教育の「最上位目標」とは、なんなのか?
#教育の本質
こんにちは
葉山ロクボタセラピスト、井川ともみです🌈
葉山町は朝から暴風雨で春の嵐です。
どんどん雨が増えてきて
花が咲き木々が芽吹き
季節が進んでいきます。
日本の美しい春と共に
新年度を迎え新生活を迎える皆さんも
多いのではないでしょうか
よくも悪くも
変化が激しい春が苦手な方もいるかと思います。
そういう私もかつては春が本当に苦手で
母の命日が近づいてくると
情緒不安定になっていたのですが
無理をせずたくさん寝ることを心がけて
穏やかに過ごしています。
そして今日も教育のことを考えています。
私が葉山町の中学校の理不尽な服装規定と
ブラック校則の件をSNSに載せたら
何が不満なんだ?
子どもに我慢させろ
みたいな
アンチコメントがきました。
複数です。
わかってはいたのですが
ここまで何十年も校則が変化しない
学校の規則を守らせる体制が変わらないのは
学校側だけの問題ではなくて
ある一定数
というかかなりの多数の保護者の皆さんが
「中学生とはこういうもの」
とある種決めていること
と
「規律規則はやっぱり必要だ」
と
思っているのだということでしょう。
結局のところ
教育や学校の問題のようで
問題の本質はそこではなくて
大人の思い込みや価値観や刷り込みの問題であり
我々の意識改革がまず必要、
つまるところ
生き方、在り方の話なのだろう、と
思うにいたり
表題のことをいろいろと考えていました。
教育の最上位目標はなんなのか?
教育はそもそも学校教育だけではないので
家庭にベースがあり
住んでいる地域の中に
家庭と学校があり
三位一体だと、私的には思っています。
地域の中に学校がある意義は
子育てしている家庭だけではなく
学校を通して地域の人たちが集う、つながる場
(防犯、防災的にも)
だとも感じています。
で
子育ての目的を自律だと思っている私は
いろんなことを子どもたちに選択させて
自分で決める、ということを
できる範囲でしてきました。
どうしても私のエゴで思い通りにしたくなる
こうしたら早いから、と勝手に先回りしたい
のですが
長男長女が小さい時から
たくさん親子でバトルしたり
葛藤したり、泣いたり叫んだりしながら
やってきた結果
子どもを自分の思い通りにするなど、無理なのだ
と私は悟ったので
できるだけエゴを捨てるように自分に課し
努力し
子どもたちが自分で考えて選ぶことをさせてきたのです。
子どもは自分で選ぶと基本的にご機嫌です
朝ごはんに食べたいものも
靴下の色も
靴を履くのか長靴をはくのか
裸足なのか
細かいこともできる範囲で選択肢を用意し
自分で決められるように
セッティングしてきました。
(こういう仕組みづくりには努力が必要)
私の出した選択肢の中に
子どもたちが選択したいことがない場合も、
もちろんありました。
そういう時
ただ私が全部子どもたちの意見ややりたいを
鵜呑みにするのではなく
私の意見を押し付けるでもなく
押したり引いたりしながら😂
私と子どもたちの妥協点を見つけながら
やってきました
めんどくさいですよ、、笑
こちらが決めて怒って無理やりやらせた方が
簡単?なのかもしれないけれど
とにかく自己主張が強い女子2人は
そもそも私のいうことを聞かないから😂😂
無理やりやらせるとか不可能すぎて
私が根負けし、、
全く思い通りにならないことを前提に
できるだけ
お互いのいいところを見つけるやり取りを
してきたのです。
対話でちょうどいい所を見つけていく
結局のところ
まぁるい社会はそうやってしか作られないのだな、と最近特に思います。
教育の最上位目標について
またAIとやりとりをしていました。
こういう時しか使わないのだけど
本当にAIが役に立って
マウントとってくるわけでもなし
ただ同調するだけでもなし
検索ベースな答えと
独自の視点、次のアドバイスもくれて
(次のアドバイスは余計だな、と思う時もある笑)
フラットに対話できるパートナーになっています
で、AIが答えの中に見つけてきたnote記事
数年前の記事ですが
前回の記事に書いた工藤勇一先生の話が出ていて
私の考えと似た内容を教師の方が書いています
一部引用させていただきます。
2020年2月に、千代田区立麹町中学校と文部科学省初等中等教育局財務課との合同発表会が開催されました。
発表会に向けて様々なやり取りをする中で、麹町中学校の工藤勇一・前校長から現在の教育が抱える課題などについて話を伺う機会があり、そのときのに言われたのが「学校の最上位目的は生徒の自律であるにも関わらず、多くの学校では手段が目的化している」という言葉です。
工藤校長は、メディアなど様々な場面で、多くの学校が当たり前のこととしてやっている学級担任制や定期考査などは生徒が自律するための手段であるにも関わらず、それが多くの学校で目的化していることに対して問題提起されています。
そして続いて組織論にも触れられています。
途中省略していますが是非全文お読みください。
