小説について 戦争の被害者




小説について 戦争の被害者
前日の小説ですが、例のごとく、投稿用に忘れぬうちに非公開にすることがありますし、完成はしていませんが、ボリュームには満足していないので、もうしばらく寝かせてリライトするかも知れません。
自分のこととなるといくらでも書けるのに、主人のことだと、せいぜい十分の一程度になる器量の小ささが文字数から分かって、地味に精神的なダメージを受けました。
8月15日は終戦で、SNSのそこかしこで「戦争体験を忘れてはならない。同じ間違いを侵さないために、語り継いでいこう」というようなメッセージを見ました。
その頃、私はボーッと生きていることが災いし、見事に米難民となったことの間抜けさに打ちひしがれていましたが。
主人の立場で小説を書くことを試みています。
少し年が離れているので、義両親は戦争体験者です。
義父は10歳前後、義母は乳児。
義父は少年の頃、海軍大将になりたいと夢を見ていました。そういう時代、そういう教育でした。
戦勝国のアメリカへの嫌悪感は抱いていないようです。けど、露や中国、朝鮮人には、偏見、無意識に嫌悪感を抱いています。シベリアに抑留された人が親戚にいたり、戦後の商売のいざこざが、原因にあるみたいです。
私が自分の立場で普段小説を書くと、自分の立場で抱く感情を膨らませることになります。
たとえば、主婦という立場で、「どうしてトイレの電気を消さないの?」と主人に不満を抱いたとして、こんな些細な事を…という気持ちを膨らませていくことになるのですが、自分にとって些細な事象でも、その人の人生史に根差した何か、特性であって、表層的に治せと言って治せることなど、そう多くは無いかもしれません。
私は「人はそう簡単に変わらない」などと達観した感じで安い言葉を並べるのは、自分を拓く努力を怠り、傲慢になり、いい加減に人と関わることへの弁明にも聞こえるので、ともかく大嫌いなんですが、他人に対して自分と共存することのメリットを説けない以上、自分を誤魔化さず考えると、確かに他人に変化を求めることは、倫理的に良いとは言えないようです。
主人の立場で小説を書くにあたり、義両親に聞きたいことがあったのですが、インタビューはうまくゆかず…
これからその理由を書きます。
結論からいうと、先述した通り「聞きたいこと」は聞けなかったんです。
戦時の生活の事とか、被害のこととか。
というのは、言いたく無さそうだったんですね。
明らかに口が重たく鈍くなるという。
団らんの場を暗くしてしまうから、今は言わない・後で話したい、とかでもなく、ともかく語りたくない、という固い意思を感じました。
ある意味、興味深い反応だったんですけど、義母は、昔話自体が嫌ということはなく、生家のことには口が滑らかですし、ついでに教育の事を語るのは楽しそうです。
義父の母親がすごく優秀だったとか、テレビに天才児が出てたとか。
私的には、普段からそれと感じさせずに孫(息子)の教育に圧力をかける声掛けを考えているようで、怖いし、それこそ上面の会話だけでいい、ちょっと避けたい話題なんですけど笑
そういえば3.11の時もラジオで聞いた記憶があるのですけど、被害経験って「言わねば」と使命感を持つ人もいますけど、「言いたくない、忘れたい」と考える人も、たくさんいるみたいなんですね。悲惨であれば、あるほど。
特にシベリア抑留については、直に聞けたことがありません。知り合いにはチラホラいたんですけど、誰も話したがらない。
悲惨だから忘れたい、という人もあれど、大戦の体験を言いたくない人には、別の心理が働いているようにみえるんです。
第二次世界大戦、日本は引くに引けず特攻の精神を説き敵国の殲滅を夢見るという、加害者的な側面も大きかった。
その「失敗譚」を子々孫々に語るのは、
たとえると、
「間違いを繰り返さないために!東大に落ちたのはなんで?そのときどんな気持ちだった?」「
え?そんなに落ち込む必要なくない?東大落ちたって、死んだわけじゃないし」
みたいに、当て擦られて、決まりの悪い気持ちになるんじゃないでしょうか…。
経験したことの無い人にとっては、感情の伴わない歴史、あるいは気が向いたときに当事者意識になろうと挑戦できる「ストーリー」でも、
「当事者」だった事がある人にとって、事の大きさを考えたら、うまく切り替える事が、出来るようなものでは無いのじゃないか。
語り継がずとも、戦争が悪いものだと、世界中の人が知ってると思う。
けど、戦争は起こり、続いている。
ガザ地区の紛争では、イスラエルが核を使わなければ良いみたいなことを言っているのをラジオで聞いたけど、死者4万人越え、大半が子供・高齢者で、建物は約60パーセントが損傷。
瓦礫下の遺体や戦争関連死の正確な把握は困難。
現地での詳細な調査が難しいため、衛星写真を比較して、被害状況を把握する。
イスラエルはハマスのねつ造、水増しと、被害者数を否定。
核が使わなければ、良い?
核が使われなければ、良い
最悪は核を使うことだと、ここ最近、何度も聞いてきてるけど、確かに一度に10万単位の人が死ぬんだから、そうなんだろうけど、
それって、壊滅状態じゃないですか?
ゼロヒャク思考の極地が、核回避じゃないの?それよりも、私はまだ被害者の数でボーダーを決める方が、賢明とすら思った。
ガザ地区人口の6%が亡くなった。
ということは、全員が、親戚友人知り合い、誰かしら親しい人を亡くしている。
人を気遣う余裕がなくても仕方ない。
○○よりマシだ、なんて楽観できる人なんか、ほとんどいないと思う。
私がもしガザにいたら、絶望してる。
絶望する命と気力があればの、話だけど。
○○よりマシだ、なんて言われたら、殴る。
殴るだけの気力があれば、の話だけど。
倫理感に訴えるより、「米がなくなる」とか自然災害という今の状況にたとえて、戦争はそれ以上に、都市機能が麻痺し物資不足になり命を失う必要がある、と説かれる方が、脅威は誰にでも平等に伝わるかもしれません。
