までご覧いただきありがとうございました。