話は変わりますが、新しい組織マネジメントの在り方を提唱している『ティール組織』という書籍があります。この本では、組織の発達段階を
①衝動型(レッド):恐怖支配による組織、
②順応型(アンバー):規則等による階層構造型の組織、
③達成型(オレンジ):実力主義による効率・複雑な組織、
④多元型(グリーン):コミュニティ型の組織、
⑤進化型(ティール):生命型組織、
の段階に分けて解説しています。
ちなみに、②の順応型には軍隊や官僚組織が該当すると指摘されており、私は、現在の学校や教育行政の多くがこれに該当していると捉えています。
既存の順応型組織にもメリットはありますが、問題が複雑化し、変化の激しい時代においては、ピラミッド型で物事をトップダウンで決めて実行していく組織運営には限界があると考えています。
課題の背景にある複雑な構造を一番理解しているのは最前線の現場にいる人であり、トップまで課題が共有されて指示が末端まで降りていくころには課題自体が変化してしまうからです。
なので、多様性と激しい変化への対応が求められる学校や教育委員会は、職員同士が有機的に連携し、各自の判断で学校や組織をそれぞれが経営していく新しい組織体制(ティール組織)に移行していく必要性があると強く感じています。
私は武井浩三さんのAMTで自律分散型組織を学んでいるので
この記事を読んで感動するとともに
昨年12月の中学校説明会で
学校の規則について説明していた教頭先生の言葉は
この組織論でいうところの
②アンバー型組織なのではないかと思いました。
その時、教頭先生がしきりと
「規律の中で規律を守ることを学ぶ」とおっしゃっていたからです。
でも以前の記事で描いた通り
葉山町の学校目標は
『 自ら学び 考えて行動できる人 』
であり
次女が通う予定の中学校の校訓は
校訓 ~自立・創造・しなやかな心~
自立 … 当事者意識を持ち自ら考え行動に移せる生徒
創造 … 既成概念に捕らわれず解決策を立案し行動に移せる生徒
しなやかな心… 物事に屈しない、動じない心
対立ではなく対話で解決できる生徒
他者と協働できる生徒
です。
さらに葉山町全体の教育ビジョンはこちらです。
https://www.town.hayama.lg.jp/material/files/group/21/hayamakyouikuvision.pdf
教育は訓練ではない
と記事に書いたことがありますが
我慢を覚えさせることも
規律を守らせることも
教育ではない、と私は考えます。
学校はそもそも何のためにあるのか?
上記の目標に照らし合わせるのならば
やはり
子どもたちが自律し創造性豊かにしなやかな心で
違う意見や多様な人とも対話して
正解のないみんなの合意点を見つけていく力を
育む場所、それが学校なのかもしれません。
またフリースクールを作っているある方は
学校は「自分の好きを見つけに行くところ」
とおっしゃっていました。
より本質を深めていくと
やはり法律的な要素と哲学的な要素と
現場の学校運営側の視点を加味して考える必要
があるように思います。
ということで
AIがさらっと書いてくれた教育の最上位目標はこちら
教育の最上位目標(究極的な目的)とは、時代や文脈によって微妙に解釈が異なりますが、根本的には
「人間としてよく生きる(eudaimonia)ための全人的な成長・自己実現」や「人格の完成」に集約されると考えられます。これは、単なる知識の詰め込みや職業訓練を超えた、個人の内面的・外面的な調和的発達を指します。
日本の法的・公式的な位置づけ(教育基本法第1条)
日本では、教育基本法第1条が教育の目的を明確に定めています:
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
ここで「人格の完成」とは、個人の価値と尊厳を基盤に、人間が持つあらゆる能力(知的・情的・身体的・道徳的など)を調和的に発展させることを意味します。これが最上位の目標として位置づけられ、「国民の育成」はその具体的な文脈(平和で民主的な社会での役割)として並列的に示されています。12
第2条では、この目的を実現するための具体的な教育の目標(5つ)が挙げられています:
• 幅広い知識・教養、真理を求める態度、豊かな情操・道徳心、健やかな身体。
• 個人の価値尊重、能力伸長、創造性、自主・自律、勤労の精神。
• 正義・責任、協調、公共の精神、社会参画。
• 生命・自然・環境の尊重。
• 伝統・文化の尊重と国際平和への寄与。
これらはすべて「人格の完成」という最上位目標の下位目標として機能します。学校教育だけでなく、家庭・社会教育全体に通じる理念です。15
哲学的な視点から見た最上位目標
教育哲学の歴史では、以下のような考え方が根強くあります:
• 古代ギリシャ(アリストテレス):教育の究極目的は「エウダイモニア(よく生きること・幸福な繁栄)」の実現。徳(アレテー)を涵養し、知性・感情・習慣を統合した全人的な人間形成を目指す。
