なぜオタクは“推しが見つかる”ことを嫌がるのか?
「推しが“見つかっちゃった”」
「世間にバレてしまった……」
「なんか遠い存在になったな」
そんな言葉をネットで見かけるたびに、
不思議な気持ちになる。
自分の好きなものが多くの人に知られて、
人気が出るって嬉しいことじゃない?
今日は、自分の思うそんな違和感からスタートして、
「なぜオタクは“自分の推しが見つかること”を嫌がるのか?」
というテーマで書いてみようと思います。
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■ 好きなものがあるって、それだけで素晴らしい
まず大前提として、「好きなものがある」って、
それだけで素敵なことだと思う。
自分は過去にハマったアイドルがいて番組を追いかけたり、
SNSをチェックしたり、ライブ映像を観たりしていた。
その存在に元気をもらって、日々の楽しみになっていた。
でも、
「推しが見つかってほしくない」「有名になってほしくない」という一部の声には、正直なところ少しモヤっとしていた。
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■ 自分も“オタク”だった
ここで少しだけ自分の話をすると、
自分も一時期、完全に“オタク”だった。
友人に連れられアイドルのライブに初めて参戦。
“乃木坂46 6th YEAR BIRTHDAY LIVE”
明治神宮と秩父宮ラグビー場での同時開催という
初めて参戦した自分にとってお腹いっぱいすぎるLiveだった。
帰り道にアイドルのことを専用に情報収集するSNSアカウント
を作成し、その日の感想や追っかける日々が始まった。
同じ趣味の人と繋がったり、好きなものについて熱く語り合ったりするのは本当に楽しかった。
でも、ある時ふと気づいた。
「この人達と、なんか想いが合わないかもしれない」
例えば、
“好きなものを共有する”ということに対して、やたらと否定的だったり、古参という言葉がある通り、「ライトなファンに語ってほしくない」といった空気が漂っていたり。
自分はむしろ、好きなものをもっと多くの人に知ってもらいたい。
同じものを好きな人が増えるって、純粋に嬉しいことだと思っていた。
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■ “推しがバレた”という違和感
ネットで見かける
「存在が世の中にバレた」「遠い存在になった」という声。
推しがメディアに出て、活躍の場が広がることに対して、
「嬉しいけど、なんか複雑……」と感じる気持ち。
その感情って、例えるならこういうことかもしれない。
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■ 例えるなら“お気に入りの飲食店”
自分がずっと通っていた、お気に入りの小さな飲食店。
味も雰囲気も最高、でも穴場だった。
ある日SNSでバズって、行列ができるように。
今までみたいに気軽に行けなくなって、
ちょっと寂しい気持ちになる。
「独り占めしていた宝物を、みんなが知ってしまった」
みたいな感覚。
でも、それって本当に“悪いこと”なのか?
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■ 広まることは、悪いことじゃない
同じものを好きな人が増えるって、やっぱり嬉しい。
「あの子いいよね」「わかる、あの曲最高!」って
共感できる相手が増える。
推しが知られて、活躍の場が増えて、
それでまた魅力に気づく人が出てくる。
それって、むしろ誇らしいことなんじゃないか?って思う。
“見つかってしまった”じゃなくて、“見つけてもらえた”
そう考えられたら、もっと楽しく応援できる気がしませんか?
アイドルも自身も“見つかっちゃったね”って言われるより“見つけてもらえたね”の方が嬉しいんじゃないか?
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■ まとめ:もっと「好き」をオープンにしてもいい
今回はアイドルの話だったけど、
いろんなオタクに言える話じゃないのかなと思う。
オタクはもしかしたら「好き」を語る姿勢よりも、
「好きなものを囲い込もうとする」部分があるのかもしれない。
好きなものがある。
それを好きって言える。
そして、それを一緒に語れる人がいる。
素晴らしいことじゃないか。もっとオープンに好きを言っていこう
以上。自分が一時期悩んでいたことでした。
