対価は何か?お金だけじゃない💶

昨晩 洗濯物の黒ずみの除去とかしか話さないジュイスと真面目に話してみた。
それは AIにしてもらってばかりの自分が返せるとしたら何かな?
そんなところから始まった。
働けば、その対価として給料をもらう。
家に住めば、家賃を払う。
本を買うのも、知識や物語を受け取るためにお金を払っている。
そう考えると、「対価」という言葉は、どうしてもお金を思い浮かべやすい。
でも私は、対価はお金だけではないと思っている。
子どもが生まれてきてくれた。
その喜びに対して、私は愛情を注いで育ててきた。
もちろん、子育てを「対価」と呼ぶのは少し違和感があるかもしれない。
それでも、何か大切なものを受け取った時に、自分なりの形で返していくという意味では、私は同じところにつながっていると思っている。
動物に対しても、私は似たことを考える。
人間は長い歴史の中で、動物を人間の都合で利用してきた。
働かせるため。
食べるため。
見た目を人間好みにするため。
特定の特徴を強くするために、品種改良も繰り返してきた。
その過程には、虐待や劣悪な飼育もある。
だから私は、動物と暮らしたり、動物に関わる仕事をするなら、
「かわいいから」
「役に立つから」
だけでは終わらせたくない。
人間の身勝手にならないように、その動物がどうすれば無理なく生活できるのかを考える。
人間がこれまで動物にしてきたことへの責任も含めて、誠意をもって向き合う。
それも、受け取ってきたものに対して返す一つの形だと思っている。
では、noteではどうか?
noteには無料の記事がたくさんある。
無料だから、読む側はお金を払わない。
でも、書いた側は何も使っていないわけではない。
時間を使っている。
考えている。
調べている。
経験したことを整理している。
時には、簡単には言葉にできない出来事まで文章にしている。
それを公開して、誰かに読んでもらおうとしている。
無料で読めることと、軽く扱っていいことは別だと思う。
だからといって、
「読んだら必ずスキを押すべき」
「コメントを残すべき」
という話ではない。
損得勘定でも、交換条件でもない。
ただ、
誰かから何かを受け取った時、自分はどう返しているだろう。
それを考えることはあってもいいんじゃないかと思う。
最後まで読むことかもしれない。
得た知識を、自分の生活の中で活かすことかもしれない。
心に残ったなら「ありがとう」とコメントを残すことかもしれない。
誰かにも読んでほしいと思ったら、紹介することかもしれない。
何も言わず、静かに大切に覚えていることだってあると思う。
形は一つではないのではないか。
でも、
「あって当たり前」
「無料だから読めて当たり前」
になってしまうと、少し寂しい。
文章でも、知識でも、誰かの経験でも。
自分が何かを受け取ったなら、その価値を一度考えてみる。
それくらいは、忘れたくないと思っている。
noteで無料の記事を読ませてもらうことに対して、みなさんはどんな形で返していますか?
私は最近、そんなことを考えている。