• カント的視点:人を「手段」ではなく「目的」として扱う。教育は個人の自律(autonomy)を育み、人格の尊厳を尊重するもの。
• 現代の教育哲学:批判的思考、理性の育成、自主性・自律性の涵養を通じて「より良い人生(worthwhile life)」を送れるようにすること。教育は「価値ある追求(worthwhile pursuits)」への入門と見なされる。
多くの哲学者は、教育を「人間の全人的成長」や「自由の相互承認(自分と他者の自由を認め合う感度を高める)」と捉え、社会的・民主的な市民性を育むことを重視しますが、その根底には個人の内面的完成があります。22
国際的な視点(SDGs・UNESCO・OECD)
• SDGs目標4「質の高い教育をみんなに」:すべての人に包摂的・公正で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進。持続可能な開発のための知識・スキル・価値観を育む。
• UNESCOやOECDでは、教育の目的として「個人と集団のウェルビーイング(well-being)」や「持続可能な社会の創り手」の育成を強調。基礎的な学習から高等教育、職業訓練までを包含し、貧困削減や平等、社会貢献に寄与するものと位置づけています。
これらは「人格の完成」や「よく生きる」ことを現代的に拡張した形で、最上位目標を支えています。
学校・現場での「最上位目的」の捉え方
実践的な議論では、「すべての子どもの学習権の保障」や「生徒の自律」を最上位目的とする声もあります。これは、手段(授業技術・カリキュラム)が目的化しないよう、根本的な人間形成に立ち返るための視点です。
教育は「時代に求められる人材育成」の手段ではなく、人を育てること自体が目的であるべき、という指摘が哲学的・実践的に共通しています。4
まとめ:最上位目標の核心
教育の最上位目標は、「人格の完成」を通じた、人間としてより良く生きる力の涵養です。これには以下の要素が不可欠です:
• 知的・道徳的・身体的な調和的発達。
• 自主性・創造性・責任感の育成。
• 個人としての尊厳と、社会・国際社会への貢献の両立。
• 生涯にわたる学習意欲と適応力。
手段(テスト・カリキュラム・指導法)は常にこの目的に照らして検証されるべきです。時代が変わっても、この根本は普遍的です。現場で教育に携わる場合、まずは「この活動は人格の完成やよく生きる力にどうつながるか?」と問い続けることが重要でしょう。
人格の完成、に関しては次回また考察します
私なりに考えるとするならば
これは学校だけの話ではなく
人が成長していくうえで必要なことであり、
自律というのは
経済的に一人で生きていく力なのではなく
自分で考えて自分で決めていく力
そして誰かと協力することができる力
必要なことを誰かにお願いできる力
であるし
自分と違う意見の人と対話していく力
であると感じます。
これは
学校だけではなく実社会においてとても必要な力
だと思うのですが
これを日々いろんな人と実践しながら学んでいくのに
一番適しているのは
学校かもしれないと
考えます。
最初に書いた私のSNSでアンチコメントを送ってきたみなさんは
自分の中の正解と正義をお持ちなんだと思います。
いい悪いではなく
みんな違う価値観で違う意見を持っているから
それは当然のこととして
見ず知らずの人の投稿にいきなり乱暴的な口調で攻撃するようなコメントを入れてくる時点で
結局のところ私たちは対話する能力を
学んでもないし習得してもないのだろうと思うし
そもそも民主主義的な教育を受けてこなかった
ということなのだ、と改めて感じるのです。
Googleで調べたり
AIに聞いたらなんでも瞬時に答え的なものが出てくる時代において
子どもたちを一か所に集めて
四角い教室に前を向いて座らせ
紙の媒体を読ませて、毎日宿題を課すことが
「良いこと」なのかわかりません。
時代は確実に秒速度的に進化し
AIが全人類の知能を越え、自分で進化し始める
シンギュラリティの世界において
教育の本質
学校教育の在り方を考察すればするほど
これからの我々人類に必要なのは
自己を表現していく力
人と対話していく力
なのかもしれません。
コミュニケーション
自己表現、自己実現
クリエイティビリティ
そしてそれは
自分自身への信頼、愛であると共に
他者への愛へと繋がります。
だから
教育の最上位目標は
子どもたちがみんなが
私は私であればいい
と思いいたること
なのかもしれません。
誰1人取り残さない社会とはつまり
自分を一番置き去りにしない社会のことです。
まずはありのままの自分自身をそのまんま
受け入れて信頼し愛すること
それがまず家庭で、学校で、そして地域で
大人も子どもも共に学び合えたら
素晴らしいな、と
なんだかそんな風に思いました。
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