焦ると、人はカードを一枚しか持っていないと思い込む
先日、部下から「少し相談したいことがあります」と連絡が入った。
声の調子からして、少しではなさそうだ。
Web会議をつなぐと、案の定だった。
画面共有をしながら状況を説明してくれるのだが、話は細かい事情から始まり、共有している画面は話と連動せず目まぐるしく切り替わる。
酔う。
焦りや不安が、そのまま画面に映し出されているようだった。
そこで私は話を止めた。
期限はいつか。
進捗はどうか。
今回の問題は、全体の中のどの位置にあるのか。
一つずつ整理してもらう。
すると不思議なことに、少しずつ声のトーンが変わっていく。
そして本人が気づき始める。
「あ、そうか」
「まだ手はありそうだ」
まだ何も解決していない。
それなのに、人は落ち着きを取り戻す。
そんな様子を見ながら、ずいぶん昔のことを思い出した。
30代前半の頃、私は比較的大きなイベントの責任者をしていた。
本番になれば、何かしら起きる。
だから私が心に決めていたのは、「自分が慌てない」ことだった。
そう思ったのは、前任者の現場を見ていたからだ。
いつも慌ただしく、どこかピリピリしている。
その空気は周囲にも伝わり、現場全体が落ち着きを失っていた。
私はそういう責任者にはなりたくなかった。
当時はうまく言葉にできなかったが、今なら少しわかる気がする。
想定外の事態は当然のように起こる。
そして人は焦ると、対処のカードを一枚しか持っていないと思い込む。
「この方法しかない」
そう思い込むと、視野は一気に狭くなる。
ところが一歩引いて全体を見ると、机の上には意外とたくさんのカードが並んでいる。
相談するという手もある。
順番を変えるという手もある。
別の方法を試すという手もある。
問題は消えていない。
しかし、景色はずいぶん変わっている。
困っている人を見ると、つい解決策を教えたくなる。
私も若い頃はそうだった。
でも最近は少し違う。
答えを渡したいわけではない。
その人が持っているカードを、一緒に机の上に並べたいだけなのだ。
本人が見えていないカードも含めて。
そして複数のカードが見えた瞬間、人は落ち着く。
問題が解決したからではない。
自分には選べる手があると気づくからだ。
そうなると不思議なもので、トラブルは半分解決したようなものだ。
あとはカードを一枚選び、粛々と前に進めばいい。
焦ると人はカードを一枚しか持っていないと思い込む。
でも実際には、机の上にはもっとたくさん並んでいることが多い。
まずは机の上を見渡してみる。
話はそれから。
